約束
「ティア、今日も来たんだな」
彼がやってきた途端、うきうきと彼女は言う。
彼もうれしくなったが、その手に握られているものを見ると思わず後ずさった。
「それ、ヤダ」
「黙れ。お前、昨日の課題、途中でごまかしただろ。
できなかったら私の言うこと聞くって言ったんだから、ちゃんと有言実行しろ」
「ゆうげ――? ……でも、ヤダ」
「絶対に似合うって。それにお前、どう見ても女向きだよ」
「いやだ! 僕、ブスだブスだって散々言われてるんだよ」
「それは、言った奴の目が節穴なんだよ。
もしくは案外、お前に気があっていじめてるだけなんじゃないのか。
絶対女顔だもの――隙あり!」
取っ組み合いの末、今度も敗北した彼は、釈然としない表情で彼女の服を着せられていた。
彼女はむすっとした彼の頭のリボンをいじりながら、満足そうに言う。
「うん、思った通り、これも似合うじゃないか。
可愛いよ、ティア」
「似合わない。絶対可愛くなんかない!
リリアナ、きついよこれ、早く脱がせてよ」
彼はなんとかして脱出しようとしているが、彼女の服は複雑すぎてとても自分一人では脱げない。
かといって、彼女の服を破いてまで脱ぐのもどうかと思う。
ぐるぐると背中のリボンを、尻尾を追いかけるように回っているティアに、リリアナはいたずらっぽく笑った。
「へえ。だったらこのまま人のいるところにいって、聞いてみようか。
きっとみんな言うよ、お可愛らしい、将来はいいお嫁さんになるだろうって――。
おい、冗談だって、そんなことしないよ。
なにも泣くことないじゃないか。悪かったって」
彼が瞳に一杯涙を浮かべて睨みつけると、相手はさすがに焦った顔になる。
「やだ。だって僕は、男がいいんだもん。
リリアナが、どうしても女になれって言うなら、我慢するけど……。
そういえばリリアナは、大人になったら雄になるの?
今も雄の格好をしてるんだもんね。
でも、周りからは姫って呼ばれてるけど、魔人は子どもの頃みんな雌なの?」
リリアナは一瞬だけぽかんとした顔をするが、すぐにお互いの常識の違いに気が付いたらしく、解説をしてくれる。
「私はもともと女なんだよ。
魔人は竜と違って、生まれてきた時に性別が決まってるんだ。
だから女として生まれてきたら、大人になってもそのままさ。
この格好だって、子どものときだけ許されるわがままだ。
大人になったらドレスを着て、ちゃんと女性らしく振舞うよ」
どこかつまらなそうに、彼女は言う。
彼はしかし、ドレスを着た彼女を想像して熱心に薦めた。
「でも、リリアナは絶対そのほうがいい。
だって似合うはずだもん、ドレス」
「止せって、憂鬱になる。女服を着るなんて、できるならしたくないのに。
あれを着ていると動きにくい……いろんな意味でな」
リリアナは不機嫌そうに言ってから、話題を変えようとする。
「そういえば、お前が雄になりたがってるなんて初耳だぞ?
私だって、何も強いようとは思っていないけど。
テュフォンの話じゃ、お前は女になって故郷の幼馴染と番うんだろ?
話が違うじゃないか、どうしたんだ?」
「違うよ。だって、僕がずっとなりたかったのは男なんだ。
それに、一緒にいたい相手はエッカじゃない。
エッカは嫌いじゃないけど、そういうのじゃないんだ」
彼はリリアナの前では珍しく、主張して譲らない。
父親やエッカに言われてもなんとも思わなかったが、リリアナにそう言われると無性にもやもやとした感情――怒りが込み上げてきた。
「ははあ、それが幼馴染の名前だな。
だったらなんだ、ほかに番いたい相手でもいるのか。
どう見ても雌向きなのに、そこまで強く雄になりたいって言うなら、よほど入れ込んでいるんだろう?
