魔王、廃業します。
「ついに追い詰めたぞ、魔王!」
目の前に立っているだけで足が竦むようなプレッシャー肌を打つのを感じ、勇者は気合いを入れ直す。
どれだけ消耗していようと、相手は魔王。魔族の王たる存在であり、無限にも等しい魔力をその身に宿しているのだ。
恐怖は有る。しかし、負けられない。
自分が今ここにこうして立っているのは、体を張って他の魔族と相対している仲間達のおかげなのだから。
勇者は自らの剣にすべての力を込め、渾身の一撃を放つ。
駆ける足は疾風の如く。睨み据える瞳は猛禽の如し。
疾風迅雷。そう呼ぶに相応しい一撃が、確かに魔王を捉えた!
床に舞い散った血はどす黒く、崩れ落ちる漆黒のローブに身を包んだ巨体から立ち上る瘴気は今までに見たこともない程に強烈な物で、死を前にしているとは思えぬ程のそれは恐怖を誘う。
「見事だ、勇者よ…」
くぐもった声はどこか嘲りを含み、まるで待ち受ける何かを予感させるような力を持っていた。
まだ、力を残しているのか。そんな不安が心を過ぎる。しかし、次の瞬間それが杞憂であったことを知る。
力無く倒れ伏す巨躯にもはや生気は無い。状況が状況だけに、いまだ勝利を確信出来ずに呆然としていた勇者は、気づく。魔王の体が次第に霞のように消え始めていることに。
「勝った…のか。」
ぽつりと零れ落ちた言葉は確認。
返答の無いそれに己が成し遂げたことを理解した彼は咆哮を上げる。
勝利の雄叫びだ。
こうして長年に渡り魔王の脅威に晒されてきた世界は救われた。
そんな人間達の幸せの裏側で、ほくそ笑む一人(?)の存在がいた。
「いやー思いのほか上手くいったな。」
バサリと自らが身に纏う漆黒のローブ…今や見るも無残な襤褸切れとなったそれを脱ぎ捨て、一人の青年は笑った。
長身痩躯の優男といった見た目をしている彼こそ、今しがた“勇者に倒された最強最悪の魔王”だったりする。
「それにしても、人間って思った以上にバカなんだなぁ…俺があんな簡単に死ぬわけ無いだろーに。」
無限に近い魔力持ってるって流布してんぞ? ちゃんと。挑戦者相手に情報隠蔽するほど余裕無いような雑魚とは違うってんでそこら辺キチッとしてるはずなんだけどな。
まあ実際は“無限に近い”じゃなくて“無限に有る”っていう違いはあるけど。
どうやったって勝てないだろって? そんなん知るか。だって俺魔王だぞ?
そもそも人間が魔王に勝てるわけ無いんだって。そういう風に出来てんだから。
じゃあ何で勇者に負けたのかって? 負けてねーし。そういう風に見せただけだし! 相手の渾身の一撃らしきものを直撃させる直前から自分の体に【治癒】かけて、喰らった直後は【幻惑】で大怪我負ってるように見せたってだけ。ついでに言えば、最後消えるところだって【転移】の応用で、魔力さえあれば誰にでも出来ることだ。簡単に言ってしまえば力業に他ならん。
「それも見極められんとかお前…。さては神のやつ、適当に選んだな?」
“勇者”とは神が選ぶ所謂時代の調整役。
色々と磨耗した世界の罪を魔王にひっ被せて、その魔王を退治するための存在。
俺達のような人智を超えた存在からは“汚れ役”なんて言われてたりする。可哀想に、神なんぞに目をつけられたばっかりに自分達が本来立ち向かわなくて良いような魔獣やら魔族やらと相対しなきゃならんし、あまつさえ魔王を倒せってそれなんて無理ゲー?
選ばれる前は農民だったり、商人だったり、奴隷だったり、異世界の住人だったりと、まあ千差万別。騎士や軍人みたいな戦うことを前提とした職業の人間が選ばれることは稀で、むしろ一般人ばかり選ぶあたり神の底意地の悪さが見て取れる。お前は鬼かと何度口にしたか知れない。
神の啓示だなんて言葉に惑わされちゃあいけない。あいつは単なる愉快犯だ。自分が面白ければ割と何でも良いってタイプの身勝手野郎なのだ。あいつの部下の天使達に何度助けを求められたか…。うん、まあそれは置いておこう。とりあえずあいつに選ばれた“勇者”様には労いの言葉をあげたい。
「さーって、…んん、よし。こんなもんで良いか?」
自分の中のイメージを具現化し、身に纏う服がまったく別の物に変わる。【創造】の応用だ。
上は薄手の長袖にベスト。下はシンプルなズボン。装飾品は特につけず、装備としては小振りの装飾銃。魔王の魔力にも耐えられるよう調整して作ってみた。うんうん、悪くないんじゃないかこれ? 俺かっこいい! どっから見てもそこら辺にいる冒険者と変わらないだろ。
満足げに腰に手を当て満面の笑みを浮かべて仁王立ち。傍から見たらたいそう変な人だが、ここは魔王城から少し離れただけの場所。勇者が乗り込むという情報は広く知られているはずだ。そんなところにわざわざ来る阿呆はいない。
「これでようやく俺は長年の夢を叶えられる!」
何度も言うが俺は魔王だ。しかも、世界を生み出した創造主である神の唯一同格というオプション付き。そんなもん相手に人間がどう頑張ったところで勝てるわけがない。それは世界の道理だ。
だが、そうなると、今まで魔王を退治してきたという伝説はどこから来たのかという話だ。
俺は今まで一度も倒されたことが無かった。何でって当たり前だろ? 俺一応最強ってことに誇り持ってるし。負けるとか嫌じゃん。だもんで神のやつが用意した、所謂“お飾り魔王”を、これまた神が選んだ勇者(笑)に倒させるという見事な自作自演をしていたわけだ。
魔王を用意する→勇者を選ぶ→神の啓示(笑)で勇者をその気にさせる→魔王を倒させる→世界は平和!
そんなルーチンワークを繰り返していたのだ。俺が神を底意地が悪いとか、根性曲がりだとか言う理由が分かっていただければありがたい。
まあ、それを俺も最近…千年くらい前まで面白がって見ていたんだけど、それも退屈してきた。というか飽きた。毎度毎度お決まりの展開、お決まりの結末。勇者は旅の間に出会ったり、元々フラグの立っていた相手と幸せになりました、めでたしめでたしってなもんだ。そんなのはもう見飽きたってんだよコンチキショー。
そんなわけで俺は心機一転。過去のあれそれを清算し、新しい人生(魔王生?)を送ろうと思った。
一度倒されてしまえば、魔王としての役割は一応無くなる。そして、俺は神と対だからこの世から消えることは無い。つまり、一度倒されてしまったその後はどこで何をしようが世界は俺に干渉出来なくなるのだ! イエーイ! 俺の時代だぜー! いや、ある意味今までも俺の時代だったけど。魔王の俺をこわがって人間達が勝手に暗黒の時代とか言ってたし。
まあ、そんなこんなで俺こと“混沌の王”やら“終末の魔王”なんていう後々古傷になりそうな二つ名を持つ最強にして最悪の魔王は、今、この時をもって世界から消える。
俺は今日から一般人だ!