第四試合
男が剣を薙ぎ払った瞬間、彼はとっさに後ろに飛びのいた。びゅうん、と風を切る鈍い音。間髪入れずにもう一度、今度はさらに踏み込みながら大剣が迫る。
(あれは受けてはいけない――)
とっさに感じたその直感を頼りに、彼は今までのように防御するのではなく、ひたすら回避に徹していた。
あの剣からは嫌な感じしかしない。あんなに大きいのにだいぶいい切れ味のようだし、何よりさっきから降るたびにうっすら発光するのが気になる。
だけど相手の獲物は大きい。大きいものはリーチも長いし当たると危ないが、逆にかわされてしまうと必ずどこかに隙ができる。
男が薙ぎ払いから、大きく振りかぶった。
(ここだ!)
彼はそれもかわすと、地面に剣を叩きつけた男の懐に飛び込もうとして――ばちん! 衝撃が走り、彼はうめいて飛び退った。
「――ふむ、確かに、それで正解ですな」
空いている左手を彼に向けながら、剣を持ち上げ男は言う。そのわき腹に彼の一撃が確かに当たったような跡があるが、大して気にした風ではない。
「だが、甘い」
再びかかってくる男の一撃を、転がってよける。
(くらくらする、さっきのには電撃も入ってたか。だけど、今までは大してきかなかったのに、どうして――)
彼は立ち上がって走りながら考える。男も走りながら攻撃してくるが、先ほどの衝撃のせいか彼の避け方はよろよろと危なっかしい。会場が喝采に包まれた。
彼は必死に目を細めて相手をにらむ。
見えろ、俺の目! 相手の魔法を、魔術を!
彼の目は、やがていったん動きを止めた相手の簡素な鎧に、いや、男の全身が何かに包まれているところまで見抜いた。
(そうか、自分に魔術を。
今までの相手は、こちらに直接魔法や魔術を使ってきていた。それは大して効かない。
竜の身体はそう言ったものに頑丈だし、何より俺は攻撃されることに慣れてる。
けれど、この男は自分への補助や防御に――いや、回復もだ! さっきの脇腹、もう元に戻っている)
再び薙ぎ払う男の剣線が光ったのを見て、さらに捕捉する。
(しかも、エネルギー切れになりにくいよう、当たる瞬間だけ力を込めてる。同じ技、同じ術なのに、使い方が違う!)
考えてみれば、未成年のころの特訓はいつも防戦していたのは彼の方。攻め込んだ経験は少なく、ましてや成人してからの相手は――。
(いや、十分だ。攻めの経験ならある。俺にはエッカがいた!)
彼は成人してから、エッカとじゃれあった日々を思い出す。
妹からかかってくることもあったし、彼が追っかけっ子の延長で仕掛けることもあった。
まあ、子どものころからの癖のようなものだ。それにじゃれあいと言っても互いにもう立派な竜、けっこう本気の乱闘になったこともしばしばある。
今の彼は妹に負けることこそないものの、小さいころ同様妹は彼を出し抜くのがうまい。勝負は大体引き分けで終わることが多かった。
(そう、エッカと同じだ。もともとの能力もそれなりにはるけれど、それ以上に、自分の身体、自分の持ち物、武器を熟知している。それにあいつは、俺のことだってよく知ってる!
