図書室の逢瀬
クローディアと名乗った縦ロールの令嬢は、それからほとんど毎回、宿題を持って図書室に向かうと必ず居合わせるようになった。
「シーグフリード様、またお会い致しましたね」
最初は何事か、さては例の赤薔薇の手先か嫌味の嵐かと警戒していたティアだが、クローディアはまったく怯む様子なく話しかけてくる。
「そんなに怖い顔しないでくださいな。言ったはずでしょう? わたくし、あなたと仲良くなりたいんですのよ」
そして、別段許可をした覚えは全くないが、いつの間にか一緒に昇降機に乗り込んで本を選んでいるのである。
「エドは従姉弟で昔からよく知ってますの。あの人見た目はクールだけど、すぐ頭に血が上るのよね。ふふ、少しあなたと似ているかも」
絶対違う、と即座に否定すると令嬢はくすくす口元に手を添えて笑う。
「あら、ごめんなさいね。悪い子じゃないのよ? ただ思い込みが激しいのと、すぐむきになる癖は治した方がいいのにとは思うけど」
壁一面の本の群れの背表紙を華奢な指でなぞりながら、クローディアは静かに続ける。
「わたくしたちは生まれた時からこの天空の住人。何もかも恵まれていて、ほとんどかなわない望みなんてないの。でも、本当に欲しいものなんて何もない。空っぽなの。だから何かがうまくいかないと、むきになってしまうんでしょうね。そして、悲しいことにどうしようもなく、あの方はそれをわかってらっしゃるんだわ。本人以上にね」
「――でも、もうそれだけではないのに。それとも、それもわかってらっしゃるから、なおさらあんな風に怒るのかしら――うふふ、ごめんなさい。図書室に来るとつい考え事にふけってしまいますわ。それと、隣にヒトがいらっしゃると口に出してしまうの。うるさかったかしら?」
「別に、特には」
にこやかに振り返るのでとりあえずそっけない渋面で返しておくも、相変わらずさして気分を害した様子はない。穏やかな口調にはまったくもって悪意なぞ含まれる様子なく、赤い唇はため息交じりな憂いの言葉を紡ぐ。
目の前にいるのが朴念仁でなければ、瞬く間にどぎまぎして咳払いの一つや二つしているだろう。
クローディアはにこり、と笑いかけると、ではまた、と言いながら去っていく。
もう来なくてもいいのに、と若干やつれつつ、しかしリリエンタールのように執拗なつっかかりはされなかったのでほっとする。
見た目といい声と言い仕草と言い、つい毒気を抜かれる愛らしさに本来の調子が出ず、しどろもどろになっている――わけではないが、先輩やリリアナに言われまくっている王城ルールというか魔人ルールのせいで、どうも男相手の時のように邪険にしきれないのだった。
魔人社会において、女と子どもは弱い生き物である。
そして騎士と言う存在は、弱きを助け強きを挫く。
要するに、男ならまだかっとなって殴った場合言い訳ができるが、女性や子供相手の暴力はよっぽど相手に非が認められる場合以外、見習い騎士の身分では問答無用、ばっちり前科が付く上一発で里帰りさせられる。
もちろん、正式な近衛の配属も不可能になる。
……そういえば城に上がる前に、父やエッカにも散々言い聞かされていた。
何があっても女だけは絶対に噛むなよ。竜相手ならともかく、相手は魔人なんだからな。下手すると重症を負わせて竜肉行きだぞ! と。
それに加えて、最近のリリアナの書き付けである。
いつものように愛しいヒトは(送られてくるのは簡素な文面だけだから、記憶を頼りに多大な妄想で姿やしぐさ、口調は補完再生しているのだが)、片手を腰に当てる。もう片方の手を人差し指だけ立てて、ぴっぴっとティアの前で振って見せるのだ。最近は日ごろの行いが良かったためか、うっとりその指の行ったり来たりする動線に浸りながら、真面目に聞いている顔を維持できるようになっている。
実行して成果を認めてもらいたいから早く本人に会いたい。
ともかく、彼女は予定調和に言って聞かせる。
「騎乗術は相変わらずらしいけど、それ以外の事ならだんだん昔の調子が戻ってきてる。少しずつだけど、お前に好意的な意見もちらほら聞こえてきた」
「――だから、危ないのはここからだ。何かあったらすぐ、ヘイスティングズ団長の言うことを聞け。お前に先輩をつけてくれてるらしいし、あのヒトなら下手な手は打たないはずだ。まあ、騒ぎを面白がる性質はどうかと思うけど……ちゃんと騎士がどういうものかは心得ている。そう、大事なことだ。黄薔薇騎士団と離れるな。なるべく一人になるな。ニコは短命種だし下働きだ、頼りにならない。――魔人の食い物にされたくなかったら、そうするんだぞ。わかったな」
「追伸。貴族の女には、特に気をつけろ。……いやその別に、お前の自由だけど」
「……やっぱ気にするな。追伸はなしにしてくれ。以上」
……よほど急いで書いたのか、最後の方の字なんて相当乱れている。それでも達筆なのだからさすが女神。
しかし、昔ならともかく、今はそう易々(やすやす)と竜肉エンドを迎えるつもりはないのだが。
というか、邪魔だ邪魔だとはよく言われるが、料理の品にしてやろうとの悪口は一度も言われたことがないのだが。
当代魔王は竜肉料理出したら激怒するって話も先輩がしていたし。そもそもあまり聞いてないから、覚えてないだけという可能性もないとは言えないが。
