閑話:訪れの報せ
広い王城の中を、一人の男が歩いていく。
曲がり角を曲がると、そこでおしゃべりをしていた魔人たちがはっと彼を見つめる。礼儀正しく会釈をした彼が通り過ぎるを見送り、さらにおしゃべりは活発になった。
誰かとすれ違うたびに、相手は彼のことを見てぎょっとした顔をした後、いなくなったのを見計らって何事かを熱心に話し込む。
男は小綺麗な文官風のなりをしていたが、その容姿は恐ろしく整っていた。赤みがかった茶髪に緑の目、角がないが、尻尾もないので魔人だろうと思われる。
彼にきちんとした名前はないが、それでは不便なので主は彼の事をヒューズと呼ぶ。王城の人々はこの派手な容姿の男の動向に、最近は特に注目している。――この男こそ、城下や各地に勝手に遊びに行く殿下の最初の「拾い物」なのだから。
数人の使用人の横を通り過ぎたところで、歩き続ける男はふと、唇が動くか動かないかの小声で独り言をつぶやいた。
「何を喋ってる?」
すると、少ししてから知り合いの声が男の耳に届く。
「王のところに竜が来たって」
「テュフォンか? わざわざ話題に上るってことは、何ぞ目新しいものでも持ってきたのか」
「うん。なんか、息子たちが無事に成人できたから挨拶に来たらしい」
「ほほう。で、息子たちの詳細は」
「そこまでは。陛下の侍従たちは口が堅いからね。でもなんか、謁見が終わった後の陛下、あんまり機嫌よさそうじゃなかったってよ」
「ほう?」
男はくいっと眉を上げる。ちょうどまたヒトが現れたのでいったん黙ってから、誰もいないところで再び彼は話し出す。
「ほかには何も?」
「それ以外は特に。あ、そうそう、ヒューズは相変わらず美形でミステリアスだってさ。ご令嬢、ご婦人たちはあんたに夢中。一人ぐらい相手にしてやったらどう?」
「……さてはもう腹が減ったのか。相変わらず燃費の悪いやつめ」
「せーかーい! おなかすいたよー、パパー」
急に甘えるような口調に変わった相手の声に、男はまたため息をつく。
「王城では止せ。そんなに食いたきゃ町に行って来い」
「わーってるよーだ。でもここのやつら、力はあるけど貧弱で頭空っぽ、いつも暇だ暇だって言っててさあ。協力してやるのはどう? 特上の夢を提供するさ、何せ俺らは――」
「感心しないね。お前はどうも、手近なところで済ませたがる」
「パパ上の教えを忠実に守ってる出来のいい息子だから」
相手が笑いを含んだ声で言うと、こちらもふっと笑った。
「その認識は持っておいて損はない。まあそう尖るな。野生には野生の、ペットにはペットの幸せがある。ここの生活だって、慣れればいい気分になるさ。――とにかく城内での捕食は禁止だ。破ったら処分する」
「だったら城下に行く。――ねえパパ上、城下だったら、少しくらい身分の高い相手でもいいかな?」
「跡を残すなよ。怖いお方のご機嫌を損なわない程度にな」
「任せて。それじゃあ、パパ上。いい夢を――でなければ、甘美な悪夢を」
相手の気配がふっと消えると、男は束の間立ち止まって一人ごちる。
「違うね。寝ても覚めても悪夢。我々にいい夢なんて一生訪れない。――まったく、まだまだ青い奴だ」
一瞬だけ、うつむいた男の目の色が虹色に変わった。が、再び歩き出した時にはもとの緑色に戻っている。彼は今度こそ、入り組んだ城の中を、目的地に向かって最短ルートで歩いていった。
「殿下、いらっしゃいますか」
案の定書物がぎっしりと詰められた棚が所狭しと並ぶ部屋、要するに書庫の一角に目当ての相手は居座っていた。
主は今日も机にノルマと思われる塊を積み上げ、専用の柔らかなクッションが敷かれた椅子の上で、頬杖をついてぱらぱらとお気に入りの本をめくっている。男がやってくると顔を上げた。
「――なんだ、ヒューズか」
「どうも、僕です」
