零れる本音
ルシファーという新種の嫌悪対象を経験して鳥肌の収まらなかった子竜だったが、悪いことばかりではなかった。彼が余程渋い思いをすることを予測していたのか、それとも後から話を聞いて気を回してくれたのか――なんと多忙なリリアナが会う時間を設けてくれることになったのだ。
こうなるとあれほどむかついていた成人の儀筆頭の候補に対して五体投地までしかねない勢いになるのがティア=テュフォンという残念男である。いや、やっぱり頭は(仕事とか役職とかの都合以外で)下げたくないが、あんな奴でもなにがしかの形で世の中の役には立つのか――と謎の感動を覚えかけた。
さて、そんな喉から全力で甘え声を出し、尻尾があれば左右にちぎれん勢いで振りまくっているだろう喜色全開の竜だが、久々に本の散乱する私室に呼び出した彼女は床に正座させたまま待ったをかけていた。それでも呼んでもらえるだけで感謝の涙が止まらない狂信者には十分ご褒美、まだかなまだかな、と大人しく彼女が机の上の書類を片付けるまで待っている。
今日の彼女は珍しいことに眼鏡をしていた。丸すぎず四角すぎず、一番オーソドックスな形で、フレームはぴっちりと黒色だ。服は相変わらずぴっちりしながらもラインを強調しない上品なシルエット、つまり本日も防御力が高くていらっしゃる。もうちょっとぐらいリラックスウェアでもいいのにな、と純朴な邪心しかない素朴な男はちょっぴり思う。
「いや、別に全く必要性はないしむしろ邪魔なんだが、流行っているらしいからな。仕事の一つだ」
なんて面白くもなさそうにくいっと指でつるを押しながら言っていたが、これがまたより一層知的な雰囲気に磨きをかけ、端的に言ってよろしいと思う。もちろん平常時巣の状態が一番輝いていることについては不動なのであるが、「これはこれで……!」という奴だ。
眼鏡プレイ。なるほどそういうのもあるのか。
等と子竜は脳内で供述している。
口に感想を垂れ流してもいいのだが、語彙貧困のまま褒めちぎると照れて怒る――照れが行き過ぎてマジギレに発展しかけるのがツンデレという生き物である。とは言え、チラチラ横目に様子をうかがっている態度からして、何も言わないとそれはそれでふてくされてそれなりに露骨にへそを曲げるのが、やはり女子という生き物である。
アレも駄目コレも駄目。実に面倒くさいことこの上ない。だがそれがいい。むしろそこがいい。このリアクションの狭間を攻めていくのがたまらなくスリリング、もし怒られたってご褒美の範疇、だって怒りの沸点が一定値を超えるとこの人物は最終手段「すべての接触を禁止する」という無情かつ非道でありながら実に効果的な行為を取れるからだ。プンプンしているぐらいなら全く本気ではなくじゃれかかっているだけなのである。
対リリアナについては最強のポジティブマシーンと化す男はそのように解釈していた。
結論として、今日も子竜は平常運転に、「似合うよ、リリアナ、とっても似合っているよ!」と言って「馬鹿め! 当たり前だろ! 座ってろ!」と返された。ついうっかり間に漏れたらしい本音がたまらない。何気ない風を装っているが、たぶんこれ結構時間かけて選んできた装備なんだろうな……と背中にロックオンしつつ子竜はほっこりしている。
「で? 会ってきたんだろう。私の叔父っぽい奴に」
机の上に目を落とし、ガリガリとペンを走らせる音を立てていたリリアナだったが、ふと急に声を上げた。
そういえばそんなこともあったな、というか思い出せばそれで今日呼ばれたんだった、とすっかり眼鏡で今日のノルマを達成したつもりになっていた子竜は思い出す。
慌ててきりりとした顔立ちに戻っている間、無言を不機嫌と捉えたのか、リリアナは作業の手を止めて振り返った。
「まあ……その。不快な思いをさせたな。シンプルに嫌な奴だったろ、アイツ」
「……うーん」
返答が微妙になったのは、その通りなのだが、何かこうはっきり「嫌な奴」と定義するのも微妙に合わないような気がしたためだ。首を捻ってから、子竜は考え考え、言葉を続ける。
「俺、誰にもリリアナを渡すつもりは、元々ないけど。あの人は特に嫌だな、って思った。リリエンタールの方がまだマシだと思う」
というか比較したら、一時はリリアナを争う立場にすらなりかけた、今は亡き(いや亡くなってはいないが騎士は引退して城は辞している)赤薔薇のエースがかなりすっきりした人柄なのだったと身に染みる。
「リリエンタールは多少配慮が足りないだけの男だったからな。能力自体はあるが使えていない――まあそういう手合いだ。叔父はそもそも能力がないタイプと言えるだろう。……いやまあ、心の感性の方は壊滅しているが、中途半端に別の能力は持っているから実に厄介なことこの上ないんだけどな」
