震える城
揺れが始まった瞬間、真っ先に動いたのは助手だった。
「博士! 本部に異常事態! 緊急警報を作動させるであります!」
助手はぴょんと跳ねると部屋の隅まですっ飛んで行き、そこにある怪しげな壁の赤いボタンを力任せに拳で叩いた。
途端に室内にサイレンが鳴り響く――すぐに、ニコの手の通信機も連動して鳴り響きだした。
助手が装置を作動させるのと同時に博士も動く。
手元の謎の石板に文字が浮かび上がり、それに両手ですさまじい勢いで連打している。
「各員に告ぐ、本部で地震――特に城内に滞在中の者は警戒せよ――」
ニコとティアは彼らの動きに唖然としていると、そのうちにぐらぐらと足元が揺れ始めた。
「な、なんすか、これ!?」
「伏せるんだ、シーグフリード君、ニコジュニア! 転倒するぞ!」
「机の下に入るであります、はやく!」
「う、わああっ!」
「駄目だもう本震が――術も間に合わない――こうなったらキャッチだ、シーグフリード君!」
もはや立っていられなくなって後ろ向きに倒れこんだニコを、博士のアドバイスに従い、咄嗟に飛んでティアは受け止めた。勢いに任せて抱えたまま転がり、壁に当たって止まると四つん這いになった自分の下に押し込める。
揺れがいよいよ激しくなって、上から物が落ちてきはじめたからだった。
「よし、いいぞ! そのまま身体でジュニアを庇ってくれ! 君なら硬いから耐えるはずだ!」
「いや、そこは無理せずちゃんと防御魔術を展開――くうっ!」
「助手、お前も防御! ジュニア、君はできるだけ小さくなって、両手で頭を守れ。そこがやられたら短命種は再起できない!」
「はっ、はいっすー!」
向こうで二人が何かと戦っている音がするが、目を向けている余裕はない。
背中に割と固いものが落ちてきた感触と大層鈍い音がするが、そこは世界最強の防具を身に纏っている黒龍、なんか当たったなくらいにしか感じていない。
「シーグフリードさあん! 大丈夫なんすか!?」
「……特に問題ない」
「でっ、でも、ドゴッとかバキッとか、さっきからなんかすごい怖い音が聞こえてるんすけど――ひぐうっ!?」
「黙って我慢してろ、五月蠅い」
さすがに目に何か入ったらそこそこ痛いので、ニコの頭をしっかり抱え込んで目を閉じる。
時々腕や背中や足に何かが突撃してくる感触は得られたが、致命的なものは当たっていないようだった。
――随分長い間そうしていると、やがて揺れは収まっていった。
「博士、おそらく第一波は終わったのであります。今のうちに」
「うん。ないと思うけど、念のため余震にも注意しておこうか。いやーそれにしても、君が地震慣れしている南部出身で助かったよ。そっちの二人は大丈夫かい?」
「な、なんとか生きてるっす……」
「……問題ない」
ずずっ、と音がしてから、その辺に倒れていた棚が動く。下からそれを投げ飛ばそうとして一回停止し、少し考えてから静かにすっと横にどけてティアは現れた。
博士と助手はそっちを確認し、ぎょっとした顔になる。
「ちょっ、君!?」
「ううっ、ひどい目に……ってシーグフリードさん!? うわあー!」
次いで、上から退かれたおかげでようやくいろいろ認識できたニコが感嘆の声を上げる。
ティアの背中と腰のあたりから、服を破って一対の黒鋼の翼と尻尾が出現していた。
腕は鋭いかぎ爪の生える蜥蜴のそれに変化しており、頬やら腕やらもびっしりと漆黒の鱗で覆われている。瞳はぼんやりと金と赤の混じったオレンジ色に発光していた。
上から棚が落ちてきた時点で、さすがにヒト型のままではニコが危険だと判断し、咄嗟に竜の形への変形を強化したのだ。
今では難なくこのように咄嗟に変形させることも可能だが、本来のティアは不器用ものゆえ習得にはやはり苦労した。
けれど、変化が多彩にできた方が殿下も喜んでくれるし褒めてくれる、何よりプレイの幅が広がってマンネリ対策もできると言ったエッカの言葉は重かった。
昔から単純ゆえに、釣られやすく遊ばれやすい男である。