「……何の用だ」
露骨に嫌そうな顔をする彼――いや、彼のかっこうをしている彼女に、ヒューズは笑う。
「いやあ、そんな嫌そうな顔しないでくださいよ。嬉しくなっちゃうじゃないですか」
「からかいに来ただけなら追い出すぞ」
「殿下、かっかしてると身体によくないですよ。それにまた、お食事を抜きましたね。あと睡眠時間も削った。そんなことしてるから育たないんですよ、いろいろと」
途端に相手は本を閉じ、真っ赤になって椅子から立ち上がる。
「ちょっ――どういう意味だ、それは!」
リリアナの態度にヒューズはしれっとした顔で答える。
「僕が言ったのは身長のことですが、何か」
「絶対それだけじゃないだろ」
「さすがご聡明な殿下。あ、それでですね、今ふと思いついたんですけど、実は男装してるのって、ご婦人方と胸囲を比べられないためでもあるんですか? 同じ年頃のご令嬢より、明らかに小さ」
「黙れ言うなそんな目で見るな! 小さいのはまだ未成年だからだ、これから大きくなる!」
一瞬主のいわゆるぺたんこな胸元に目をやると、彼女はばっと両手でそこを隠して必死に言う。ヒューズはにこり、と笑みを深めた。
「希望的観測ですね。ですが殿下。殿下を敬愛する忠実な部下として、一つ申し上げておきましょう。希少価値というものがありまして、それはそれで需要がある! ――あ、すみません調子に乗りました、もう言いません」
相手が口の中で何か唱えようとしたのを見て、即座にヒューズは謝る。口元の動きからして、少しの間の麻痺では済まないと予測したからだ。
が、本気で怖がっているようにはとても見えず、どう見てもその頬は緩みきっている。リリアナがきっとヒューズを睨んだ。
「ば、馬鹿にして……私の秘密を……」
「馬鹿にしてません、面白がってるだけです。大体秘密ったって部下たちは、リリアナ様がご自分の胸囲について地味に気にしていることは、ほとんど全員知ってることでは――申し訳ございません、反省しております、ですからやめましょうか、その呪文は。
ああ、そうだ! ご報告することがあったので、それを聞いてからでも」
「誰のせいだと思ってるんだ! お前が言いふらさなかったら私だって、折に触れて生温かい目で見られないのに!
――それで、報告は。っていうか、あるなら先に言っておけ……」
ぐったりとうなだれる主に、男はにこりと微笑んでから真面目な顔になる。
「この前の件ですが、滞りなく済みましたのでご報告に。陛下もお喜びでしたよ。黒い噂はあっても、なかなか尻尾を出さない男でしたからね。まあ、順当に財産を没収して北部送りに」
「もう? 相変わらず早いな」
「仕事のできない軽口ばかり叩く輩だったら、お側にはあげていただかなかったでしょう」
「……仕事はできるのが、もっとも忌々しいところだってのはさて、どうしたものだろうか」
「仕事も、の間違いなんじゃないですか殿下。別にかまいませんよ、僕の事北部送りにしても。確実にスペンサー君の胃がやられますけどね、仕事量とストレスで」
「だから頭が痛いんじゃないか……」
「こんな男を抜擢した過去のご自身を恨むことですね」
男の言葉にリリアナは盛大にため息をつく。
「男? ――ああうん、今は男だな――」
「ああ、そういえばあの時はそうでしたね。まあどうでもいいですけど。時に殿下、テュフォンの息子たちが成人したとかであいさつに来たらしいですよ」
部下が何気なく言った言葉に、びくりと主は肩を震わせる。おや、と男は眉根を釣り上げた。
「どうかなさいましたか」
「いや、なんでも」
主は気にしない風を装っているが、明らかにそわそわとしている。世間では父親譲りの鉄仮面だのなんの言われているリリアナだが、ヒューズからしてみると親子ともに非常にわかりやすい性格をしていると思う。
