弟登場
がつがつと一生懸命肉をほおばる彼は、ふと視線を感じて目を上げる。
彼のために用意された住処は、元住んでいた洞窟よりもずっと大きく、寝床もなんだかよくわからないが、とにかくやわらかい。
後で知ったことには、北部の巣は大体木の枝を主としてつくられていたが、こちらでは干し草を使用しているらしい。
至福を味わいながら、これまた何の肉かはよくわからないが、口の中でとろけていくそれを夢中で咀嚼し、飲み込む。
――ふと気が付くと、その様子を、巣の入り口の敷居の垂れ幕をめくりあげ、じっと眺めている竜がいた。
彼と同じくらいの、まだ幼い小さな灰色の竜だ。
彼がびくりと動きを止めると、子どもはにこりと笑う。
それは今までむけられたことのない、邪気のない笑顔だった。
「なーんだ。元気ないって聞いてたけど、心配して損しちゃった。入っていい? いいよね?」
そう言うと、子どもは彼の返事を待たずにずけずけと部屋に侵入し、あっという間に広い区画を飛んで彼の隣にやってくる。
彼と違ってもうかなり上手に飛行しているし、動きも機敏だ。色合いも彼と正反対に、体は黒っぽい灰色、瞳は澄んだ空色だった。
彼が対応に困っておどおどとしている間に、子どもはよいしょっと言いながら彼の寝床にちゃっかり座り込み、しげしげと彼を眺める。
「ふうん、これが赤錆色の目って言うのか。率直に言うと、あんまりきれいじゃないね。あ、食べてていいよ、それ、君のだし。
ねえねえ、っていうか、痩せすぎてなーい? 母上がね、白子だからってあんまり食べさせてもらえなかったんだとか言ってたけど、それ本当?
でもでもねーえ、本当の白子っていうのはさ、貧弱で一生懸命お世話してあげないとすぐ死んじゃうんだって。だったら君は違うんじゃないかなあ。
だってほら、父上の話だと、どんだけこけても傷一つつかなかったって言うし、っていうかここの部屋に来るまでに10回以上転ぶって、なにそれ、狙ってるの?」
彼はあっけにとられていたが、相手が黙り込んだのでとりあえず間合いを広げようと後ろに下がろうとし、うっかり下がりすぎて寝床から転げ落ちた。
その様子を見て子どもは一瞬の間の後声をあげて笑ったが、むすっとしている彼が寝床に這い戻ってくるのを助けながらまた話し出す。
「ああ、うん大丈夫、わかった。君ってすっごい歩くのへたくそなんだね。
……なんだい、しゅんとしなくていいよ、だったら飛ぶ方をうまくすればいいんだから。
ええっ、飛ぶのも下手なの? っていうかよく見たら食べ方も結構汚くない? ねえねえそれって結構致命的なことだから、さっさと鍛えた方が――。
あ。で、何の話だっけ? そう、体の色。そりゃあ、ボクや兄さんたちの小さいころと比べたら、君の身体は白いけど、ぎりぎり灰色に見えないこともないと思うし。
っていうか、ボクらと比べると大体の竜って白く見えるし。あ、しょうがないんだよ、それは。だってボクらテュフォンの末裔だもん、比較する方が不親切だって」
一度口を開くと、いったいどこで息継ぎをしているのか、次から次へと見知らぬ子どもは彼に話しかける。
彼がほんのちょっと表情を動かしたり身動きすると、それを受けて彼の言いたいことを拾い、それでいてずっとしゃべり続けている。
あまりにもくるくる回るその舌さばきに彼が目を回していると、子どもぱちぱちとその青い目を瞬いた。
「なあに? ボクって相当しゃべるから。目、まわっちゃった? でも慣れてもらわなくちゃ、だって長い付き合いになるんでしょ? ボクと君で将来夫婦になるらしいし」
彼は固まった後、目の前の子どもを上から下まで眺めて、それから今現在の彼のできる限りで精一杯の威嚇をした。
四つの足でしっかりと踏ん張り、羽を最大限広げ、そして歯をむき出して目を怒らせる。
――まあ、彼がやっても大人と違って全く迫力はなかったが。
おしゃべりな相手は彼の態度にびっくりしたような表情になると、あわてて彼をなだめようとする。
「あっ、ごめん。あのねあのね、別にそんな風に警戒することはまったくなくて――。そんなシャーシャー言わないでってば、父上に見られたらボクが怒られるんだから。あ、でもボクのせい? ――うん、ごめん、ボクのせいだ。だから順番に説明するからやめて、その警告音。
