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転機

「兄上、あとちょっと、尻尾をなんとかすれば……」


 弟に言われて彼は顔をしかめる。その瞬間、気が緩んで一瞬にして身体はもとの竜の形に戻ってしまった。


 弟はああ、と残念そうな声を上げる。


「今までで一番よくできてたのに。ね、もうちょっとだったよ?」


 彼は不機嫌な顔のまま、弟に不満を漏らす。


「なんでこんなこと、しなくちゃいけないの?」


「もー、ボクに聞かないでよー。大人はみんなできるし、やってることなんだから」


 エッカは彼に首をすくめて見せた。



 事の発端は数日前、テュフォンとその妻が、そろそろヒト型の練習を始めようと言い出したことに起因する。


 出来の悪い兄が、言われるままに必死にヒト型の習得に努めるも、何度も失敗している横で、優秀な弟はあっさりと変化へんげをこなしてみせた。


 彼は自慢げな顔をしてみせる弟にイラッとして思わず小突いたが、この頃ますます力が強くなってきた相手に強く小突き返され、わき腹を抑えて黙った。


 喧嘩には、勝てたことがない。



 そして、初日に一通り様子を見せた後、これからは子どもたちで好きに練習しなさいと言われてから、エッカは折に触れてヒト型に化けるようになった。


 今朝も朝起こしにやってきたときから、きっちりと服まで着こなして彼にいろいろコメントしているのだった。


「えっとねえ。魔界を今支配しているのはヒトでしょ? だから竜も、ある程度ヒトのルールを覚えなくちゃいけないの」


 彼がわかりやすく不満な顔をしていると、弟は困ったような顔で続ける。


「だから、つまりね。

ヒトはボクらのこと、怖い生き物だって思ってるから、本当はいなくなってほしいの。


でも、ボクらだって、お願いだからいなくなってくださいって言われて、はいそうですかって引き下がるわけにはいかないでしょ。もともとボクらのほうが先に住んでたくらいだし。


で、仕方がないから棲み分けして一緒に生きてるわけだけど、怖がりのヒトのみんなに、竜が怖くないよ、そんなに一生懸命排除しようとしなくても大丈夫だよってアピールする方法の一つが、ボクらがヒト型になって服を着て、ヒトのようなふるまいをすることなんだって。


……もー、父上がちゃんとお話してくれたのに、途中で眠っちゃうんだもん。今だって聞いてないでしょー、兄上のばかー」


 彼はいつも通り、弟の言っていることを半分聞き流しながら、父親に渡された布きれをぐしゃぐしゃと弄り回す。


 弟がやめなよー、着られなくなるよー、と声をかけたので、それに答えるような、独り言のような調子でぼやく。


「この、服ってやつ。これ、すっごい窮屈で邪魔。なんでヒト型だと、これをつけなきゃいけないのさ」


「うーんとねえ、ヒトっていうか魔人ってさ、鱗がないわけ。それで肌がすっごいやわらかくて、つるつるしてるんだって。


だから布きれだとか皮だとかを身にまとってないと、無防備すぎて落ち着かないらしいよ。っていうか、裸って恥ずかしいものなんだってさ、ヒトにとっては」


「……はずかしいって、何さ」


「あう。ううう」


 弟は彼の質問にしばらく唸りながら考え込み、自分も納得していないがしぶしぶ、と言った顔で答える。


「――ええっと、その場から逃げ出したい、こんな自分なんていやだ、ほかのヒトにこれ以上見られたくないってかんじかな?


ボクらだって、飛びそこなって派手に落ちた時とか、あんま見られたくないでしょ? あんなかんじなんじゃないの?」


「裸を見られたくらいで、逃げ出したくなるってこと? ……ヒトって変なの」


「うんまあ、ボクもそうは思うけど。


ひとまずこの状態になれるようになってからそういうこと言いなよ、兄上」


 彼は弟がヒト型の、なめらかな肌に鋭い爪のない手をひらひら振っているのを見ると、顔をしかめて再び変化に挑みだした。


 このうるさい相手に優越感に満ちた顔をされると、何故か無性に腹が立つ。



 彼は四苦八苦、何度も失敗を繰り返しながら、数時間後、どうにかこうにか弟と同じ程度までの変化をこなし、得意げな顔をして仁王立ちした。


 弟がおー、と歓声を上げながら拍手すると、一瞬だけ元に戻りかけたが何とか踏みとどまり、次は服を着ようと、渡されたおかしな布きれと格闘し始める。


 がーんばれ、がーんばれ、あ・に・う・え、と弟が変なリズムで囃しはじめたので、彼は急いで服を着てから殴りに行こうか、先に黙らせておいてからゆっくり着ようかと考えた。