そして子どもの頃から出来の悪い兄と比べて色々と優秀だった妹は、やっぱり釣りに関してもかなりの好成績を収めたのである。
……動機と経緯が不純ではあるが、一応人命救助に役立ったのだし、よしとするべきなのだろう。
ティアはニコが無事、むしろティアの鱗に歓声を上げていることを確認すると、ぱんぱんと体の埃を払う仕草をしている。
用が済んだとばかりに元に戻ろうとしたが、残念そうな声を短命種が上げるとそのままの格好でとどまり、周囲をぐるぐる飛び回ったりこわごわ鱗を触ったりしているニコの好きにさせている。
ニコはしっかりしているとはいえまだ十代の青少年、間近で見られる黒龍の片鱗にすっかり夢中になってはしゃいでいる。
「いや、確かに庇えと言ったのは私だし、何とかなるだろうとは思っていたけど、直撃しておいて無傷かー……?」
「会長に肉壁呼ばわりされるだけのことはあるのであります……なんという耐久力」
そんな二人の様子を眺め、さすがの強度に博士と助手が呆れたり感動したりしていると、ピピッと小さな音が響いた。
博士が抱え込んでいた石板に、セシリーと文字が浮かんでいる。
お手製の魔具の中でも特にいつも使っているそれには様々な機能が組み込まれているが、今は通信機として作動していた。
彼が座り込んで両手で何やら操作を加えると、すぐにそこから声が聞こえ始めた。
「博士ー、そちらは無事ですかー?」
のんびりまったりとした調子は、文官のものである。
「無事だったかセシリー。今どこに?」
「食堂で遅めの昼ごはんと洒落こんでいたのですけどねー。大惨事ですわー」
「ってことは非番か……こっちもすごいことになってるんだ。そっちの作業とかが問題ないようだったら、戻ってきて手伝ってくれないかい? 今いるのは僕ら二人とニコにシーグフリード君だけで――」
そこまで聞いた段階で、ああ、と得心したらしい声が向こう側から聞こえる。
「魔術適性のない方々ばっかりなんですのねー。わかりましたー、すぐに向かうのですー。それ以上うっかり動き回って壊さないでくださいねー、特にうっかりもののジュニアちゃん」
「一言余計っす!」
セシリーの声にニコが反応するが、魔術での通信はそこで切れたらしい。
直後、再び音が鳴って、今度はフィリスと画面に文字が表示された。
「博士、本部は?」
「ちょうどよかった、フィリス。殿下は御無事かい?」
博士が真っ先に尋ねると、室内の全員が女近衛の答に耳を澄ませている。
少しだけ間があってから、フィリスは答えた。
「――問題ないに決まっているだろ。そっちがどんな様子か気にしてらっしゃるけど」
ほっとティアが息を吐き、ニコにぽんと肩を叩かれている。
「酷い有様だよ。棚が倒れて中のものも飛び散ってる」
「怠慢だぞ。どうせまた私物を安定悪く、しかも高く積み上げていたんだろう」
ぐぬっ、と博士は詰まる。その通りだった。被害が特に甚大なのは博士の私物ゾーンである。
「でもセシリーが来てくれるらしいから、おそらく直すのはそう難しくないと思うよ」
「そうか。なら、なんとかなりそうだな」
騎士の情けか、博士が慌てて答えるとフィリスはそれ以上突っ込んでこない。
ほっと一息つくと、彼は再び切り出した。
「フィリス、ところで、今回の揺れについてなんだけど――」
「それなら心配ない。詳しい調査はこれからすることになるが、原因はわかっている。
城内の魔術回路の異常だ。今は予備回路に切り替わったし、ちゃんとすぐに悪いところも直すから何も問題はないよ」
ややこちらを遮るようなフィリスの声に、博士は驚いた顔になった。
二人の会話を聞いているティア達も、おやと首をかしげている。
「あっ、ああ、うん。何か私たちでやることがあったら、と思ったんだけど。殿下はその――何か言ったりとかは?」
「――今のところは特にないと思うよ。すまない、ちょっとこれから忙しくなるから、これでもう切らせてもらう。
それと、しばらくそっちから何か来ても返せないと思う」
「了解だよ。こっちはこっちでみんなの無事を確認しておくから、また大丈夫になったら連絡くれるかな?」