大丈夫だ、この男より、エッカの方がずっと手ごわい。何度かやり返されたこと、思い出せ)
飛んでいくエッカがいきなり首を返して火を吹き、それに目がくらんで落ちたこと。あえて尻尾を噛みつかせてその間に首をとられたこと。
笑いながら、エッカは彼に言う。
「兄上ったら。そんなんじゃだめだよ。忘れちゃったの? 父上が昔話してたじゃん」
(思い出せ、エッカは、父上は、なんて――)
「勝とうとするのがいけないんだってば。力みすぎなんだ、兄上は」
はっと彼は気が付き、方向転換して振りかぶってきた男の懐に飛び込んだ。ばしん、と再び衝撃があるが、男の脇腹に打ち込む。
衝撃は来るとわかっていればそうたいしたものではない。
(そうだ。大したものじゃない――)
彼の目に何か感じたらしい男が、勢いよく気合を発しながら叩き潰そうとしてきたのを、彼は両手ではさむようにして受け止めた。
「おお、白羽どりだ!」
観客席がざわめき、再び大歓声が起こるが、彼はそんなものに構ってなどいなかった。
触れた手が案の定燃えるように熱く、じゅうじゅうと肉の焼け焦げるにおいがする。それに男が呪文を唱えるたびに剣が重くなり、みしりと音を立てながら足が地面に埋まっていく。
だが、これを離したら自分が真っ二つだ。どっと汗が噴き出てかみしめた歯が軋る。
「およしなされ。耐え続けるにしろ途中でやめるにしろ、けがをしますぞ」
彼を気遣うような言葉をかけながらも、男はさらに手に力を込める。
――が、彼は笑う。
(――いや、これでいい)
すると、相手が大きく目を見開いてふっと笑う。
「――なるほど。では、勝負!」
彼を切ろうとする男と、剣をとどめる彼。
両者のすさまじいにらみ合いに、観客も息をのんで展開を見守る。
(――そうだ。勝ちになんていかなくてもいい。俺はいつだってこう、やられて、それに堪えてた。打たれ強さと我慢強さ、それならだれにも負けない)
男が息を吸ってから、気を発しながら片手の剣を両手に、しっかりと踏み込む。
彼の方も汗だくだったが、今は相手も同じ、しかも次第に息切れしてきていた。
(そう、それを待っていた。確かに使い方はうまいが、見ていて気が付いた。そうでもしないと、あんたはもたないんだ。
この剣は効くが、効果があるってことはその分相当な力を注いでいる――注ぎ続けていれば、一気に終わりは来る。
だけどこの状態、あんただって引くわけにはいかない。引いたら俺が剣を奪って、あんたに一撃を叩き込む!)
両手が、両腕が、肩が、全身が。痛みに、衝撃に悲鳴を上げる。
(大丈夫だ。この程度、よけそこなって腕を吹き飛ばされた時に比べたら! まだちぎれてない、全然大丈夫だ! それにもし千切れたって、休んでれば生えてくる!)
やがてわずか、ほんのわずかだが、剣に込められている力が鈍る――。その瞬間を、彼は見逃さなかった。
そこまでほんのわずかにためてきた、ありったけの力を込めて身体をひねる。男は必死の形相で耐えようとしたが、疲労のせいかその手元が緩む。
「あああああああああ!」
彼は怒号のような吠え声をあげながら、男から剣を奪いとった。
そのままそれを後ろに放り、間髪入れずに男にとびかかる。そのほんの一瞬、彼の耳は確かにその音を聞いた。
――ティア!
瞬間、全身が反応してすべての力が一瞬にして戻る。
男が左手をかざしたが、彼は構わず振りかぶった。
ばきり。
骨の砕ける音がして、彼は息を切らせながら相手の喉寸前で手を止めていた。
男が防御か最後のあがきかで彼にかざそうとしていた左手は、その通り道にあってしまったおかげか、籠手ごと完全に砕かれていた。
闘技場が静寂に包まれてから、爆発のように歓声が上がる。
「――お見事でしたな」
男は審判が勝負の結果を告げると、ふっと笑う。
「いやはや、あなたが剣を受け止めた時、すぐに気が付いてふり払わなければならなかったのだ。全力を出せば押し切れると思ったが、はは、獣人混じりはいろいろと中途半端ですからな。
それにしても、あの剣をヒトの姿で耐え抜くとは、恐れ入った」
彼がはっと気が付いて男に手を差し出すと、男はくしゃりと微笑んだ。
「――どうもありがとう。あなた様と戦えて、私は嬉しかった。心からお礼申し上げる」
「こちらこそ、あなたは手ごわかった。それに左手を、ひどい有様にしてしまった」
「おや、労っていただけますか? まあなんというか、自業自得なので気にせんでくだされ。どうも戦いにおいて私は頭に血を上らせやすく、相手が力比べを挑んでくると嬉しくてついつい乗ってしまうのですよ、ははは」
助け起こされた男は、そのままぎゅっと彼の右手を右手で握る。
「……今回の優勝はあなた様でしょうな。いやはや、これでヒト型なのだと言うから、黒龍はほんに恐ろしい。先代がなぜ竜殺しなんてできたのか、本当に疑問ですよ」
彼は微笑む男の手を、しっかりと握り返した。




