お茶と一息
派手な音に一気に緊張が高まる。
はっと皆が気が付いた時には、やっぱり悲惨な音を立てて割れた皿の残骸たちと――そしてより悪いことに、頭から紅茶を被ったらしい王が動きを止めていた。
運悪く、給仕の一人がちょうど、彼のカップに注ごうとしたところでティアの一連の爆弾再投下があり、彼も注ぐ一歩前で呆然としていたところ、王が急に立ち上がってバランスを崩し――結果としてその辺全部をひっかけたらしい。
ぽたり、ぽたりと王の頭から顔、顎にまで落ちてきた水滴が滴る。
「も、申し訳ございません!」
真っ青になってかろうじて謝罪の言葉を発する給仕の言葉に、一気に場は動き出す。
慄く彼の同僚たち、殺気立って近づいてきた近衛。室内がざわめき、一気に混乱に陥りそうになっていた。
「喚くな、それでもこの場に控えることを許されたものたちか!」
その時、凛と放たれたリリアナの一言が一同を我に返らせる。
彼女はすっと立ち上がると周りを牽制するような鋭い目で見渡し、それから打って変わって穏やかな調子で王に声をかける。
「お父様、お怪我はございませんか」
「……ああ、大事ない。驚いただけだ」
王も娘の声に立ち直り、傍らで震えている給仕の男に声をかける。
「お前も怪我はないか。随分派手にやったようだが」
「いえ、自分は。――それより陛下が。どうか、罰を。いかなる処分でも甘んじてお受けいたします」
「知っておるだろう、我はめったなことでは傷つかん。この程度何の問題もない。元はと言えば我が急に立ちあがったせいもあるだろう。
それとパーシー、その物騒な構えは止せ。大事ないと言うたであろう」
ため息まじりの微笑みを向けられた近衛の男は憮然とした表情だった。一瞬前までは剣の柄に手をかけていたが、居住まいを正して向き直る。
「御無事なら早く、そうと言ってくださればいいのです。反応がなかったのでまさかと思ったではありませんか」
「――色々と虚を突かれてな、混乱した」
「それで、この男はいかがいたしますか」
「まあ、さすがに何もないと言うわけにはいかぬであろうが。そうさな、侍従長、任せても良いか」
「陛下、私の監督不行き届きのせいにございます。どうか私めにも、処分を」
「お前がそれを言い出したら、我はこの場のほぼ全員を処分しなければならなくなるのではないかな。今後の政務に支障が出そうであるし、あまりいい策だとは思えないぞ。どうしてもと言うなら、考えてはおくが。
――ああ、それは自分でやる。貸してくれ」
いつの間にか散らかった場の片づけを指示し、てきぱきと侍従たちを動かしている横で王のそばに控えていた男は、王に言われると用意していたタオルを渡し、一礼して近衛の男としょんぼりしている給仕の男と下がっていった。
ひとまずそれで顔を拭いてから、王はリリアナの方を向いて苦笑する。
「リリアナ、お前にも心配をかけたな」
「大事なくてようございましたが、陛下、まずはお召し替えを。そのままだとひどい有様ですから。客人とは、その後に改めてお話いたしましょう」
「……そうだな」
王は早口に言われてティアの方を見やる。この一連の騒動の中、男は微動だにせずにじっと二人を――いや、リリアナを一心に見つめている。
「――すまない、とんだ騒ぎを起こしてしまった。この有様ではひどいからな、一度出直してくる。悪いが誰か、客人を控えの間に連れて行ってくれ」
しかし、慌てて寄ってきた侍従たちに声をかけられても、相変わらず男は動かない。再び空気が硬くなりかけて――リリアナが声を上げた。
「行くんだ。あとでゆっくり話せる。大丈夫だから」
それは彼女にしてはとても優しく、甘い柔らかな調子のものだった。
――そして王は思い出す。100年前も、彼女が彼にそうして声をかけていたことを。彼女が言うと、安心したように子竜が動き出すのを。
男は一度瞬きしてから、二人に礼をすると、彼を案内しようとする侍従におとなしくついていった。
王が何か言う前に、娘は振り返る。
「私からも陛下に話がございます。どうか最後まで聞いていただけますでしょうか。――先にお着替えを済ませてからに、なるでしょうが」
そんなことがあった少し後、侍従たちの使う部屋の一つに、辺りを見回しながらメイドが戻ってきた。
彼女は慎重に入ると、室内で朗らかに手を振る赤茶色の髪の優男に思い切り嘆息した。緑の目を細め、ヒューズは陽気に声をかける。
「うまくいきましたか?」
「肝が冷えました。まったくなんてことをしてくれたのですか」
「それが答えと言うことは、ひとまず皆様頭が冷える状況には持って行けたわけですね」
「冷えたと言うか冷めたと言うか、一部は一瞬沸騰したんじゃ。