ええっとね。ボクの名前はエッカ。で、父上はテュフォン。君をここに連れてきたおっきくて黒い竜がいたでしょ? あれがボクの父上なんだ。
それで、君はね、父上が引き取ることにしたんだって。つまり、ボクの父上が君の父上にもなって、ボクらはこれから兄弟になるってこと。ここまで大丈夫?」
正直大丈夫ではないが、一応目の前のこれは敵ではないのだということは最低限把握して、彼はいったん羽をたたむ。
エッカと名乗った子どもはほっとした表情を浮かべると、再び笑顔を浮かべた。
「ボクらはテュフォンっていう黒龍の子孫の一族で、由緒正しいお家なんだよ。
ボクの上に兄上と姉上がそれぞれ一人いたけど、もう成人して遠くに行っちゃってる。まあたまに顔を見せに帰ってくるから、その時紹介するね。
それでボクは父上の三人目の息子なんだけど、一応跡取り息子ってことになってるのね。あ、なんでかは聞かないで。ボクも知らないから。強いて言うなら父上の独断と偏見? まあいいや。
それでね、君ってただでさえ、白子みたいな見た目してるし、結構ぼーっとした性格みたいだし、よくこけるし、割と見てて心配になるよね。だからね、ボクが父上から、きみのお世話を頼まれたってわけ。それで父上曰く、あんなどんくさい竜はきっと大人になっても貰い手が見つからないだろうから、お前が娶ってやってしっかり面倒を見ろって――。
ちょっと、そこまで不満な顔しなくてもいいんじゃないの!? これでもボク、結構優秀だよ! きみのお世話だってちゃんとできるって、安心してよ!」
彼があきらかに嫌そうな顔をすると、エッカは心外だ、とばかりに羽をばさばさと動かす。
「それにね、別にボクも父上も強制するつもりはないから、嫌だったら断ってもいいよ、もちろん。最低限君の面倒は家で見るつもりだけど、どうしてもここを出たいって言うならそれもいいし、雄になろうが雌になろうがかまわないし、ボクじゃなくてほかにいい人ができたらその相手と番えばいい。つまり君は自由ってこと。オッケー? 何でもしていいんだ!
あ、ただし死ぬのはやめてね、父上泣いちゃうから」
彼はやっぱりぼーっとした顔で一生懸命エッカが説明するのを聞いていたが、わかったようなわからないような気持になりながら首をかしげる。
するとエッカは彼に言った。
「でもね、このお家にいるのが一番いいと思うよ。だって、ここにいる限り誰も君の事傷つけないし、おいしいものは食べられるし、さびしかったらボクも父上も母上もいつでも一緒に寝てあげるよ? どう? 一緒に住もうよ。君、お父さんもお母さんも空に帰っちゃったんでしょ。一人ぼっちはよくないって」
彼はエッカに言われて思い出す。
遠い遠い故郷――。
食欲に負けてうっかりこんなところまで来てしまったが、あそこにもう一度帰りたいかと言われると、そこまでの執着はない。
母親がいなくなってしまった今、どこに行っても同じこと。
だったらこの気持ちのいい寝床で寝たいし、おいしいものを食べさせてくれるというなら素直に言うことを聞く気になる。
だから彼は、期待に満ちた目をしているエッカに、ここにいたいと思う、と言う。エッカはその言葉を聞いてきらきらと青い目を輝かせた。
「そう、それがいいよ! うれしいなあ、ボクと同じくらいの年の竜って少ないから。でも兄弟ってことは、どっちかが上でどっちかが下になるわけだけど――。
何その眼。いいよ、わかったもん。じゃ、君が兄上でいいってば。ほら、これでうらみっこなし。これからよろしくね、兄上」
エッカは彼の両手を小さな両手で器用に握るとぶんぶんと振り回す。
彼がぐるぐると目を回している間に、エッカは親愛の情をこめてか彼の肩の辺りを優しく噛んだ。
彼はやがて、辛抱強く彼のお返しを待っているらしいエッカに、よろしくエッカ、と声をかけ、同じように肩に噛みついた。
エッカは喜んできゃいきゃい声を上げ、何度も小さな翼を羽ばたかせた。
こうして彼には、やたら口数の多い、エッカという弟ができたのだった。
無性別は便宜上全部、彼、兄弟、などで統一してます。
さすがにそれ、呼ばわりはちょっと違う気がするので。