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ふたつ島  作者: すずりん
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一章 マトリョーシカの匣

 四角く縁どられた窓から見える海。白い部屋の一角から臨む、透明なガラスを通した風景が、枝理はとても好きだったし、また嫌いでもあった。要するに、その窓から見える景色の好き嫌いは、彼女の一分一秒の、心持ち次第だった。


 帰り道、顎を落として眠る犬を、撫でようとして吠えられた日。その日の海は、彼女の心のどんよりを、すぐにでも投影して、うっそうと惨めな青を映し出した。粘膜のように濃い表面が、奥に隠れた藻のねちねちを覆い隠すようにして、彼女の眼前を覆った。しかし例えば今日この日、親友からプレゼントを貰った日などには、羽毛のように軽やかな気持ちと、今すぐにでも歌いだしたいその心の晴れやかを、澄んだ海は爛々と、両手を広げるようにして、言わば体現してくれる。


 沖合いの丘に、体育座りして佇む家々のひとつが、雨坂枝理の生まれ育った土地だった。浜辺から泳いでいけるかいけないかの距離に、ふたつの小島が立っていて、このあまり冴えない地方を、ちょっとした観光地たらしめていたのは、その小島のおかげだった。ふたつ島と呼ばれたそのふたつの小島は、双子のように似通って、どちらとも判別が付かない。


「どっちがお姉ちゃんで、どっちが妹なんだろ? いや、兄弟かもしれないわ」


 そんな風なことを、窓から眺めながら考えるのは、もう何度目のことか。指を折って数えても、余りあるほどだったけれど、今日のような特別な日には、そんなことはどうでも良いと、寄せては帰す波々に、疑問を洗い流せてしまう。枝理はそれよりも、と頭を指で掻いた。長い黒髪に入れた指先が、くしゃくしゃと上下に揺れると、それに合わせて黒髪も揺れる。


 彼女にとって重要な問題が、ひとつ残っていた。テーブルに広げた包装の上に、ぽつりと置かれたプレゼントは、一辺が七センチほどになる緑の匣で、問題とはその匣の中身だった。


「……なんで入れ子になってるわけ?」

 




 それはこういうことの次第だった。最初、彼女は包装を広げたテーブルの前で、右往左往した。親友は中身が何か教えてはくれないし、それは開けてのお楽しみだった。であるから、彼女がそれに指をかけて、するりと蓋を押しあげたときには、頭の上に文字通りの、はてなが浮かんだ。


「んん?」


 緑の匣には、ひとまわり小さい匣が収まっていた。なんであっても驚かないと身構えてはいたものの、思わぬ覚悟が横にそれて、頭の上には疑問符がひとつ。


「……大層なものであるのかな」


 そしてもう一度。えい、と蓋を押し上げると、中にはもうひとまわり小さなそれ。


「なにこれ?」


 ぽこぽこと蓋を開けては取り出して、テーブルの上に広げていく。ひとつ、ふたつ、みっつ……で、全部で七つ。すべて異なる色をしたカラフルな四角い匣で、枝理はそれを綺麗に横に並べてみた。最後のひとつとなると、一辺三センチほどの小さいものになった。押し開けてみると、予想はしていたものの、中身はから。


 枝理は最後の匣の中に、指をすぽりと入れてみた。第二関節を曲げると、人差し指は宙を切って揺れた。そんなことをしてみても、なにになるわけでもない。


「桜はなにがしたいんだろう……」


 指を戻し、脱力。それから天井の白を見上げて、桜にプレゼントを貰ったときのことを思い出そうとした。白い壁の向こうから、ぐるぐると渦を巻くようにして、記憶はすぐにやってきた。


 ──はいこれ、プレゼント。


 金色の短い髪が、かしげた彼女の首に合わせて、小さく揺れる。


 ──え、なにこれ。くれるの?


 驚いた枝理の表情に、桜がにっこりと微笑む。


 ──誕生日でしょ。小物店に寄ったとき、面白いもの見つけたんだよ。はい。


 桜の白い耳が髪のあいだからぴょんと出てるのを、そうしてそれがちょっと赤くなってるのを、ついついと泳いだ眼で確認する。それから手渡しで、包装されたそれを受け取る。


 ──え、ありがと。嬉しい。中身なに? 見ていい?