 ――ちょうどそのとき、ばさばさと聞きなれた羽音が聞こえ、子どもたちは空を見上げた。


「わあい、父上!」


 エッカが最初に声を上げると、テュフォンは近くに降り立ち、はしゃぐ息子にふうっと息を吹きかける。


 二人がヒト型をとっているのを見ると、自分も合わせるように、落ち着いた風貌の壮年の魔人へと身を変じる。


 父親はきゅるきゅると甘えるエッカの頭を撫でてから、徐に彼の方に向き直った。


「坊、ヒト型ができるようになったのか。素晴らしいことだ」


「父上、父上、ボクだってできるよ、ほら!」


「お前はできて当たり前だ」


「ひどい! 父上がそんな風に雑に扱うから、ボクは跡取り息子なのにみんなから口達者とかうるさいのって、なんか馬鹿にするようなあだ名で呼ばれるんだ!」


 そっけない父親の一言に弟はギャーギャーわめくが、図太い神経の持ち主なので本当に傷ついた様子はない。


 父親もうるさい息子をたしなめはするが、その眼にはいつも深い愛情があふれていた。


「目を閉じて日ごろの行いを思い返すといいぞ、息子よ。お前の性質を的確に表している言葉だろうに。ほら、少し黙りなさい。儂は坊に話があるのだ」


 父親が威厳たっぷりに言い聞かせると、エッカははーいと言って口を隠し、二人を好奇心に満ちたまなざしで見つめた。


 父親は珍しく、眉根を寄せながら歯切れ悪く切り出した。


「坊、実はな。お前に会いたいと言っているヒトがいるのだ。ここから少し遠いところだが、行ってみる気はあるか?」


 唐突な申し出に彼があんぐり口を開けると、エッカが横でぴょんぴょんとびはね、父親に目でしゃべりたい、と訴えかける。


 父親はとりあえずエッカの方は無視して、彼に重ねて言い聞かせる。


「まあ、無理にとは言わぬし、正直儂もその……戸惑っておるのだ。何と言ったものかな……」


「父上、父上! ねえ、それってどういうこと、どういうことなの?!」


 我慢できなくなったらしいエッカが興奮気味に父親に言うと、父親はふう、とため息をついて話し出す。


「――儂が時々、魔王陛下に会いに行っておることは、知っておるな?」


「知ってるよー!」


 弟が元気よく答える横で彼もうなずく。



 ここに来て間もないころ、どうして父親がしょっちゅういないのか、弟に尋ねたことがある。


 いろんなところを飛び回っていろんな人と会ってるけど、一番大事なのは魔王と会うことだ、とエッカは言った。


 テュフォンは竜の中でとっても偉いから、ヒトの中で一番偉い魔王と定期的に会っては、お互いの情報を交換したり、取り決めをしたりするのだと。


 魔王って何、と聞いたら、この世界で一番偉いヒトなんだと説明され、そんな相手に定期的に会いに行く父親はやはりすごい大人なんだなあ、と単純に感心したものだった。



 なんで今急に、その魔王の話が出てきたんだろう、と首をひねると、父親は相変わらず彼らしからぬ困惑の表情で言う。


「その、まあ、なんというべきか……陛下がお前に会いたがっておるのだ」


「ええっ! 父上、それ本当!?」


 彼が何かアクションを起こす前に、エッカは彼の思っていることをそのまま口に出す。


「どうしてこうなったのか、儂もよくわからぬよ……。いったいどこで何を聞きつけられたことやら。


普段は無理をおっしゃらない方なのだが、今回は是非にと言われてしまってな。

それにこれも何かの縁かもしれぬし、せっかくの機会だというとらえ方もできる。


坊、確かにヒトのしきたりは窮屈だし面倒だが、慣れれば面白い部分も見えてくるものだ。どうだ、儂と一緒に王城に上がってみないか」


「いいな、いいな! 僕も行きたい、父上!」


「お前はいずれ、嫌でも行くようになるだろうに。

それにその余計なことを滑らせる口があるうちは、陛下の御前に出す気にはならぬよ」


「父上のけちー」


 彼がぼんやりした顔――考え事をしているときの例の顔になると、横からエッカが彼に言いつのった。


「行っておいでよ、兄上ー。いいじゃん、ちょっと我慢するくらいだって。

ヒトってボクらと全然違う生活してるから、見てくるだけでも面白いことだらけのはずだよ。


それに、魔王に呼び出されるなんて、めったにないことなんだから。絶対行っておいた方がいいって」


 ね、ね? とすっかり乗り気なエッカに鬼気迫る勢いで押され、彼はつい曖昧にうなずいてしまった。


 すると父親は思いのほか、心配そうではあるが、それ以上に嬉しそうな顔になった。


「そうか、行ってくれるか。すまないな、坊」


 彼は撤回してもう一度考え直そうとしていたが、父や弟の顔を見ているうちに、うん、行く、と再びしっかり答えてしまっていた。



 こうして一カ月後、みっちりとヒト型の練習をさせられ、これまでにないくらい窮屈な衣装で着飾られてむっつりと不満な表情を浮かべた彼は、多少後悔しながら父親と一緒に王城へ向かった。




 そこで、自分の生き方を変えてしまう出会いがあるとも知らずに。


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