そう首をひねりながら思いつつも、とりあえずなるべく一人にならないこと、あと追伸はどう受け取ったものか迷ったが、女には気を付けること。ティアは了解した。
――残念ながら、何に気をつければいいのか全く理解していなかったわけだったのだが。
そんなわけでリリアナの伝言を忘れたわけではないが、どうしても夜中に図書室に行く際には、ニコと二人にならざるを得ない。
ニコや眼鏡の女文官に見張ってもらわなければ、油断してすぐ睡魔に負けるので、通うのをぱったりやめるわけにもいかない。
起こすだけならニコ単体でも可能だが、それだと課題に詰まった時のヒントはもらえない。すると当然、提出できないので返事がもらえない。ただでさえ顔も見れないのに言葉ももらえない。
ティアにとってのリリアナ不足は死活問題だ。
かといって、黄薔薇の先輩は基本的にうるさいからあまり一緒に来てほしくないし、何よりリリアナの課題を持っているところを見られたくない。
日ごろの態度を鑑みるに、どう考えてもばれたら追及されるし、憶測で勝手に噂を広められたり語られるのも嫌だ。
……師父ならにやけつつも一歩引いたところで黙っていてくれるかもしれないが、何せあのヒトは多忙だ。
第一仮にも師匠だとか父だとか呼ぶ相手を、睡魔対策に呼び出すのはどうかだろうか。
ティアにだってそのくらいはわかる。
しかし、単独行動が危険だと言われても、基本的に図書室では騒動は起きにくい。多少の会話くらいは許されるが、大声で怒鳴り合ったりしたら出禁になるし、今までそういうことを起こした奴も見かけなかった。時間帯が時間帯のせいかもしれない。
だからニコが頼りにならなくても、図書室にはこっちに割と好意的で有能な女文官もいるし、まあ黄薔薇と離れても竜肉にはなるまい。
――と思っていた結果がこれである。完全に想定外の伏兵だった。
最近は嬉しくもないが予測できるしある程度慣れてしまったので、ふんわりクローディアが出現すると同時に瞬時にニコに課題を手渡して隠してもらい、彼女が優雅に去っていくところを見計らって返してもらうところまでが予定調和となった。
彼女はひとしきり(ティアが前向きに応答しないせいではあるし、いつも他の相手に対してもそうだと言えばそうだが)、一方的にふわふわと喋った後は、静かに自分の好みの本を選んで遠くで一人読んでいる。
「……お供の方もあまり見かけないっすね。一応、侍女を2、3人伴ってはいるみたいなんすけど、お邪魔にならない位置に控えさせているらしいっすね。あの方、小さいころはすごいお転婆だったのに、成人してからあんな風にインドアになったとかならないとか――あっ」
こそこそとティアに耳打ちしてきたニコは、不意に目を上げてこちらににっこりと笑ってよこされた笑顔にしばらくぽーっとして黙り込んだ。
一発気付けをしてやろうかと思わないこともなかったが、それで怪我をされてはかなわないので、羽ペンのやわらかい部分でくしゃみするまで鼻のあたりをふわふわしてやった。
これも最近身に着けた、平和的短命種への突っ込みである。
被害者からは不評だが。
クローディアは確かに頼みもしないのにやってきて勝手に話をしていく、と言う点では、その辺でしょっちゅう嫌味を言ってくる相手や一人でいると必ず絡んでくる黄薔薇の先輩と同じと言えるが、圧倒的に彼らと一線を画していた。
彼女はティアにとってギリギリ許容できるような行動をとっているのである。
これがもう少し時間をとられたり、神経に触る事を言われたり、課題に実際に取り組んでいる最中にまで絡まれたりしようものなら、残念だが場所を移すか、もっと徹底的に無視するかしている。
しかし彼女は絶妙に、こちらが苛々とした様子を見せたり離れたそうな顔をする直前に、まるでわかりましたとでも言うように笑みを浮かべ、すっと引いていくのである。そのくせ構ってくることはやめない。
――そして、ゆっくりとだが、その許容の範囲は広くなりつつあった。
クローディアは多少なりともティアが興味を示せば、有益な話をちらほらする。
たとえば面倒な作法のわかりやすい覚え方。たとえば王城の複雑な迷路で迷った時の攻略法。
そして何よりもティアにぴんと来たのは、女の子が好きなものについて――。
今まで散々男の先輩から女とは何か、女の好みとは何かを聞いてきたが、女性のクローディア自身から語られるそれは少し異なっていた。
考えてみれば、ティアは今までろくにクローディアのような女性らしい女性の話をまともに聞いたことはない。エッカはいろいろと論外であるし、リリアナは女の子らしく振舞うことは嫌いである――と見せかけて、その実結構可愛いもの好きであることは、未成年の経験上わかっていた。
しかし、彼女が連呼していた「可愛い」が何か、ティアにはさっぱりだった。
クローディアはその未知の「可愛さ」について彼が興味を示すと、嬉しそうに語る。
いつの間にかティアはクローディアが図書館で話しかけてくることに何の抵抗も覚えなくなっていた。
クローディアとほとんど毎日顔をあわせるようになってから数週。ニコ経由で、リリアナの言葉が届いた。
「会おう。話がしたい」
いつになく短く、どことなく書き殴られたような筆跡だった。
しかし、浮かれているティアはわずかな違和感など飲み込んで、嬉々としてニコに案内を求める。
――その手にクローディア案の贈り物を携え、幸福な笑みを浮かべながら。




