翌朝
固唾を呑んで最後になるかもしれない寝ずの番を務めた女達は、翌朝早朝日の出を少し過ぎた頃、呼び鈴の音にはっと顔を見合わせた。
「こ……これは……!?」
「……私が参ります」
「え、ええ!?」
「ではご一緒に?」
「い、いやあ……」
動揺露わな女騎士は使い物にならないと、獣人侍女は判断したのだろう。待機するように手で示し、自分一人でそっと扉を開けて滑り込む。
薄暗い室内に控えめな灯しを手に入り込むと、帳がいくらか上げられ、その下に雑にローブを羽織った男が腰掛けている。
ただ、羽織ったというか引っかけたというか、申し訳程度に肩にぶら下がっているだけで、ほとんど体を隠す機能は働いていない。
しかし、リリアナの婆が信頼し、また会長に扉の番に抜擢されるほどの女はたかが裸程度に動じなかった。獣人は変身形態を持つ分、魔人達よりこういう姿に接することに慣れている、という事情もあるのかもしれないが。
「お呼びでしょうか」
シーラが声をかけると、愛おしくてたまらない、という様子のとろけるような横顔がキリリと澄まされ、こちらに向く。
そしてすぐに、やってきた世話役の人選に安堵したのだろうか、幾分かほっと緊張が抜けたのが見て取れた。
頬を指で掻いてからそわそわと目をさまよわせ、彼にしては非常に珍しい、照れ笑いのような表情を浮かべる。
「――たぶん。終わったと、思う」
もう片方は、おそらくまだ寝台の中に沈んでいるのだろう。彼が手を伸ばしてぽすぽすしていた先から、うーんとうなり声が聞こえたような気もする。そこまで事情を汲んだ侍女は両手を体の前で組み、二人に向かって深く頭を下げた。
「昨晩は滞りなくおつとめを果たされた由、臣下一同、儀の成功を心よりお喜び申し上げます」
「ん……」
夢魔ほどの感知力はなくとも、獣人は魔人より鼻が利く。
事が成功したか失敗したか、以前の二回とは明らかに異なる部屋の空気に触れれば、あえて帳を上げて確かめるまでもない。
何より男は全身にほのかな金色の光を帯びていた。
魔力交換――その話は聞いていたが、さすがに次期魔王の膨大な力は視覚化できるほどの強さを持っているらしい。そして、それを一身に受けてケロリとしている、相変わらず頑丈な男だとここまで来ると呆れを通り越して感心する。
最大の任務を果たして幸せいっぱいの男は、しかしおかげで多少ボケていた。
「……ええと。それで、この後、どうするんだっけ?」
正式な見届け人は後で別の者が担当する。シーラの務めは、主とその伴侶が目覚められるよう、周辺を整えてやることだ。
彼女はやれやれと嘆息してから、ほのかな笑みを返す。
「とりあえず身を清めていらしては? お召し物をご用意いたしますので」
指摘されてからようやく、そうだこの部屋には洗い場があった、ということを思い出したらしい彼が姿を消す。
侍女はまず隣室に移動し、音を立てぬよう注意しながらカートを引っ張って戻ってくる。
水音がするのを確認して脱衣所に入り、ローブを回収してくる。服やタオル等、着替え後のセットは事前に設置済みだ。念のため一通り揃っていることを目視で確認してから、回収物をカートの籠に放り込んだ。
それから寝台の中を覗きに行く。
うつ伏せで枕を抱えている主は、金色の髪をくしゃくしゃにして寝入っていた。
こちらからだとちょうど顔が見えない向きだが、当分起きなさそうだ。
寝苦しくはないだろうか、介助の必要はあるか、と考えていたところ、ピクリと彼女のふさふさした耳は異音を拾う。
「ティア……きさま……わたしをおこらせたな……ふざけるなよ……ぜったいゆるさない……おぼえていろ……このかりはかならず……」
これは寝言なのだろうか。ただ、もし仮に起きていたら、指差されて呪いの一つや二つ飛んできている気がするから、ということは割と鮮明な呪詛だけどギリギリ寝言の範疇なのだろう。バチバチとついでに漏れ出る小さな電撃に、思わず侍女はそっと身を引く。
まあ、とりあえずこの分なら、そのままにしておくと深刻な体調不良、という事はなさそうだ。疲労困憊でげっそりしている様子ではあるものの、恨みつらみを口走って報復まで考えているなら全く以て元気の範疇、覚醒すれば不死の体は通常ステータスまでリセットされよう。
ならば、起きるまで放置が妥当な対応と言えよう。というか下手に触ると、こちらが危険まである。無意識の八つ当たりに当たって負傷だの死亡だの、ぞっとしないにもほどがある。
とりあえず魔術でさっと目につくところを綺麗にした侍女は、寝台の本格的な掃除は主が起き出してきてからだな、と頭の中で予定を立てる。
その後も部屋内の散らかった衣服を片付けたり、近くに備えられていたテーブル上の小道具を片付けたり入れ替えたりと働いているうちに、驚きの素早さで男が洗い場から出てきた。
たぶんシャワーをさーっと浴びてぶるぶるーっと頭を振って雑に服を着た、それだけだろう。
竜の行水――と一瞬連想した侍女だが、さっぱりした顔になったのと、ちょっとそのまま表に出るのは大分顰蹙の元となるあれこれが落ち着いたのを確認して、ふうと息を吐き出した。
彼は寝台近くまで寄ってきてそわそわと中をのぞき込んだが、やっぱり相方は疲労の影を色濃くにじませたまま夢の中、ちょんちょんつつかれてもうーと答えてより強く枕を抱き込むのみである。
「……お昼近くまで休ませてさしあげるのがよろしいかと」
見かねた侍女が言うと、彼は手を引っ込めてこちらを向いた。
「リリアナ――様の、予定は大丈夫なのか?」
「ヒューズ様がこの後なんとかします」
「……俺はこの後どうすれば?」
侍女は詰まった。
確か男の予定は、万が一あれこれ起きたときに備えて今日は夕方魔王が帰ってくるまでフリーにしてあるはずだ。
さて、それでは主の事を考える。
明らかにピンピンして幸福を全身からほとばしらせている奴を、このまま精魂尽き果ててます状態の主の側に置いていいものなのだろうか。
少し逡巡した後、侍女はぽそ、と控えめに提案した。
「……散歩にでも、行っていらしたらどうです?」
「えっ」
「ついでに仮眠も取ってこられるとよろしいかと」
「別に眠くはないが……顔色、悪くなってるのか?」
「午後の帰還式には、デュフォン卿も万全の状態で出ていただく必要がございますので」
元々単純な男は誘導にも簡単に引っかかった。
鼻歌まで歌いそうな勢いで部屋を出て行く彼を見送り、侍女は今度こそ盛大にため息を吐く。
――そして一足先に寝室を旅立っていった子竜の様子から察知した子羊面々は、今度こそ各々ガッツポーズを取り手を取り合い、そして皆一斉に仮眠室に駆け込むのだった。