誰だ? 相手は雌か? 美人なのか?」
男装少女は無関心を装うとしているが、隠しきれない好奇心で口が緩んでいる。
彼は息を吸ってから、ゆっくりと言う。
「僕がずっと一緒にいたいのは、リリアナだけだ。
他の誰かなんて、考えられない」
リリアナはよほど思わぬ言葉だったのか、あっけにとられて数秒目を瞬いてから、破顔した。
「ティア、それは――つまりその、あれだな。
私たちの友情はずっと続くよ。
そりゃあ、お前がいいと言うまで私はそうするつもりだ。
だってお前は私の最初の――」
「僕は大人になってもリリアナに会いたい。離れるなんて嫌だ」
彼女の言葉を遮ってまで言う彼の熱心な言葉に、少年の恰好をした少女は少し考えてから、眉根を寄せて尋ねる。
「まさかとは思うけど、お前、雄になって私とずっと一緒にいたいって……プロポーズのつもりじゃないだろうな?」
「プロポーズって、なにそれ」
「――だから、その。
私に結婚を申し込むのと同じだぞ、今のままのお前の意味だと」
彼は渋い顔の彼女の言葉に、ぱあっと顔を輝かせる。
「そっか、僕がリリアナのお婿さんになればいいんだ! そうすればずっと一緒にいられる!」
「いやいやいや、それはおかしいだろ。っていうか、無理だ」
「どうして? もしかして、嫁じゃないといけないの?」
「おい待て余計無理だ。一応魔人は同性婚は禁じられてるんだぞ。
そんなことしたら、さすがにお父様が卒倒する。
そうじゃなくてさ……思い出してもらいたいけど、私は魔人で、王の一人娘なんだよ、ティア。
竜を伴侶に迎えたりしたら、保守派が黙っていない」
「ほしゅは? はんりょ?」
リリアナはため息をつくと、彼に諭すように言い聞かせる。
「保守派は頭の固い連中のこと。
伴侶は連れ合い――今の意味だと、夫婦のことだよ。
ティア、竜は多夫多妻だから番う相手が大勢いても大丈夫なんだろうけど、魔人は一夫一妻だ。
夫婦は一対一の男女だって決まってるんだよ。
まあ、建前って言うか理想ではあるけれど……お前、もしも私と番うなら、一生私しか相手にできないんだぞ。
飽きたら離婚すればいいって考えもあるだろうけど、それはそれでまた閣議が荒れるし、っていうか内政がまずいことになるだろ。
初代魔王が最初の妻を離縁――というか手打ちにした時だって、相当大変だったらしいんだから、その後が」
「……つまり僕はリリアナと結婚したら、一生リリアナだけを愛さなきゃいけないってこと?」
「そうだよ。そんなの無理に決まってる。
いいか、魔人も竜も寿命は長いんだ。絶対に途中で飽きる。
お前はなんか知らないけど変なバイアスかかってるから、今は私がそれこそ神様みたいに見えてるのかもしれないけど、大人になったら絶対後悔するぞ。
誇るほど美人じゃないし、性格は面倒くさいし、周りはうるさいし――」
「リリアナ、ねえ、僕、リリアナとだったら生涯一人でも全然かまわないよ」
「そうそう、だからあきらめ――おい、人の話を聞け」
「聞いてるよ、いつも。ねえ、竜はタフタサイ? だから、僕はお婿さんになれないってことでしょ? 僕、他の雌なんていらないから、大丈夫。お婿さんになれるよ」
ティアの熱のこもった言葉に、相手はすっかり困惑の表情になる。
「お前な、なんだってそう、今日は頑固なんだ……。そんなこと言われたら――」
「なあに?」
リリアナは珍しく、慎重に言葉を選んでいるようだった。ティアの頭を撫ぜ、その頬を両手でくるむと、ため息をつく。
「あのね、ティア。竜は特殊な生き物だ。
ヒトでもない、獣でもない。魔人にとっては、常に脅威でもある。
