再び庭園にて
身なりを整えて改めて出てきた王は、すっかり落ち着いたらしく、ティアに近衛の推薦を約束した。
周囲が何やら彼に意味ありげな目を送ったり、王が約束するのは近衛の推薦だけだぞ、と念押ししたりしたが、とりあえず、自分にとって悪いことにはならなかったのだと言うことは分かった。
それに、あの状況だとリリアナが近衛になれと言ったのと同じこと。だったらそれに従うまで。
――だが、彼の期待に反してそこで話は終わりらしく、その後はすぐにいったん帰ることになった。
結局再び出てきたのは王だけで、リリアナはもう引っ込んでしまった。
後で会えると言ったのに、あれはひょっとして、近衛になってもっともっと立派になってから。そういうことなのだろうか。
彼はしょんぼりと肩を落としながら考える。
リリアナが言うなら、少しくらいの我慢や努力なんてなんてことはない。
けれど、せっかくこうして戻ってきたのに、会えなかった時の方がまだましだった。
ずっと距離が遠い。弱気になっていると妹の言葉が浮かんでくる。
――心変わりとか、考えないわけ。
リリアナは、もしかしたら自分の事が嫌いになったのだろうか? 確かに随分と様変わりしたから驚いていた。脱皮後の自分は、気に入らなかったのだろうか。だからずっと、会ってくれないのだろうか。
……いや、彼女は後で会えると言った。だったら、絶対に会うことはできる。ああでも、今すぐに会いたい。会って、本人から話を聞きたい。リリアナの言葉を、心を知りたい。
――子どもの頃だったら、途方に暮れてここできゅうきゅうと鳴き声を上げていただろう。
だが、彼はもう成人し、未熟だとしても立派な大人の仲間入りを果たしていた。
魔人の大人はそんなみっともない真似はしない。
歯を食いしばると、ぎりりとそこから鈍い音がした。
彼がそんな風に珍しくぐるぐると考え、眉間にしわを寄せながら案内に出口へと導かれていると、不意に何者かの気配を感じて顔を上げる。
それは男だった。貴族のものではないが、そこそこ位のある臣下たちが着ていたような小奇麗な青い服に身を包み、少し離れた柱に腕を組んで寄りかかっている。
角も尻尾もないが、耳は尖っている。だったら魔人なのだろうか。
男はまるで眠っているかのように目を閉じていたが、侍女が足を止めるとこちらに向き直る。
優男、とはこの顔を言うのだろう。女の服を着てもあまり違和感のなさそうな容貌。
どこか軽い緑色の目がきらりと光る。――目があった瞬間、ティアははっと身体をこわばらせた。
途端に、相手もおや、と言った感じの顔に一瞬なるが、微笑んでこちらに向き直る。
丁寧な会釈を受けて、侍女が声を上げた。
「こんなところで何をしてらっしゃるのですか」
「そちらのお方をお待ちしておりました」
あまり好意的ではない侍女の言葉に、しかし男は特に気を悪くした様子はない。
ティアは胡散臭い男を睨みながら、ひとまず成り行きを見守ることにした。
「何のご用でしょうか。お帰りになられるところです。あまり邪魔はなさらないでくださいまし」
「別に邪魔をするつもりはまったくありませんよ。ただ、ちょっとだけ寄り道をしてもいいですよね?」
「私の主君は陛下です。――あなたのなさろうとしていることは、陛下の望むことではございません」
侍女が何やら頑なに拒んでいると、男はふう、とため息をついた。
「その忠義は素晴らしい。ですが、あなたの上司は何とおっしゃったのです? それと陛下のせいにするのは止しなさい。突っぱねているのはあなた自身だ」
「……ご成人あそばされてから、いくらでもなさればよろしいのです」
「魔人はどうにも頭が固い。いいじゃないですか、昔の知己にちょっと声をかけるだけです。陛下のあれはさすがに大人げない。
それとも、何か起こるとでも? だとしたら、それは杞憂です」
「何かあってからでは、遅いのですよ」
「ご心配なく。あなたはその男の事も、我々の主の事も――そしてほかならぬ我々の事も、侮っていると言わざるを得ない。
何かなんて起こりません。絶対にね」
口調は穏やかながら、その眼はどこか危険な色を帯び始めている。
侍女はしばし沈黙していたが、やがて諦めたように肩を落とすと、ティアの方に振り返る。
「――どうぞ、こちらに」
どうやら彼女の方が折れたようだった。
