ルシファーという男
初代魔王はどこにいても目立つ男だったと言われている。その子孫達もまた、基本的には無視できない見た目や雰囲気の持ち主であることが多い。
たとえば当代にして二代魔王――ゼブル王は、落ち着いた穏やかな雰囲気の中に、老いてなおどこか他者と一線を画する厳しさを備えている。
そんな彼のオーラは、内に秘めている父親譲りの苛烈な性格や、魔界の頂点に君臨する社会的地位というだけでなく、単純な魔力の保有量が他の魔人達と桁違いというような要素によって形成されているのだろう。
皇太子、次期魔王であるリリアナはもっと顕著だ。
彼女はどこにいても「やかましい」。
髪や目のみならず、角と翼まで含んだ全身が金色という派手な見た目に加え、生来の気質と若さの合わせ技で、ゼブル王より怒りっぽいのも全く以て事実だ。
たとえば父親が困ったように曖昧な微笑みを浮かべ、どうしようかと考える仕草になる場面で、リリアナの場合は剣呑に目を細めるか眉をひそめる。
垂れ目の目と真逆に眉の形が元から上がりがちなのも、余計キツい印象を与えるのに貢献している。
努めて抑えている感のある当代と違って、挑発的で危うい気配を持っている分、リリアナはよりヒトを寄せ付けにくい。ある意味素直でわかりやすいとも言えるが、怒ったときに抑えがきかないことは対人関係上の露骨な欠点である。
「コミュ障が過ぎて積極的に自分から喧嘩を売りに行っているんですよね、あの真面目馬鹿マジ人間不信の塊」とは会長の言葉だったろうか。
子竜もまあ、リリアナを全肯定する宗教の教祖であるとは言えど、彼女が父親に比べてヒトに攻撃的であるという部分については納得せざるを得ない。
何にせよ。
今まで見てきたティアの知っている魔王の血縁者は、一目で、いや遠目でも既にパッとこのヒトは何かが違う、ということが理解できるような力の持ち主だった。
ところが、目の前の男にはそれが一切ない。
これが、当代魔王の腹違いの弟にして、リリアナの叔父――そして皇太子の初夜の相手候補として最も有力視されている、ルシファー猊下そのヒトだという前置きがなかったなら。
断言できる。子竜は確実に、この男に何の興味も示さなかった自信がある。
よく見れば、容貌はそれなりに変わっていて、背中から生えている一対の竜翼と頭の角なぞ、確かに彼が初代魔王の血縁者であることを示している。
鼻筋や顔の輪郭などは、当代魔王に似ているだろうか。
髪色は黒。ただし緑がかっているため、どちらかと言うと青みがかっている当代魔王の髪色とは違っている。
また、魔王やリリアナは癖がなくさらさらとした髪質だが、彼の髪はもう少し太めで癖がかかったウェーブ状になっている。
魔人のアイデンティティである角は黒い巻き角。耳の上からやや上部に、顔を覆うような形で生えている。
ここはまっすぐ二本角を持つ当代魔王にも、上向き二本と下向きの巻き角二本の四本角を持つリリアナとも異なる。
ルシファーは当代魔王の異母弟、母親が魔人の貴族だったという話だから上向きの巻き角はそちらから継いだ特徴なのかもしれない。
身体の特徴として一番印象に残る場所は、目の色だろうか。
意図的なのか今眠たいだけなのか、まぶたが重たげに下がり、伏し目がちである魔王の異母弟の目は、左右の色が同じでなかった。
片方が緑、片方は金色。
自然と子竜は自らの父親のことを思い出す。
ただし、赤目の方が弱視だった子竜の父とは違って、別に緑の目の方に障害があるとか言うわけではないらしい。
それに金色の目と言ったものの、リリアナのように暗闇でもほのかに発光し、誰がどこで見ても金色とわかるものではなく、暗い場所では金色に見えるだろうが、明るい場所ではそうでもなく茶色がかって感じる――なんとも微妙な色合いだ。
服装は聖職者らしいシンプルな貫頭衣に、高位であることを示すためだろうか、刺繍が施された緋色の上着を羽織り、さらにその上からストラと呼ばれる黒色の帯を首から垂らしている。
「本日警護を担当させていただきます、黄薔薇部隊です」
まじまじとぼーっとした顔つきのルシファーを見つめていた子竜だったが、上司が挨拶を述べている声が聞こえてくると慌てて気を引き締めた。
副隊長に合わせて挨拶をすると、男は億劫そうな手で警護担当者達を追い払うように手を動かす。
「ん。好きにせよ」
「……ジーク」
なんだこの気だるさは。寝不足のリリアナより酷いぞ。リリアナは可愛いからセーフ。リリアナペロペロしたい。
なんて硬直したまま考えていたせいだろうか、ティアは上官から小突かれてはっと意識を取り戻す。
慌てて咳払いし、自分の業務に集中しようとするが、それは非常に困難なことだった。
