皇太子のお願い
いまだかつて、このようなことがあっただろうか。いや、ない。
親馬鹿が馬鹿を発動する子どもの前で、ここまで恐ろしい顔をしていることなんて。
重苦しい中、現実逃避気味に周囲は考え、ちっとも逃避していないことに気が付いてさらに空気を重たくする一因となる。
王は着替えも済ませて一見ひどく落ち着いているものの、愛娘を前にどこか悲壮な冷気を漂わせている。
対する皇太子は、さてどうしたものか、と王に比べると至って平常通り落ち着いているが、彼女の一言にこれからの周囲の胃痛がかかっているのだ。
これが穏やかでいられようか。いや、胃痛で済めば軽い。城下の人たちの生活、はては魔界全土の住民の生活がかかっている。
頑張れ皇太子。お願いだからなんとかこの場を治めてくれ。
そんな念を儚くこめて、控えている彼らは待つ。
何しろ彼らは今現在人払いされ、親子の話が聞こえない程度の距離から遠巻きに気配だけ窺っている。本当に、ただ期待を込めて待つことしかできないのだから。
――ああでもなぜだろう。あまり期待できない、期待しない方がいい気がしてきた。彼女のあの顔、どう考えても一回はやらかす覚悟をしている。
王もその気配を察知しているからこそ、なんだか落ち着かなくそわそわと瞳をさまよわせているのだろう。
こっそりと二人を見守りながら、彼らは互いに身を寄せ合っていた。
そんなことを知ってか知らずか、リリアナは考えている。
「……陛下」
しばらく視線をさまよわせていたリリアナが口を開くと、王はぴくりと一瞬身体を震わせた。正面から彼女の顔を覗き込み、そして息を吐く。
「どこから話したものか、考えていたのですが。まずは一通り私がお話して、陛下が何かさらに気になることがあったらその後質問していただく、それでよろしいでしょうか」
「……構わんよ。お前の思うとおりに、話してくれ」
では、と皇太子は語りだす。
「覚えていらっしゃるでしょうか、陛下。200年前、物心ついて間もない私は今よりさらに扱いにくい子どもでした。誰に対しても心を閉ざし、疑心にまみれ、城の奥に閉じこもっていた。
そんな私に、あなたが少しでも気が晴れるようにと何人も遊び相手を連れてきてくださいましたね。そして私は、白い子竜に会った」
王は無意識なのか、うっすらとうなずく。皇太子はいったん区切ってから、続けた。
「子竜は、陛下。私にうそをつきませんでした。それに、とても幸運なことに、私と一緒にいることを嫌がらず、私の事も拒絶しなかった。
……本当に、嬉しかった。初めて友達と呼べる相手ができて。偽りなく、私を好きだと言ってくれる相手がいてくれて。
ただまあ、あいつのことは女の子だとばかり思っていましたから、さすがに、男になるから伴侶になってくれと言われた時は驚きましたけれど」
うんうんと穏やかに回想していた王が、途中からの内容に目を剥いてあからさまにむせるが、リリアナは話し続ける。
「ええ、言われたことは事実です。そして、私がそれに対して返事をしたことも」
「な、なんと?」
とりあえず最後まで落ち着いて聞こう。そう思っていた王だが、思わず目を吊り上げて尋ねてしまう。
しかし、リリアナの方は至って落ち着いていた。
彼女はしっかり視線を合わせて答える。
「もしも立派な男になって戻ってきたら、伴侶になろう。確かに私はそう言いました。籠り前の彼とは、そうやって別れました」
「パ、パパは聞いてないぞ、そんな大事な話――」
王は唖然と目を見開く。空気が若干吹雪いてきたため、遠巻きに窺っている周囲は、今仕掛けられたのか、その効果やいかに、と戦々恐々としているが、渦中にいるリリアナは苦笑いするかのような顔になった。
そりゃあ言ってないからね。だって言ったら色々被害が出そうだったから。まあ、それだけが理由ではないけれど。
心の中に浮かんだ本音は黙っておき、別の言葉を紡ぐ。
「私にもわかっています――わかっていましたよ、そんなことは無理だってことくらい。だって当時の彼はあんな様子でとても約束が果たされるようには思えなかったし、それ以上に私は、陛下の娘ですから」
フィーバーしかけていた王の頭が一気に冷える。まあ落ち着けよ、と特大の氷を頭上からかぶせられたかのような効果だった。
娘の目は、どこまでも暗く悲しい光を放った。
「けれど、子どもの私は戯れに夢見ました。この小さな竜が、いつか長じて、私の隣にいてくれないかと。本当にそんな風になったら、どんなにか幸せだろうと」
「リリアナ、だが、その――。お前が戯れだったとしても、向こうは本気にして、ここまで来たのだぞ。どうするつもりなのだ」
父がおろおろと言うと、娘は急に穏やかな笑顔になった。
王と、そして声の聞こえない遠くからそっと見守っている一同ははっと息をのむ。
「ええ、お父様。あなたのおっしゃる通り、戯れでしたよ? けれど私なりに真剣で、心をかけた戯れでした。
……ずっと黙っていて、驚かせてしまったことは本当に申し訳ございません。けれど、下手にあなたや誰かに何か言って、気を利かせてほしくなかったのです」
王が気まずそうに一瞬目をそらす。確かに事前に知っていたら、それこそ気を利かせてやんわりテュフォンを介して断りを入れていただろう。彼は少しでも、娘に苦労してほしくなかったのだから。
リリアナはすっと、いつもの凛々しい顔に戻った。王もつられて、きりりと表情を引き締める。
「ですから陛下、お願いでございます。どうか彼を、近衛に推薦してくださいませ。私は彼に、きちんとした実績を重ねてほしい。そして、ゆくゆくは、きちんと伴侶として迎えたい。側室や愛人ではなく、唯一の夫として。娘としてだけではなく、皇太子としても、私は彼を配偶にほしいのです」