彼の前で気取っても無為だと悟ったからこそ、普段抑えている素が出やすいのかもしれないが。
「まあ、肝心の息子たちの詳細はまだ上がってきていませんが。なんでも陛下が謁見の後に不機嫌になったとか――おや、心当たりがあらせられる模様で……」
「あっ、あるわけないだろ、何言ってるんだ!」
「これは確実にありますね。さてさて、テュフォンの息子と言えば上の二人はすでに成人済み、今度来たのは跡継ぎの末息子と昔引き取られた白子でしたか。そういえば、跡継ぎの方は今回初めての謁見のはずですが、白子は一時期この城にも通っていたとか――、なんでも、さる御方のたっての望みで――。
ははあ、なるほど。把握致しました」
「何を」
「あなたが気にしているのは成長した白子の方ですか」
「馬鹿なことを」
「リリアナ様、ご自分の癖をご存知ですか? 一つは図星だったときに一瞬詰まる癖。もう一つは考え事をするときに髪をいじる癖――ほら、あなたの右手は今、いったい何をしているのでしょうかね」
はっ! と音が付くような俊敏な動作で彼女は髪の毛から手をひっこめるが、すでに相手はにやにやと嫌な笑顔になり始めている。
「それで殿下、巷の噂の一つ、秘密の花園伝説は本当なんですか?」
「……おい、なんだその嫌な予感しかしない名前のうわさは」
「殿下が引きこもりだった時代に、一人だけ遊び相手に選ばれた子どもがいたということで。二人は子どもながらに愛を深め合ったが、どうやら殿下のお相手が魔人の貴族ではなかったために、やがて来る別れに気が付いた殿下が突き放して、失恋に終わったと――」
「いろいろと言いたいことはあるが、最初に一つ。それのどこが秘密の花園なんだ」
「え、だから、殿下のお気に入りの庭園に毎日引き込んで、悪戯してたんですよね? 近衛が様子を見に行くと、中から殿下の楽しそうな声と、お相手の懇願するような悲鳴が聞こえてきたとか――。いやあ、妄想がたぎりますね!」
「ヒューズ、至急お前の人材と能力を駆使して、今すぐ噂を広めたやつを連れてこい。二度とそんな口が叩けないようにしてやる! なんでそんな、誤解しか生まない、いかがわしい内容になってるんだ! あの時の私はまだ物心ついたばかり、相手だってまだ未成年の竜だったんだぞ!」
「なるほど、やっぱり竜の子どもを連れ込んでたことは事実なんですね」
「あっ」
リリアナは自分の失言に気が付くがもう遅い。ヒューズはふう、と息を吐いた。
「ええ、お察しの通り、半分は僕の鎌かけですよ。まあ、昔殿下のお相手をつとめた子どもがいたらしいというのは、貴族連中にも広まっている噂ですが。僕、本当に不思議なんですけど、あなたに鉄仮面なんてナンセンスなあだ名をつけたのは、一体どこのノータリンなんでしょうね」
「……秘密の花園は」
「竜の子どもと一緒に遊べて、引きこもりの時にうろつける場所は限られてますから。ヒトがいるような場所や外はもってのほか、私室はいくらなんでもプライベートだから無理、娯楽・訓練施設は貸切が確実に噂になるので殿下は好まない、書庫は相手が文字が読めないからダメ。となればどこぞの中庭か庭園かなと」
「文字なら読めるはずだ……私が教えたから。向こうが覚えてれば、の話だけど」
「ほっほーう」
ヒューズの嬉しそうな声にリリアナは顔をしかめる。
「それと一応、私が追い出したわけじゃないぞ。向こうが籠りのためにしばらく会えないと言っていなくなったんだ。……でも」
「でも? なんでしょう?」
ヒューズが問い返すと、主はうつむく。
「まさか、そんなはず……。本当に、帰ってきた? 覚えているはず、ないのに……」
自分に言い聞かせているらしい独り言を聞いて、部下はおやおや、とさらにヒトの悪い顔立ちになった。
 




