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ヒトの試練

 次に彼が父親に連れられてやってきたのは、ヒトが住んでいる町だった。


 父親は町はずれの誰もいないところで彼に人に変化するように言うと、自らもヒト型になる。

 久々のヒトの姿に彼が居心地悪そうにしていると、父は目を細めた。


「ティア、おそらく竜としてのお前はもう一人前だ。

一人で自分の寝床も作れる、狩りもできる、それにこの数年間怪我も病気もせず健やかに成長した。


まあエッカが時々来ていたようだが、本来なら籠りを明けてから行う訓練だ。そのくらいは許すよ。


お前は本当によくやった。――だが、それだけでは足りぬことはわかっておるな」


 父親の言葉に、彼はごくりと唾をのみこんだ。


「いいか、ティア。お前が姫の伴侶になると言うことは、こういうことだ。


竜の姿は自由だったろう? そうとも、この姿は我々の本来のそれではない。居心地が悪くて当然だし、制約も多い。


だが、魔人と添い遂げるなら、お前はこの姿に慣れなければならぬ。二つの足で立ち、爪のない手を器用に使い、角も牙もお飾りの世界で生きるのだ。


お前が今まで習ってきたことはほとんど、この姿で行えば野蛮人扱いされる。空を飛ぶことなどもってのほかだ。あれは限られた特権階級にのみ許されること、一介の獣人が軽々しく行っていいことではない」


 父は彼の額から手を離すと、彼に衣服を差し出す。


「さて、それを着るがいい。今日からお前はヒトとして生きることを学ばねばならぬ。


まずはそうさな、今日からお前の暮らすところに行こう。この町の知り合いの魔人に協力してもらうから、そこで魔人としてのふるまいを叩きこみなさい」



 快く出迎えてくれた父の知り合いは、年老いた魔人の夫婦だった。昔城で働いていたのだと言うそのヒト達に彼を預けると、また父はいずことなく去っていく。



 それは今までの訓練よりもはるかに困難な日々だった。


 魔人の言葉で話し、魔人としての振る舞いを求められる。


 最初の数日を超えると、竜にとってヒト型であり続けることがどれほどの苦痛かを彼は味わった。

 少し前まではあんなにも彼を助けた本能が、ここではことごとく彼の邪魔をする。

 気を抜くとそれは彼に竜として当然の行い――たとえば何かに噛みつくことを誘惑し、竜の姿に戻ることを強く望んだ。

 彼は眠るときさえもヒトの姿であることを求められ、しばらくは寝不足で過ごした。


 それでも、体と言うのは賢いもので、無理やりにでもその状態を続けていればやがて慣れる。

 おまけに彼は若かったのだ。次第に翼も尻尾もない二本足での生活に順応していった。



 夫婦は穏やかだったが厳しく、何か間違えると容赦なく正される。

 特に彼は、話し言葉をよく注意された。


「僕、ではなく、俺、とおっしゃりなさい。

僕は竜の中では男女ともに広く使われているようですが、魔人の殿方、特に強さを誇示するようなお方は、俺と自分の事を言います。


あなたもご立派な殿方になられるのでしょう? ならば、もっと男らしい挙動を身に着けていただかなくては。今のままでは、子どもっぽ過ぎる。それでは馬鹿にされてしまう」


「ですが殿方言葉は、時に下品で粗野ですわ。

言葉の最後はです、ますとおっしゃって。


姫君のおそばに上がる方が下品では、彼女の名に傷がつきます。それにあなたは姫に従うものだと言う態度を示さねば、周りに余計な敵を産みます」


 男言葉の方は比較的すぐに習得できたが、敬語は彼にとって長いこと天敵だった。


 それでも、必死にリリアナとしゃべった日々を思い出し、それらの経験と今の経験を結び付け、彼は喋り言葉を修正していった。



 衣食住のすべてが彼を悩ませた。


 衣服の感覚はいつまでたっても肌に慣れない。ヒト型に慣れても、彼はよく寝ている間に服を引き裂いた。


 彼が寝ぼけたせいで全裸になって夫婦のところにやってくると、上は脱いでも大丈夫だが、局部露出は魔人たちにとって、それだけで問題になるのだと神妙に言い聞かされた。


 食事も血の滴る新鮮な肉を食べられることはなく、穀物だとか野菜だとか、調理したものを器によそり、使いにくいスプーンやフォークを使って食べさせられる。テーブルマナーはさらに苦だった。


 住処はなんだかよくわからない小道具であふれかえり、うっかり壊せば叱られる。そのどれもが、竜にとっては必要のないものなのに、彼はそれを使いこなさなければいけないのだ。

 イスと机の見分けがつくようになったのは大分後になってからだった。



 しかし、彼は耐えた。反論することなく、注意されるその都度直し、自らの行いを改善していった。辛い時はいつも、リリアナの言葉を思い出した。


 ――お前は私の子竜。この程度のこと、できないはずがない。


 それはどんなにつらい時でも彼のやる気を喚起し、辛い身体を癒した。俺のためじゃない、リリアナのためなんだ。そう思うたびに、どんなにぐったりとしていても身体に力が戻った。


 何か失敗をするたびに、彼はいかにリリアナが自分のことを考えていてくれたのか思い知った。


 服やヒト型のことを我慢すれば、彼女は彼が少しくらい竜らしいふるまいをしても全く咎めなかった。

 物を壊しても仕方ないやつだなと笑うだけだったし、時折彼が彼女の小さな指に甘噛みするのも、痛くするなよとは注意したがそれだけだった。

 彼がきゅるきゅる鳴いても、顔をしかめずに喉元をくすぐってくれた。

 そういった思い出も、彼に力を与えたのだった。



 夫婦との生活に慣れてくると、彼らは彼をほかの魔人とも会わせるようになったが、それも大変なことだった。常に好奇の目で見られるし、時には意地悪もされた。


 ――しかし、いじめられることなどとうの昔に慣れきっている彼はまったく相手にしなかったため、そういったことは自然とすぐになくなっていった。


 最初は市場にお使いにいくだけでも重労働だった。

 けれど何度もこなしているうちに、それも彼はいつの日か全く普通の事としてこなせるようになっていった。


 ――貨幣の種類や品物を間違えて帰ってくることは、最後まであり続けたが。



 彼がなんとか一通り魔人らしく振舞える頃になって、父はやってきた。

 夫婦は父に、彼がきちんとヒトとしてふるまえていることを報告し、口をそろえて彼を誉めた。


「辛抱強い子でございますね。どんなに嫌な目や辛い目にあっても、怒らず泣かず、じっと耐えていらっしゃいました。


まあ愛想はあまりいい方ではないようですが、よい息子を持たれましたな、テュフォン殿」


「ええ、確かに、不器用でよくものを壊したり、言ったことをぼーっとしていてきちんと聞けていなかったりすることはございますよ。

けれど、素直でいい子ですわ」


 夫婦に口々に言われ、父は彼に満足そうにうなずいて見せた。


「ふむ、少し時間はかかったが順調そうだな。では最後の訓練に入ろうか」

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