課題
ちょっと今回長めです。
「すまなかったな、説明もなく放り出して。儂も直前になって初めて、陛下が姫君にお前を合わせるつもりで呼び出したのだと知ったのだ」
父親は帰りの道で彼に話しかけてきた。
ようやく服を脱ぎすて竜の姿になった彼は、思う存分翼を広げて風を感じている。
「まさか本当に気に入っていただけるとは思いもしなかったが……ああ、世の中何が幸いするかわからんな。いい名前をいただいたじゃないか、ティア」
「僕、もっとかっこいい名前がいい」
「贅沢なことを言うな。次期魔王となる御方から下された御名だ。もったいないくらいだぞ、お前には」
彼は少し不満だったが、父親に諭されると黙った。
少ししてから再び口を開ける。
「リリアナは、次の魔王になる人なの?」
「……おそらくな」
父親の答はどこか歯切れが悪い。
それよりも、テュフォンは彼の言ったことの方が気になったらしく、ため息をつく。
「まったく、お前ときたら、まさか殿下を呼び捨てにするとは」
「だって、リリアナがいいって言ったんだもん」
彼が主張すると、父親は微妙な顔になった。
「不思議なお方だな、殿下も。まったく、噂通りつかみどころがない……。陛下に似られたのか、そうでないのか」
「似てないよ、ぜんぜん」
彼が魔王の風貌やら言動を思い出しながら即答すると、父は笑った。
「陛下と儂はな、昔からの知り合いなのだよ。儂はあのお方の幼いころも存じている。真面目で思慮深い、優しい方だ。
ただ、何を考えているのかよくわからないところのあるお人でもあった」
彼がわかりやすくそんなことはないだろうと言った表情になると、黒竜は苦笑する。
「まあ、お前はそうは思えないかもしれぬ。だが、何千年も喜怒哀楽を押し殺していた陛下を知っている身としては、あの姿にはほっとするものもあるのだよ。日ごろ苦労が多い身なのだ。あのくらいのお茶目は許されるだろうよ」
なるほど苦労した結果頭がおかしくなったのか、と彼はぼんやり勝手に結論付けているが、父親は話し続ける。
「魔人の多くは竜を獣と蔑み、嫌っているが、あの方は最初から、我々に対して好意的だった。我々がこうして空と大地とともに今でも生きていられるのは、あの方の力によるところも多い。儂もあの方にはいくらか恩がある。
だから、お前があの方の愛する娘御に気に入られたというのは、本当に喜ばしいことだ。これからも何度か王城にお前を連れて行く機会があろうが、心を込めてよくお仕えするのだぞ、ティア」
父親の言葉に彼ははい、と力強くうなずいた。
思えばきっと、既にこの頃から、彼はリリアナの事が好きだったんだと思う。
その時はただただ、もう一度会いたい、そんな気持ちでいっぱいだっただけではあるが。
帰ってきた彼は、当然と言えばそうだが、王城の土産話を期待していたエッカに質問攻めにあった。
当初は父親が一緒にいて答えていてくれたが、一通り答え終わると飛んで行ってしまう。
エッカは二人になると、彼にリリアナの事を詳しく聞き出そうとした。
彼が答えようとしないと、弟はわかりやすく顔をしかめ、ばさばさと不機嫌そうに羽ばたく。
「兄上のけちー。なんだい減るもんじゃないし、お姫様って生まれたことはみんな知ってるけど、王城の奥にこもって出てこないから謎だらけなんだもの。
教えてくれてもいいじゃないかー。名前までもらったんでしょー? ズルいや兄上ばっかりー。
……わかったよ、ボク、お姫様のこと聞いてもみんなには言わないから。それなら少しくらいいいでしょ? じゃないと、二度とお城に行けないくらい、あることないこと父上や母上に言ってやるんだから、ぶー」
最終的には脅しに屈した形で、彼はしぶしぶリリアナの事をエッカに語る。