だけど根絶やしにはできない。いろいろと複雑な事情があるからね。
――ティア、今はわたしもお前も子どもだから、こうしていられる。
私がお前を抱きしめようと、お前を着替えさせるために素っ裸に剥こうと、誰も気にしない。子どもの戯れだもの。
だけど、大人になってからもこうしたいって言うのなら、それはとても難しいことだ。
お前が魔人なら、もう少し話は簡単なんだけどね」
「――僕はリリアナと、どうしても結婚できないってこと?」
「不可能じゃないよ。だけどそのためには――」
「そのためには?」
リリアナはうつむいた。そのまましばらく何も言わなかった。
ゆっくりとした息遣いだけが続く。
彼女は下を向いたまま、ようやく口を開いた。
「あの――その、もし、もしもだぞ。
本気で私の伴侶になりたいんだったら、私だってそれは――嬉しい。
お前にそんな風に言ってもらえるなんて、本当に嬉しい。
――にやけるな、こらっ! まったく……。
だけど、子どもの戯れだからって、後から反故にはできないんだぞ。私はそこまで器用でもないし、できた人格もしていない。
いいか、ここで約束するなら、お前は今お前が持っているもの、すべてを失うことになるかもしれない。
住み慣れた場所を離れ、親しい竜たちと引き離され、魔人たちに獣と蔑まれ、不自由な生活しか送れない。
――それでもいいのか? このままいけばお前は、幼馴染に養ってもらって安寧に、自由に生きられるんだぞ? それを捨ててもいいのか?」
リリアナの表情は苦悶にゆがみ、声は震えている。ティアは、自分の喉元のあたりに添えられた手を握ると、心を込めて答えた。
「リリアナと別れて自由に暮らすなら、ぼくはリリアナと一緒に不自由に暮らす。
どうしても、離れたくないよ」
「――本当にいいんだな。
私はめんどくさいぞ。浮気なんて絶対許さないぞ。後でやっぱ無し、なんて言ったら、生きたまま身体をばらすぞ。
ほら、やっぱり私はよくないだろ。やめるなら今のうちだ。
馬鹿なこと言ってないでよく考え直せ。
せめて雄になるのは止めないから、伴侶とは言わずずっと親友でいようとかそういう言葉に直せ。
ここで撤回しないなら、私だって――本当に本気にするからな! その気になるぞ!」
「いいよ。僕の全部、リリアナにあげる。
だからリリアナ、僕と一緒にいて」
リリアナは彼の答を聞くと、彼女には珍しく、非常にぎくしゃくとした挙動をとった。
自分を落ち着かせるように深呼吸し、真っ直ぐティアの目を覗き込む。
「だったら、強くなれ。誰も逆らえないくらい、強い竜に、男に。
そうしたら、私はお前を堂々と伴侶にできる。――ずっと一緒だとも!」
リリアナがティアを抱きしめた。
柔らかい肌の感触に、ティアはうっとりと目を閉じた。
「ティア、ティア。私の子竜。
お前がここに来るまで、誰も信じられなかった。
私の目は、見たくないものまで見てしまうから。
誰しもが、言っていることと違うことを考えている。
けれどそれに気がついてもいない。
私はつつきたくもない彼らの隠し事をつついては、憎悪され嫌悪されてきた……。
だけどね、おまえは、そういうものがなかったんだ。
お前だけは、最初から私を、心から好きになってくれた。
私の目を正面から見てもまったく動じなかった。
私も、だからお前にだけなら、こうやって好きだと言うことができる。好きだと言うことを信じられる。
だから――だからティア。聞いて。一度しか言わない。
おまえになら、私のすべてをあげられる。
私もお前が欲しい。お前の伴侶になりたい」
そしてこの瞬間、彼は自分の人生を選択した。
彼女とともに生きる人生を。
 