にしても、持って行き方が、もう少しなんとかならなかったんですか。まさか、わざと慣れていない給仕を配置しておいて、しかもタイミングを見計らって転ぶように物を転がし、陛下の頭からお茶をかぶせるなどと――。
悪いことをしましたよ、あの新米さんに。それに侍従長にもたぶんばれてるから私怒られる、ああああ……」
彼女は真顔で喜怒哀楽を表現する侍従長の怒の顔を思い浮かべて身を震わせる。
本来ならあの場で茶を注ぐ役は彼女のものだったが、直前に裏からヒューズの連絡を受けた彼女は急遽腹痛を起こして代わってもらったのだ。
――が、皿がひっくり返った瞬間こっちに飛んできた視線、たぶんもう仮病は見抜かれている。
正直に謝ったところで許してもらえるだろうか、ああ怒るのはもうしょうがないから体罰はご勘弁願いたい、なんであの人基本的に肉体派なの、侍従長なのに、と遠い目になる彼女にヒューズはそしらぬ顔である。
「ま、侍従長、近衛長あたりにはばれてるだろうなあ。
本当なら息子にやらせようかとも思ったんですけど、それだとさすがにあからさますぎるし。ヘタすると、どこぞにまぎれるか隠れるかしてる密偵に阻まれる可能性すらある。あの辺にいるのは大体もう僕の事知ってますし、それでいて妙に頭が固いからな。
それとね、新米だからこそ、寛大な陛下ですから多少のミスは許してくれるんですよ。これがベテランだったらどうです、たとえ陛下が許してくれたところで、自分から首を吊りかねません。
それに、君本人にやらせなかった辺り、一応これでも少しは気を遣ったつもりなんですが――なーるほど? そんなにされたかったんですか、おしりぺんぺん。いやあ、それは悪いことを!」
「いやですっ、絶対! ていうか、なんで知ってるんですかっ!」
しれっと恐れていた侍従長の教育的指導を言われ、メイドはそっと一歩距離を開ける。
被害者以外は基本的にその恐怖の制裁を知らないが、彼女が言った覚えがないということは、たぶん最低限一人は彼女の同僚に吐かされた犠牲者がいる。
――侍従長も怖いが、この男も同じかそれ以上に怖い。どこからどうやって聞いてくるのか、彼に知られていない情報はないと言った方が正しいくらいだ。
はー、とわざとらしく思い切りため息をつく音が聞こえてそっちを見ると、ヒューズの近くに行儀悪く足を組んで座っている下働きのニコがいた。
「基本的に、発想がゲスいんすよ、会長は。
なんすか、お茶ぶっかけて強制的に引き離させるって。
同じ事やるにしても、殿下にやっとけばまだセーフじゃないすか、事情わかってるし。ていうか先に俺っちたちにフォロー求めてきたの殿下っすし」
「殿下にやったらそれこそ取り返しつかなくなるでしょ、お馬鹿さん。あの新米さんが二度とお仕事できなくなっちゃいますよ。
――いや、下手するとあの場の全員帰れなくなるかも」
「冗談でもやめてください、そんな恐ろしいこと。おしりぺんぺんが軽く思えるレベルですよその惨事は!」
メイドが声を震わせ、ニコはううむ、と唸る。
「だったら客人の方――そうっす、あいつにやっちまえば一番角立たなかったんじゃないっすか?」
「あのねえ。客人がどれだけ暴れたって、あの場のみんなで取り押さえちゃえばなんとかなるでしょ。
大体あの男はおそらくリリアナ様が一言言えばおさまりますし。
問題は陛下の方ですよ。ただでさえ近衛云々の時点でもう一度切れかけていたのに、ダメ押しするんだもの。まったくあのアホめ、おかげでリリアナ様が一瞬不穏だったぞ」
「え、まさかとは思うっすけど……」
ヒューズはふっとどこか黄昏た表情になった。
珍しいこともあるもんだなあと思っている下働きに彼は答える。
「僕が間に合わなかったら、リリアナ様ご本人が仕掛けてましたね。
そうしたら近衛や侍従はともかく、当然陛下は気が付くし、今頃親子会議がさぞかしぎくしゃくした状態になっていたんじゃないでしょうか。パパよりもあの男の方が大事なのか! 的な。
感謝してくださいね、殿下。空気を読める部下がここにいてよかったでしょう!」
「ああ、その状態なら、火に油っすね」
「それにしても、納得いきません。なぜ殿下は、あの男にそこまで肩入れするのでしょう?」
その言葉には、ヒューズは肩をすくめただけだった。
ノーコメント。
つまらなそうな顔をしたニコとメイドだが、不意に辺りが騒がしくなる。
「……さて、休んでいられるのはこのくらいですよ。まだまだ修羅場は終わっていないんですからね」
会長の一言に、メイドははい、と言うと今一度しゃきんと仕事モードの姿勢に戻り、扉を開けて持ち場に戻っていった。