「金の髪してるって本当? 目も金色なの? わああ、すごいなあ。ねえ、やっぱり鱗がないの? ないんだ、ふーん……。変なの――あたっ! なんで怒るのさ兄上、わかったよ、変じゃない、変じゃない! 何も噛むことないじゃないか――いててっ、歯も意外と頑丈なんだね。それでそれで、ほかには? ふうん、くすぐったい声をしてるんだ。聞いてると落ち着くけどぞわぞわするの。え、なにそれ、よくわかんない。でもさ、大人になったら声って変わっちゃうんだよね。なんか残念だねえ。で、ねえねえ兄上、それでさ。総合的にはどう思った? お姫様って言うんだから、やっぱりセオリー通り美人なの? ボクらとはだいぶ違うみたいだけど……」
エッカに尋ねられ、彼は少し考えてから答える。
「リリアナはすっごくきれいだ。鱗はないし変な布は着てるけど、それでも誰よりもきれいな見た目をしてる。どんな竜よりもきれいだったよ」
エッカは思いのほか、しっかりと、熱っぽく答えた兄にぽかんとした。
少し器用に翼で頭を掻いてから、弟は恐る恐る尋ねる。
「――兄上大丈夫? ついに転んだときに頭ぶつけておかしくしたんじゃないの?」
直後思いっきり噛みつかれ、エッカは慌てて訂正する。
「あうっ、わかった、わかったよ! ボクが悪かったってば! だって兄上が今まで誰かの外見の事、そんな風にほめたことなんてなかったんだもん、しょうがないじゃんか! ボクてっきり兄上には美醜を判断する感覚が抜け落ちてるんだとばかり――ちょっと、やめてよ、反撃するよ!? 兄上のばかー!」
取っ組み合いでは結局負けたが、リリアナの事に関しては譲らなかった。
あの庭園で、さあっと水のベールが暴かれ、リリアナの姿が現れた時のことは夢のようだった。
輝かしい容姿を持つ彼女が、彼には地上に降り立った星のように思えたのである。
――後で本人に言ったら、呆れた顔をしたのち、もうそんなこと言うな、と顔を赤くして怒られたが。
それから彼はたびたび父親と一緒に王城に上がるようになった。
父親が魔王と話している間に、彼はリリアナと一緒に遊ぶ。
魔王は一度、彼だけ城において行ったらどうかと提案したようだが、リリアナが却下した。
幼い竜をこんなところに通わせているだけでも大変なストレスなのに、ずっといさせるなんてとんでもない、と言うのが彼女の言い分だった。
彼はリリアナと一緒にいるのが大好きだったので、正直城にいろと言われたらそうするつもりだったのだが、リリアナは彼がそう言うと苦笑した。
「お前は竜だもの。ここにいるべきじゃないよ。それに毎日会ってたらめげるぞ、私は知っての通り性格悪いし」
リリアナは性格悪くなんかない、と彼が言うと、少年の姿をした王女は顔をそむけ、そのあとしばらく口をきいてくれなくなった。怒っているの? と彼が尋ねると、知らない! と答える。彼が恐る恐る表情をうかがって、顔が赤い、熱でもあるのと言うと、ぺしりと頭をひっぱたかれた。
ある時、彼女が思いついたように彼に言った。
「そういえば、私たちはずっと竜の言葉で話してたな。お前、魔人の言葉を覚える気はないか?」
彼はきょとんとする。
「魔人の言葉?」
「そうだよ。帝国語。私も父上も、竜の言葉を話せるから、今までまったく気にしてなかったんだろうけど。一応この国――いや、この世界の共通言語だもの。覚えておいて損はないと思うよ。
……まあ、その、魔人の事とか、もっと知りたいって言うのなら、ってことだけど」
そういえば城の魔人や獣人たちの話していることは、変な音の羅列で言葉としては聞き取れていなかった。
リリアナと一緒にいるとき聞き取れたのは、あれは彼女が彼のために魔術をつかってジドウホンヤクしてくれていたのだと後で教えられた。
「リリアナも、普段は魔人の言葉で話しているの?」
「そうだよ」
「それじゃ、リリアナはどうして竜の言葉が話せるの?」