「――わかっているのか。その方が、お前が苦労するのだぞ。
ただでさえお前は周囲から反発を受けやすい。その容姿も、そして、身分よりも実力に重きを置く考え方もそうだ。
この上竜を伴侶に迎えるなど、いったいどこまで茨の道を突き進めば気が済むのだ。
それも、お前はあの男を王配として望むと言うのか。だとしたら、向こうの負担もとんでもないものになる。はたして投げ出さずにいられるものか」
「ですから、チャンスを下さい。彼と、そして私に。途中で終わってしまうようなら、それまでです。――お父様、どうか。私たちに、最初のチャンスを頂きたいのです」
魔王はしばらく黙りこんだ。立派なマントをもてあそびながら、じっと考え事をしている。父として、王として。彼はやがてじっと見上げている皇太子に、言葉を選びながら、話し出す。
「……正直、気乗りはしない。王としても、父としても。
だが、お前はリスクを十分に分かったうえで、強く望んでいるのだな。ならば、そうとも、チャンスを与えよう。
ただし、リリアナ。わかっているな。我も、いくらお前の望みだとしても聞いてやれることには限界がある。
確かにあの男が近衛になることは許そう。だが、お前に、城に、そして本人にとってふさわしくないと感じたら、いつでも里に追い返すぞ」
「お父様……!」
父の言葉を聞いてリリアナが一瞬、ぱあっと顔を輝かせた。
すぐさま気が付いていつもの取り澄ましたそれに戻ってしまったが、その笑顔を見て心から嬉しく思う一方、王は複雑な思いに駆られた。
物心つくまで、娘は自分にべったりだった。
臆病で敏感な子どもだったから、赤ん坊の時分はよく魔力を暴走させてはパニックに陥っていた。
どうすればいいのかわからずに泣いている彼女を抱きしめてあやしてやっていたのは他の誰でもない父だ。
それが、ある日突然父親を突き放すようになった。確かにその頃には驚くほど物覚えのいい彼女はすでに自分の力の制御の仕方をマスターしており、もう父以外の誰かと一緒にいても相手をうっかり苦しめてしまう可能性はだいぶ低くなっていた。
父を遠ざけて周囲とのかかわりを望むようになったと言うのなら、早すぎる気がしないでもないし寂しいが、親離れなのだろう。それなら理解できるし受け入れられる。
だが、父を遠ざけた彼女は使用人や近衛兵すら深く拒絶し、城の奥深くから出て来なくなった。
まるで、殻の中に閉じこもってしまったかのように。
王にはわからなかった。
今までなら、愛していると言えば、彼女はくすぐったそうに笑って、パパ大好き、と返した。
それなのに、いつからだろう。なぜ、娘は悲しそうな目をするようになったのか。
なぜ、自分に怯えた目をするのか。――笑顔を見なくなったのは、いつからだ。
なんとかして、そこから連れ出してやりたかった。幼いころの自分の姿が重なる。そう、自分もいつも、父に反発しながらおびえた目を向けていた。
――このままでは、取り返しがつかなくなる。
焦燥に駆られ、では自分はどうやって殻から出てきたのかと思い出す。
――そうだ。そんな自分を救ってくれたのは、友だった。
今は亡き最初の側近、彼が心から自分に仕え、支えてくれたからこそ、なんとかあの時の自分は立ち直れた。
ならばと思い、必死に彼女の友になりそうな子どもを集めてきた。
しかしそのほとんどは、そもそもリリアナに会うことすらできなかった。
会ったとしても、気難しい彼女が心を開く相手はいなかった。
だから白い小さな子竜の話に娘が興味を示したとき、これはもしやとピンと来た。困惑するテュフォンに頼み込んで連れてきてもらった子どもは、しかし予想外になんというか……そう、貧弱だった。
これはいじめられて泣いて帰ってくるんじゃないかと若干心配しながらも送り出してみれば、これまた予想外に娘が大喜びで帰ってきたものだから、もういろいろ感極まって号泣してしまった。
そう、だから、嬉しかったし、感謝したその気持ちは本物だ。確かに昔は娘の次くらいに、子竜を可愛がっていたような気もする。
だが、それは、あくまで子竜は少女だと思っていて、友だと思っていたからだ。
あれが男だったらもっと早くから警戒していた。
自分の知らないところで結婚の約束まで交し合っていたなんて聞かされて、はいそうですかとあっさり認められるわけがない。
大事な大事な一人娘を任せる男なら、すべてにおいて頼りになり、任せられるような者でなければならない。
つり合う男がいなければ独身で過ごさせようとまで思っていたのに、まさか本人に先に約束を取り付けているとはどういうことだ。
しかも男に口説かれるのをあれほど嫌っているリリアナが、まんざらでもなさそうな顔をしているとは、どんな口上を使った。
何も考えていなさそうな顔にしてやられたが、相当の策士なのか。
ただでさえリリアナが連れてくるあれらの奴等にも手を焼いていると言うのに、姫を守る立場であった貴様が一番の敵であったとは。
おのれ、シーグフリード=ティア=テュフォン。
良いか、リリアナが言うからお前の事を近衛には取り立ててやるが、伴侶になりたいと言うならそれ相応の覚悟をしろ。
我は少しでもダメだと思ったら、絶対に認めないからな。化けの皮があるなら、暴いて剥がしてやる。テュフォンどの、すまぬが容赦はせぬぞ。
――これは父親の義務だ!
静かに決意をする王と、なんだか無表情を装ってはいるが嬉しそうな皇太子。
とりあえずなんとかはなったようだと、見守る外野は互いにそっと手を取り合って喜んだ。