赤薔薇のことそんな風に思ってたんだ……一瞬ティアは思わないでもなかったが、彼女が実にさりげなくすらすら流した上さっさと次の話題を広げたので、あまり深く考えることなくルシファーの件に集中する。
「別に男色趣味だろうが近親相姦だろうが血縁に固執していようが、勝手にやってる分なら目を瞑るんだが。どうでもいい個人の性癖に興味はないしな。それに王者の資質云々とか言う話なら、私だって本来人の上に立つべき性格をしていないのは重々自覚していることだ」
いくら全肯定リリアナ装置でもさすがに一言二言物申したくなる発言が続いたが、立て続けに突っ込み所が来たせいでタイミングを逸した。元来の性質がサボり魔、すなわちボケ担当である子竜がのんびりと対応を考えているうちに、彼女はにやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「――ただ。あれより私が下だと断じられるのは業腹だ。だから絶対に私のものを何一つくれてなんかやるものかと思っている」
眼鏡の奥で目を細めると、悪辣な顔により一層すごみが出ている気がする。
まあリリアナの場合、聖母のような微笑みなんてまずしない――するとしたら逆にそれは間違いなく彼女が激怒しているような状況だ――し、普段感情を押し殺したむっつり不機嫌な顔が多いので、このように表情豊かなのはとても良いことだ。
と、心の広い信者は極めて好意的に解釈している。
……丸められた紙がぽーんと頭に投げてよこされたのは、思考が伝わったからなのだろうか。魔王の一族は相手の心を読み取る能力がある、という話だが、「お前なんか顔がわかりやすすぎて読まなくたって完璧にわかる、むしろ読んでそのまま過ぎて驚くんだろうが!」と、褒めているんだか貶しているんだかわからない言葉を賜った記憶がほんのり呼び起こされる。
「さて、そうは言っても、お互いいまいち決め手に欠けるんだよな……ものすごく気は進まないけど、やっぱり最後はお父様を動かすしかなくなってくる」
さてぼーっとした様子の子竜の視界には、不適に邪悪な雰囲気を放っていたリリアナがしゅんとしおれ、いかにも物憂げな様子で片肘をついてため息を吐き出していた。ん? と思考回路が単純な子竜はまた首を捻る。
「魔王相手なら、リリアナが頼めばいいんじゃないの?」
「本気でそう思ってるのかお前」
呆れた声で言われるとうっと詰まった。
当代魔王の親馬鹿ぶり、跡取りである一人娘を溺愛してやまない様子は有名だ。しかし一方で、ティアはこの親子がそれほど単純な関係ではないことも既に知識として得ている。
そもそもリリアナは、その強大な魔力故、母親の死と引き換えに生まれてきた。長らく独り身精神の強かった当代魔王がようやく心を預けた相手の命を奪ってこの世に生を授かった存在――その話題を出されることを、彼女はとても嫌っている。一度子竜が無知ゆえにうっかり逆鱗に触れた際、二度と話してくれないかと思った程だ。
父は当初、娘を疎んでいたのだと言う。途中で改心して今の様子になったらしいが――魔王の方が今どう思っているかはわからないが、少なくともリリアナの方は、父に思うところを消化しきれていない様子だった。
もう少し前なら彼女の父親への邪険な態度はあの親馬鹿に対しての反応なのだろうと考えられていたが、今とすればこう――残酷な話だが、もっと純粋に彼女は魔王を意識して避けているのだ、ということまで理解できてしまう。
――だけど。
と、子竜は思い、おずおず口を開く。
「……でも俺は、あの人がリリアナのことを嫌っているようにはとても思えないよ」
きょとん、としたようにリリアナが目を見張った。彼女は何度か瞬きしてから、ふっとまた苦笑いに戻る。
「嫌ってはいない……確かにそうかも。いや……違うな。あのね、ティア。彼にとっては、それもまた事実の一つなんだよ。私のことを娘として大事にしたい気持ちも本当。でもそれだけじゃないし、きっと本心でもないはずさ。……あの人がちゃんと自覚できているかはともかく、ね」
なぜ、と問いかけて、子竜は黙り込んだ。
眼鏡を外し、椅子から立ち上がったリリアナが歩み寄ってきたかと思ったら抱きついてきたことと、その笑い方があまりに寂しそうだったから……これ以上何か言うのは、きっと野暮というものなのだ。
朴念仁、亀の歩みなりにちまちまと成長している男は、だから黙って恋人の抱擁を受け入れ、細心の注意を払って背を叩くにとどめたのだった。