ティアは彼女に導かれ、再度歩きはじめた。出口ではなく、城内の奥の方に誘導されている。
――振り返ると、目を離した間に男はどこかに行ってしまった。彼は一瞬顔をしかめたが、黙って侍女の後に続く。
廊下を歩いていくうちに、ふと周囲に気が付いた彼の胸が一度どくんと脈打つ。
その後はゆっくりと、しかし確実に高鳴り始めた。
覚えのある天井、覚えのある階段、覚えのある景色。
――やがて、侍女はとある小さな門の前で立ち止まる。あまりにも見覚えのある、その薔薇をかたどった門の前で。
「ここから先はお一人で。それと、なるべく早く済ませてください」
彼はもう、侍女の言葉を聞いていなかった。彼女の横を足早に抜け、今は少し身をかがめなければ通れないアーチ達を順にくぐりぬける。気が付くと、かなり速足に歩いていた。
すぐに門の群れは終わり、目の前に噴水のある庭の光景が広がる。
噴水の周辺はまたけぶっていた。その奥にある人影がだれであるか把握した瞬間、彼の足は地面を蹴って駆けていた。
近づくと、まるで道を開くかのようにさっと左右に霧が晴れる。
肩で息をしながら目の前に立つと、薔薇の装飾を施された漆黒の衣装をまとっている「彼」はゆっくりと金の瞳を瞬いた。
「ティア……?」
身体が先に動いていた。
相変わらず華奢な彼女を、気が付くと身をかがめて両腕の中におさめていた。無我夢中で、しばらくそうしていると、彼女も彼の背中に腕を回す。
ああ、何度この光景を夢見たことか。今この瞬間、死んでもいい!
――そんな風に浸っていられたのは一瞬だった。
なんだか背中に回された腕が、彼女なりに精いっぱい彼をばしばししている気がする。
「おいバカやめろ、息ができない!」
かすれた声に慌てて身を離すと、げほげほとせき込みながら彼女はきっと睨み上げてきた。
「お前なあ、妙に筋肉つけて帰ってきたなとは思ったけど、こんなところで有効活用するな。咄嗟に防御魔術を施しても、息が止まるかと思ったじゃないか、馬鹿力め!
――おい、その顔は止せ。今は褒めてない。褒めてないぞ、この!」
ティアはぺしりと頬を叩かれるも、満面の笑みを浮かべて口を開く。
「良かった、あなたはあまり変わっていませんね。また髪を切ってしまったのですか?」
「うるさい、変わってなくて悪かったな!」
「それに俺の事も、ちゃんとわかってくれました。もしかしたら、実は俺の事を疑っているのかと思って――」
「――すまない。お前が本物のティアなのかは、正直結構半信半疑だ」
「えっ」
ティアが情けない声を上げると、リリアナはくいっと逆八の字の上り眉を吊り上げる。
「いやだって、一致する項目がほとんどないじゃないか。
顔つきも変わってるし、口調もなんか違うし、そこそこ貧弱だったはずなのに筋肉の塊になってるし、馬鹿力だし、白い鱗は黒くなってるし、目の色もなんか微妙に違うし、魔力もだいぶ変わってるし――これで頬の模様といくつか思い当たる挙動がなかったら、普通に別人だと思ったぞ」
「リリアナ、ダメだったの? 気に入らないの? だったら俺、すぐに直すから、どこがいけないの? 口調も昔の方がいいの? 男っぽい口調を練習してきたけど、変に聞こえるの?」
思わず彼が泣きそうな顔で言いつのると、彼女は何とも言えない表情になった。
「――あ、うん。大丈夫だ。今ので完全に一致した。お前は間違いなくティアだ」
「本当!?」
再び彼が笑顔に戻ると、リリアナはため息をついてから彼を見上げる。
「――本当に、帰ってきたんだな」
「約束したから。リリアナ、やっぱり前の方がよかったって思っているの?」
「いや、そんなことはないけど……まあ、ないとも言い切れないけど、別に今のお前が気に入らないなんてそんなことはないよ。
ただ、変わりすぎててこう、どうしたものかと思ってるんだ。昔の知り合いが様変わりして別人になって帰ってきたらリアクションに困るだろ。そういうことだ」
「リリアナ――」
彼はぎゅっと彼女の両手を握る。怒られない程度に力を込めてから、彼女の瞳を覗き込んだ。
「でも、覚えててくれたんだね」
「……まあ、約束は、約束だし」
「ずっとずっと、会いたかった。もう離れないよ、俺。だから、リリアナ」
彼はすとん、と手を握ったまま跪く。
エッカに教わった通りに、ぷろぽおずの姿勢になった。
「成人したら、俺のお嫁さんになってくれるよね?」