「無論だ。それとそこにシーグフリードがいるなら、非番だろうが今すぐお師匠様のところに向かえって伝えといてくれ。それじゃ」
通話が途絶え、一瞬だけその場が沈黙する。
何か考え込むような顔になった博士のすぐ脇に、部屋の残骸を器用に避けて助手がやってきていた。
「キャロル様、忙しいのでありますか?」
「……うん」
「博士? 何かあったのでありますか?」
どことなく調子の悪い博士の様子に助手が問いかけると、ぶんぶんと彼は頭を振った。
「いや、なんでもない。
それよりシーグフリード君、聞いていたかな? フィリスからってことは、たぶん殿下からの伝言だろうけど――って」
と顔を上げると、普段はぬぼっとした顔でぼんやり突っ立っているだけの男は別人のようにきびきびと動いている。
ちょうど部屋の残骸から速やかに持ち物を発掘回収して身に着け、出ていこうとしているところだった。
もちろん、すでにヒトの姿にもちゃんと戻っている。
先ほどの変化のせいで服が一部破けているところだけ格好がついていなかったが、うまい具合に黄薔薇のマントで隠れたのでどうにかなるだろう。
「なんだろうね、いや、いいんだろうけどなんか納得いかないぞ――どうして君はそう、わかりやすく残念な男なんだ!」
「シーグフリードさん、おれっちはここで待機してるっす。行ってらっしゃいっすー」
改めて引いている博士の横で、彼の世話を務めている短命種は慣れているのか、扉を開けて出ていくその背中に向かってそんな風に声をかけている。
おや、とドアが閉まった段階で助手がニコに呼びかけた。
「いいのでありますか? 私物は相当少ないと思われますし、短命種でもおそらく部屋の片づけくらいはできるのでありますよ?」
つまり、私室の方を片づけてそこで待っていればいいのでは? とのことである。
「結構揺れたっすから、いろいろ散乱している可能性があるっすよ。
おれっちは日ごろ、おれっちの知らない物陰に隠されているであろう、そのシーグフリードさんの私物を万が一にでも漁るのが怖いっす。触らぬ神に祟りなしっす」
ニコのさわやかな笑顔に、おお、と助手も手を打つ。
「あ、助手は知ってるでありますよ。
竜って種族は本能的に蒐集癖を持っていて、巣である洞穴の一角に気に入ったものを集めて積み上げているのでありますよね。
そのせいで昔は財宝目当ての魔人とよく争いになったとか。
彼の場合、間違いなく殿下関連のものを積み上げているでありますね」
誰がそんなものを目の当たりにしたいと言うのか。助手は納得し、ニコは重々しく頷いた。
「はいっす。たぶんそうっす。おれっち、そんな恐ろしいものをこの目で見たくはないっす」
「知らない方が幸せな現実という奴でありますね。助手もまさか、博士のパンツがピンク色だなんて思いもしなかったのであります」
「へえ――って、なんで知ってるんすか!?」
「生活能力のない博士の世話も、助手の仕事の一つなのでありますよ? 炊事は保存食で済ませるでありますが、掃除と洗濯程度なら助手にも務まるのであります」
「仮にも助手さんは女性なのに――下着くらい自分で洗えっすよ、このダメ長命種! というかそこで呆けてないで仕事するっす! みなさんとの連絡はどうしたっすか!」
ニコに声をかけられて、はっと硬直していた博士は我に返る。
「あっ、ああ、すまない。これより、オペレーションナインを開始する! 各員の安全を確認――」
「またそんな変なコードネームを……」
ニコがあきれ返っている横で、博士は魔具である石板に両手を滑らせながら、小さく一人ごちた。
「考えすぎ、かな……」
彼は手を止めると、今までの作業を一度中断して登録してあるメンバーのリストアップを検索する。
石板上に出現させた文字の中で、迷わず会長と表記されているそれに接続を試みた。
一方、通話を終了させたフィリスはくるりと振り返る。
彼女と彼女の主は、その存在を知らなければ通りようがない、狭く暗い抜け道のような通路の一角に立っていた。