 ぴしゃりと手をこちらに向けて、桜が言う。


 ──や、それは帰ってみてのお楽しみということで、お願いします。





 四角い窓。四角いテーブル。四角い部屋に、四角い匣々。世の中には四角というのが溢れていて、言ってみればそれは枠であり、枠であるというのはつまり、中に収まるものがあって、枠と、そういうことになっているわけで、ひとたび辺りを見渡せば、どこだかにひとつでも、四角はある、枠はある。枝理がそういう風なことに思いを巡らせたのは、いつものこと、教室で授業を受けているこのとき、黒板だかいう四角い黒に、教師がなにやら白いチョークを、指でつついて動かしているときだった。


 ひじを机につけて、頬に手を添えて、四角い窓から見えるものは、けれども四角くはなかった。自然界にあるさまざまは四角くない。自然界に入れ子はあっても直線はない。それがほんのちょっぴり嬉しいことだと思ったつかの間、教師に指名される。


 彼女のそこでの役割は、問題集に並んだ余白に、いちにいさんしの記号を埋める作業だった。彼女はそれにいちと答え、すぐに出番は通り過ぎた。前の方に座った赤波江桜の顔は、枝理からは見えず。ブレザーのすらりとした服の上にちょこんと乗っかった、動かない金髪だけを後ろから眺める。教室の中で、彼女の短い髪だけが、枝理の眼には、はっきりと浮かび上がっているように見えた。





 体育教師がベンチに座って、白い紙になにやら書き込んでいるのを横目に、ぽこんぽこんと球を打つ音が、そこかしこから聴こえてくる。隅っこにあるテニスコートを使用して、枝理と桜もテニスに興じていた。ラケットを振ってボールを弾くたび、それに合わせて、彼女たちは台詞を応酬しあう。


「昨日もらったプレゼント、開けてみたんだけど」


 枝理がサーブを打つ。


「うんうん。で、どうだった?」


 ボールはすぐにバウンドして、桜が切り返す。みょーんとバネのように飛んでいって、また枝理の元に戻る。


「や、や。言いにくいんだけどさ……あれ、なに?」

「見ての通りでしょ、入れ子の匣。マトリョーシカ人形とか、知らない?」

「それは知ってる」


 真ん中にしきったネットに、ボールがぽすんと当たって落ちる。ころころと転がる黄色。枝理がそれを拾いにいって、もう一度サーブする。


「言いたいのは、あれ貰って私はその、どうすれば、いや、桜がなにかくれるのは嬉しいんだけど。桜から貰えるものはなんでも嬉しい。問題は、中身がすっからかんというのは、どうにも釈然しないということ、なんであって……えい」


 下から打ち上げるようにして、柔らかくボールを飛ばす。


「なんでプレゼントが入れ子の匣?」

「あれが目に付いたとき枝理は好きそうかもと思った」

「あの匣が……?」


 膝を曲げた枝理が、んんんと唸る。


「ぱっこぱっこ蓋あけて全部、取りだすでしょ。そしたら最後の匣のからっぽ。桜だったら、そこになに入れるべきと思う?」

「うーん。もしなにか入れないといけないなら、私ならビーダマでも入れるかも……それっ」


 打ち上げたボールは高い放物線を描くと、太陽が後ろから照って、レモンのように光る。


「なんでビーダマ?」

「ちっこい匣に入れるなら、ものは限られてるでしょ。ビーダマなら、綺麗だし。透き通ってピカピカで……。蓋ぜんぶ開けて、最後に出てきたものが、わあっと目に飛び込んできたら、なんかいい気持ちがすると思う。だから目で見て綺麗っていうのが、たぶんその、一番のポイントです」

「ふーん」


 枝理が打ったのを最後に、桜はそれを地面にはたいて、打ち合いは止んだ。手にとったボールをしげしげと眺めた桜が「それより、これ」と切り出す。


「けっこう面白くない? グラウンドの外れにもういっこ、小さなテニスコートがあるんだけど。使われてないみたいなんだよね。暇な日の放課後とか、ラケット持って行ってみない?」

「へぇ……。まぁ、いいけど」

「じゃあ決まりね」


 言い終わると同時に笛が鳴った。柵の向こうに隠れた小鳥が飛び立って、その日の授業は終わった。





 ──この日の窓から眺めた景色は、なんだかいつもと違って見えた。なので私は、今日この窓枠から見えたものものを、ひとつ日記に書いてみることにします。


 いつも通りの四角い枠に、もちろん変わりはありません。そこから臨む海はいつもどおり、小島もいつもどおりです。海の底にふかく根を下ろして、ふたつの小島は動かないから、波に打たれた壁面が、すこし削れているお互いを、お互いがちらと確認しあうに留まります。「そちらの調子はいかがですか、波に削れてますけど」と片方が言うと、もう片方が応えるには「至っていつもどおりですよ、もう慣れていますから」といった具合。壁面を殻とすれば、芯はたしかに見えません。


 ところで、そのふたつ小島の真ん中あたり、ぽっかり浮かんだ太陽が、なんだかとても眩しくて、無性に泣きたくなるような、真鍮極まりない黄色を焼いていました。おのおの縁取る輪郭は、光に当たってゆらゆらと、揺り篭のように揺らぎます。かかる黄を背景として、夏はもうすぐそこにあります。匣の中に入れるのに、桜が思いついたのは、ビーダマらしいというのがそれともうひとつ──<日記の一片>

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