リリアナは彼に言われると、どこかばつの悪そうな顔になり、やがて彼がきらきらした目で待っているのに折れてしぶしぶ答える。
「……私の憧れだったから、竜は。いつか会って、話をしてみたいと思ってたんだ」
「どうして?」
「ティア、私も本当は翼を持っているんだよ。お父様と同じだからね」
唐突にリリアナが言うと、彼は首をかしげる。
「でも僕、リリアナの翼なんてみたことないよ」
「普段はしまっているから。邪魔だし、歪だし。……私達の翼はね、おかざりなんだ。空を飛ぶための羽じゃない。
知ってるか? 有翼魔人っていうのはね、本当は魔人の中ではつまはじきものだったんだよ。翼のある魔人なんて珍しいだろ? ないのが普通なんだ。でも、かといって、獣人でもなければ竜でもない……。
私のおじい様が王になってしまったから、魔人たちは仕方なく従っているけど、お父様の事も、私の事も、本当は気に食わないはずさ。竜と同じ、翼も腕も持つ醜い獣だから」
リリアナの言わんとしていることがわからず彼が首をひねり続けていると、彼女は苦笑する。
「ああ、ごめん……。独り言になってしまった。あのね、ティア。私たち魔王の血筋のものは、祖先が竜だったって噂があるんだよ。だから私は、ずっと竜に会いたかったのかもしれない……」
なんとなく声をかけづらい雰囲気で彼女は黙ってしまう。
ティアが困った顔をすると、不意に彼にむかって手が伸ばされ、頬を撫でられた。
「そういえば、お前の本当の姿を私は見たことがないな。いつもヒト型だもの。
竜にはならないのか?」
「見なくていいよ。僕、竜の見た目はぱっとしないってさんざん言われてるし」
彼がぶすっと答えると、リリアナは微笑む。
「そうかな、でもヒト型の顔もこれだし、きっとかわいいんだろう?」
「……知らないよ、自分の顔なんてあんまり見る機会ないし。それに僕、竜になったらリリアナよりもずっと大きいんだからね。かわいいなんてものじゃないよ。かっこいいんだから、本当は」
「私がその姿を見たいと言ったら、お前は嫌か?」
彼は迷った。
リリアナがどうしてもというならそうするが、正直自分の姿を彼は好きではない……。
少し考えてから、思いつく。
「それじゃ、大人になったら、見せてあげるよ。脱皮したら、少しはましに見えるはずだから」
「……そう? それじゃ、楽しみにしてる。――ああ、忘れかけてたけど戻ろうか。それで結局、魔人の言葉はどうする?」
彼は彼女の再びの問いに、学びたい、と即答する。リリアナは嬉しそうな顔になると、早速いくつかの言葉を彼に教え始めた。
彼が一つ言葉を覚えるたびに、リリアナはとても喜んだ。
だから彼は、一生懸命彼女の言葉を学ぶようになった。
やがて父親にせがんで、帰っている間にも自主的に覚え始めた。
物覚えのいいエッカが面白がって一緒に勉強を始めたこともあって、彼は瞬く間に帝国語を習得し、半年後にはなんとかしゃべるようになっていた。
リリアナは彼が発音を間違えると容赦なく指摘したが、うまくできると微笑み、時には頭をなでたり抱きしめたりしてくれた。
彼はますます必死になって帝国語の習得に努め、父親はそれを見て戸惑うような表情をするのだった。
帝国語を大分話せるようになってくると、次にリリアナは彼に文字を教えた。
竜には文字がないから彼は習得にだいぶ苦労したが、やっぱりリリアナが叱咤激励してくれると、寝る間も惜しんで読み書きの練習をした。
リリアナがお手本に書いてくれる文字を大事に持って帰り、なくさないように寝床にしまう。
寝る前にそれを見て、起きて一番にまたそれを見る。
エッカがまたも面白がって一緒にやってくれると、両親は子どもたち二人が気合を入れて勉強している横でたがいに目を見合わせ、やっぱり首をかしげるのだった。
やがて読み書きも比較的できるようになると、リリアナは彼に、本来なら魔人のための課題を出すようになっていった。