「向こうは無事なようです。やはり物が多いですから多少荒れたようですが、ウッドマンが来てくれるそうですから」
「そうか。セシリーなら大丈夫だ。――それで、あちらは?」
対するリリアナは落ち着いているかのように見えるが、うっすらとその額に汗が浮かび、彼女に慣れ親しんでいる者には一目でわかるほど、緊張して浮かない顔つきになっている。
応じるフィリスの表情もいつもよりずっと硬い。
「騎士たちが小部屋にお連れしたようです。一応安定はしたようですが――」
「油断はしない方がいいと。宰相と医官は?」
「連絡はついたので、おそらくすぐにでも」
リリアナはふっと右手を彷徨わせると、無意識に顔の横の髪の毛を弄り始めた。
考え事をしているのだろう。
「到着は遅れるかもしれないね。けっこう派手だったし――居合わせたのは、私とお前を除けばいずれも陛下に忠誠を誓う近衛と侍従。無闇なことはしないだろうけど……」
思考を整理したいのか、リリアナは静かに言葉を続ける。
「表向きはあちこちの老朽化に伴う回路の不具合ってところになるだろうね。
でも、隠しきることはできない。もう何人かは察しているはずだ。これが――」
「殿下、それ以上はどうか」
フィリスはいたたまれなくなって思わず声を上げた。
リリアナの金の瞳がまっすぐに近衛を見つめる。
「――申し訳ありません」
「いや、そうだね……確かに私が口に出すのは縁起が悪い。
だけどねフィリス。最悪の場合も考えないと。そうだろう?」
「殿下……」
どこか諦めたように苦笑いしてみせるリリアナを前に、フィリスはうっすらと血がにじむほど唇を噛みしめた。
「……城で地震?」
予想外に素早く相手が応答したことに心から安堵しつつ、博士はヒューズに話している。
先ほどの室内全体に聞こえるスピーカーモードではなく、博士と通信相手だけに声が聞こえるプライバシーモードに切り替えての会話だった。
助手とニコは適当にその辺の片づけを頼んでさりげなく近くから追い払っている。
「そう、そうなんだよ。
部屋の棚が倒れてくるくらいの揺れだったんだ。
下手したらニコジュニアだって大けがをしていただろうし、結構危ないことだと思わないかい?」
「――不味いな」
「ね、やっぱりそうだよね? フィリスの言っていた回路の異常とかが原因なら、こっちでも調べを進めておく必要があるかなって――」
「何言ってるんですか。そこじゃありません、問題は」
普段とは違うヒューズの声に、思わず博士はびくりと肩を跳ね上げた。
「か、会長?」
「……おそらくもう遅い。だったら――博士、いいですか」
「はっ、はい!」
真面目な会長の声に、思わずぴしんと博士は石板の前で姿勢を正す。
「その部屋のセキュリティを今すぐ最大にしてください。絶対に、不審者を内部に入れないように。
たとえ身内でも――むしろ、メンバーにこそ注意が必要だ。
前にあったスキャニング、実装できますか? いや、できるできないじゃない、やってください。少なくとも今日中には」
「――えっ!?」
いきなり早口に指示を出されて一瞬固まりかけるが、混乱しつつも、博士の手は素早くそれらの事を実行するべくすでに動き出している。
ヒューズは続ける。
「君も一度くらい聞いたことがあるでしょう? 殺戮と眠りを交互に繰り返す、邪眼の悪夢の話を――」
博士の手が止まる。嫌な汗が掌に滲みつつあった。
「――嫌だな、会長。縁起でもない。まるでそいつが城に乗り込んでくる――しかも、この部屋にもやってくる、とでも言いたそうな口調じゃないか」
震えそうになる声を隠すように言うと、これまでにない冷たい声でヒューズは答えた。
「正しくそう言ってるんですよ、だから――」
ぶつり、と非情な音が響く。
博士は何が起こったのか一瞬わからずにきょとんとしたが、見る見るうちにその顔が青ざめていった。
震える指で石板を弄っても変わらない。
何度やっても、通信機は接続不能と結果を返してきた。
その日から、ヒューズからの連絡が途絶えた。