何せ暇だ。大体突っ立っているのが仕事の近衛騎士だが、輪をかけて暇だ。
ヒトの入れ替わりが極端にない上に、本を読んだり聖句を唱えたり星図を広げたりという、面白みもなければ動きもない活動を、時間中ずっと見守っていなければならないわけである。
本来神官達は、こういった自己研鑽の合間に、他者のお悩み相談や自分を養っていくための活動――たとえば料理、洗濯、掃除などを受け持つのだが、ルシファーにはそんな業務はないようだ。
道理で彼の護衛任務が騎士達から嫌がられるわけである。あまりに退屈すぎるのだ。
護衛対象が移動し誰かと交流するようならそこで気の張りようもあるが、偉大なる神官はただただ誰とも関わらず黙々と、生気のない緩慢な動きで書をめくる。
一日中ヒトに囲まれている魔王とはまさに正反対の存在だ。
特にこの、礼拝とやらが苦行過ぎる。というのもルシファーは祭壇に向かってひたすら両手を組み、祈りを捧げるポーズのまま沈黙している。まさかこれで一日終える気かという嫌な予感がするが、そのまさかを平然と何の苦もなくやってのけそうなのが無気力男の恐ろしいところだ。
ただでさえぼんやり癖のある子竜にこれは辛い。寝ない理由がない。見守っている最中、早くも船をこぎ始めたが、最初の方こそ小突いていた副団長の気配も途中から消えた。
ふと、子竜は何度目かの意識が飛びそうになって戻ってきたところで眉をひそめる。
見間違いかと思ったが――違うようだ。
いつの間にか、祭壇ではなく入り口辺りに控えている近衛騎士達の方に向かってルシファーが振り返るように身体を向けており、色違いの瞳がこちらをひたりと見据えている。
そしてその手は、どういうわけか子竜を手招いているように見えるのだ。
念のため目をこすって、あっちに行けというサインではないかと確認してみたが、何度見ても残念ながら手招きだ。どう考えても子竜を呼んでいる。
思わず職務も身分も忘れてルシファーの顔をガン見すると、至って覇気のない真顔が返ってくる。
駄目だ、愛想笑いで本音を隠す貴族連中よりもさらにやりにくい。全く何を考えているのか読めない。
子竜は辺りを見回す。最初の頃は魔王の弟の世話係だったのだろうか、他の神官達の姿も見かけていたが、今この場にいる神官はルシファーだけ。自分達を含めた護衛が少数――だが、いつの間にか自分を除いて全員眠りこけている。
さすがにおかしい。特に色々たるんでいるところもある自分はともかく、ヘイスティングズや他の騎士団の団員達からも信頼の厚い副団長まで立ったままぐっすりお休みになっているなど。
「案ずるな。眠っているだけだ。何、ほんの少しぐらいの時間なら誰も気にしないさ」
抑揚のない言葉に振り向くと、ルシファーは自分の側を指差す。
あらゆる意味での問題行動及び問題発言だが、子竜が動きかねているのはちっとも相手の意図が理解できないからだ。
大体自分がピンポイントでこの男に呼ばれる理由がない。
いや、確かに顔ぐらい見ておこうかと思ったのは子竜だし、竜の身ながら騎士になって異例の大出世を遂げている彼の名声――というよりは悪名は王城中にとどろいているのだろうから向こうが知っていてもおかしくはないが。
「こちらに来るといい。余とリリアナの話がしたかったのだろう?」
そんなとき、申し訳程度に頭を使おうとしていた子竜の地雷が音速で踏み抜かれた。
本能的な警戒や騎士としての自制心が全部吹っ飛び、単細胞はずいずいと歩いていって不敬にもどっかりルシファーの隣に腰を下ろす。
すると彼は隣の子竜から目をそらし、祭壇の方に向いた。また祈りを捧げるポーズに戻っている。
招いた割に放置である。
子竜は鼻息を荒らげて誘われるまま隣に来てみたまではいいが、いきなり出鼻をくじかれて途方に暮れた。仕方ないので同じようにポーズを取ってみる。
「そんな真似をして何になる。お前の神は祭壇上にいないだろう? こんなものはただの象徴で、気持ちのよりどころだ。意味などない」
およそ神官の頂点に立つ男が言っていいとは思えない物騒な内容が隣から聞こえてきたので無視しておきたいところだが、残念ながらそうは行かないようだ。
こいつ何がしたいんだ、と困惑の眼差しを向けた子竜と目を合わせず、祭壇を見つめたままルシファーは言葉を続けた。
「シーグフリード=ティア=テュフォン。噂はかねがね聞いている。少し興味があった。お前もそうなのだろう」
ぞわぞわと、子竜の背筋が逆立つ。
一体何に自分が怖気を感じているのかわからないまま、彼は得体の知れない、もしかすると自分のライバルになるかもしれない男と対峙した。