最初は計算などをやらされていたが、そのうちに歴史や地理なども始まり、ついに彼女は彼に魔術を教えるようになった。
「竜だから、飛ぶための魔法や火を吹くやり方は、きっと先天的に持っているね。だけど、魔術は学ばないとできない。逆に言うと、魔術は魔物なら、学べば誰でもできる。
まあ、もし自分で使えなくても、知識は持っていて損をしないはずだよ。魔人が使うのは魔法じゃなくて魔術だから、知っていれば対抗できるから。馬鹿な奴が喧嘩をふっかけてきたら返り討ちにしてやるといい。きっと目を丸くするぞ」
彼女はどこか凶悪な笑みを浮かべてそう言った。
彼はさらに課題をこなすことに力を入れ始めた。
なぜなら、その頃になるとリリアナが嫌な罰ゲームを思いついたからだ。
一定以上問題を解けないと、彼女はその日は新しい課題は出さないで、代わりに彼を着せ替え人形にし始めた。
魔王が彼女のために用意した、様々なドレスを持ってきては、ティアにそれを着せるのだ。
彼は毎回かなり抵抗したが、彼女に魔術で動きを封じられてしまうとなすがままだった。
悔しかったら解いて逃げてみろ、とからかうように言われたが、リリアナの魔術は難解で巧みで、どうしても解くことができなかい。
彼女は、ぎゃーぎゃー抗議の声が上がるのを無視して、心行くまでドレスアップをすると、むすっとした顔の彼の周りを一周し、満足そうにうなずくのだった。
魔術を使うには、呪文を唱えるなり印を結ぶなり、あるいは何か記号を書くなり、それなりの発動条件がある。
だからこそ、それを見て相手の使う魔術を予測し、対処することもできるのだ。
リリアナは、魔術を使うときもまるで魔法のようだった。
彼女は特になんの準備もしないまま、いきなり術を発動させる。
まるで息を吸い、吐き出すかのように、自然に、こともなげに。
後で何人か魔術師に会う機会があっても、彼女ほど涼しい顔をして魔術を使いこなす人物は早々見られなかった。
彼が本当は魔法を使っているのではないかと尋ねると、これも立派な魔術だと彼女は笑う。
知りたければ、もっと頑張れ、と。
そのうち調子に乗ったらしいリリアナがアクセサリーだとか化粧道具も持ち込み始めたから、彼は益々必死になって正解しようと勉強した。
リリアナも罰ゲームにかこつけて彼をおめかしするのが楽しくなったのか、課題の難易度をつり上げた。
――一応、彼が一人でも勉強できるように本を貸したり、どうしても解けないような問題は出さないでいてくれたが。
量が膨大になってくると、さすがにエッカも飽き始めてその辺に飛んで行ってしまうようになったが、それでも手伝ってくれるときは心強い味方だった。
エッカはとんでもなく知識欲が強く、目を爛々と輝かせながら聞いていることは大体覚えていた。
ただし興味のないことは、そもそもやったかどうかも忘れているのだが。
――だが、彼とてエッカ程効率よく覚えられはしなかったが、リリアナの言ったことならすぐに思い出すことができた。
彼女の言葉はそれこそ魔法のように彼の中に響くのだ。
彼は着せ替え人形にされるたび、自分より絶対リリアナの方が似合う、リリアナに着てほしいと何度もお願いしたが、聞き入れられることはなかった。
リリアナは、女服は自分では着ないけど、捨ててしまうとさすがに父王が哀れだから彼が着るのが一番いいのだ、と毎回言っていた。
なぜ女服をそう頑なに着ようとしないのかについては、あまりきちんとした答えをもらえなかった。
ただ、彼が彼女の髪の毛を、綺麗なのに伸ばさないのかと何度も言っていると、そのうち切らずにいてくれるようになった。
そのことに気が付いて嬉しそうな顔になると、彼女はなぜか彼の頭をぽかぽか叩くのだった。
そんな風に過ごして、出会ってから100年以上時が過ぎていた。




