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柔らかな棘

 エカトリアがいなくなると、明らかに遠巻きにしていたヒトの輪は狭まり、子竜は自由に歩けるようになる。すると誰かが声をかけてきた。


「ふう。ようやく嵐が去ったな、ジーク」


 妹と知り合いが火花を散らし合っている現場に背を向けて歩いていると、程なくして先ほど柱の影から遠巻きに見守っていた黄薔薇の先輩騎士が、ヒトの間を縫ってそそそっと寄ってきた。


 まったく調子の良い、と後輩が呆れた顔を向けると、自分でも思うところがあったのか、獣人はばつが悪そうな照れ笑いを浮かべ、がりがりと耳の飛び出た頭を引っ掻いている。


「いやいやいや、そんな顔で見るなって、俺だって自分の身は惜しいんだってば、な?」


 色々含みが見える笑みを浮かべられると、子竜は仏頂面のままむすっと無言で不満を示す他ない。


 先輩にも事情があることは理解するし、この雑な放置っぷりにも慣れきったものだが、ではそれを歓迎できるかと言われると、けしてそんなこともなく。


 顔を背け、別の食堂に移動しようとすると、先輩騎士はふてくされている後輩の首にがっと手を回してきた。邪魔な身体をふりほどこうとしたティアだったが、ぼそぼそと囁く声が聞こえてくるとふとそのまま止まる。


「ジーク。黄薔薇はな。いくら変人集団と言われようと、腐っても薔薇騎士団、正式な近衛部隊の一つ――厳正な審査を受けた、一部の特権階級だ。そりゃあ、城内では際物扱いされてるかもしれないけどよ。俺たちゃ魔界のエリートオブエリートなんだぜ? もちろん、赤薔薇のこととか、不満がないわけじゃないけどよ――でも、城から降りれば尊敬の眼差しだ」


 先輩の言葉に、ふと豪勢なパレードの出来事が蘇る。


 邪眼との遭遇でもあった、近衛騎士たちによる城下パレード。下から城内の騎士たちを見上げる目は、等しくあこがれと尊敬を浮かべ――そのほとんどが好意的なものだった。そこに薔薇の色の区別をする者の姿は一切なかった。彼らからすれば、曇りなき赤薔薇もそれ以外の薔薇も、等しく城内の騎士。


「それに、当代魔王陛下は強固な一夫一妻主義者。俺だって妻がいるし、もうそろそろ子どもが見え始めてる年だ、やんちゃはできん。若い竜とは違うんだよ。俺には失いたくない物がたくさんあるんだ。

 お前の妹さんにゃお前の妹さんの言い分や生き方があるんだろうが、巻き込まれて一緒に沈められたくはない。正直言っちまえば、それはお前自身に対してだって同じ事が言える」


 いつもと少し異なる絡み方に、いつもより棘を含んでいるように聞こえる言葉。


 先輩が身体を離す気配に自然と子竜が顔を向けると、彼はいつもの黄薔薇のお調子者たちの笑顔を浮かべてはいなかった。愛想の良い形に口角を上げる。だが、目尻は緩んでいない。


「なあ、お前はかわいくて自慢の後輩だよ。黄薔薇に来て良かったと思う。だけどよ――お前やっぱり、俺たちとは全然違う生き物なんだよな」


 その目の奥に浮かぶ光の名前をなんと呼ぶのか、ティアにはわからなかった。


 敵意ではないが、親しみでもない。


 彼はふと、先輩騎士の顔から足下へ、そして自分へと目を下ろし、視線を移していく。


 肩を組んだはずの彼とはいつの間にか数歩分の距離が開き、そして彼の胸にはない特別勲章がティアの胸にはある。


 邪眼と呼ばれていた悪夢ナイトメアを討伐した際に特別に授与されたものだ。

 これを持っているのは、赤薔薇騎士団のエドウィン=リリエンタールと自分のみだった。


 そしてリリエンタールの方は、ノース・タワー暴走の折皇太子を庇って負傷、現役から引退し与えられていた自分の領地に戻ったという。

 大事なければリリアナの初夜の相手の有力候補だったろう。魔人内での彼の血筋や地位は万全で、竜族でほぼ孤児の子竜には太刀打ちできない部分だった。



 ――それでいいの? そのままで本当にいいの?



 ぴたん、ぴたん、と水滴がわずかに、けれど確かに落ちるように、胸の奥を叩き続ける音がある。


 邪眼を倒し、実績を勝ち取り、地位を上げてリリアナに着実に近づいているはずだ。自分で、望んだ所に。

 リリアナはかわいく、賢く、綺麗で文句のつけようがない。昔から彼女一筋だ。この気持ちが褪せること等あり得ない。

 ――けれど。



 ふと視線を戻すと、今度はしっかり眉を下げて、獣人は苦笑している。


「……すまん。八つ当たりだな。美味いもんでも食って忘れてくれ」


 投げてよこされたものを受け取って確認すると、ちょっとした食券のようだ。

 先輩はそのまま背を向け、「じゃあな」と言うように腕を振って去って行ってしまう。


 以前なら鬱陶しいぐらいに、それこそティアが露骨に嫌な顔をしてもどこでも絡んで来た黄薔薇の団員たちが、ふとした瞬間に距離を取るようになって久しい。けして穏やかとは言い切れない言葉を向けられるようにもなった。気がつけば昼飯もほとんど一人だ。


 顔を上げる。エカトリアといたときのように、触るのも嫌だと言う態度を取る者はいない。けれど、談笑するヒトビトの群れの中で、ティアは一人だ。



 竜の里では、いつも爪弾きもので。

 選んでくれたヒトがいたから、その道を突き進んできた。

 新たな場所で理解者を得て、新たに居場所ができた気がした。

 だけど結局、気がつけば一人に戻っている。



(でも俺は、リリアナがいれば、それで)



 そう思い込もうとしても、以前ほどそれだけに盲目にはなれない。

 知ってしまった以上、知らなかった頃には戻れない。


 今が間違えているとは思わない。けれど――。



「どうした、ジーク。そんな辛気くさい顔をして」


 ばん、と急に背中を思いっきり叩かれて、ティアは転びかけた。惚けていたところに不意打ちだったので、結構な威力である。


 不機嫌な顔で振り返ると、そこには大柄な有翼魔人がどどんと立っていた。華やかなレモン色のマントと背中の翼がとても目立っている。


「なんだ、一人飯か? ちょうどいい、付き合え」


 ばさばさと大仰に羽ばたいてみせる黄薔薇の騎士団長は――この城に来たときと全く同じ顔で、弟子に迎えた男に白い歯を見せていた。

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