【三題噺】明日はプール日和。
私のコンプレックス。
一つは、頼まれると断れないところ。
そして、もう一つは名前。
うちのクラスには、問題児がいる。
教師が手を焼くいわゆる不良。
金色の髪は、およそ日本高校生には似つかわないし、左耳のピアスは痛々しくて見ていられない。
関わりたくない人物No.1。
だけど、それがどうしてこんな事になったのか。
「唐沢くん……」
「なんだよっ!」
プールの中から、苛立った声が応える。
「お願いだから、ちゃんと泳いで」
「ちゃんと泳げなくて、悪かったなっ」
そう吠えた彼に、私は頭が痛くなった。
「水泳の補習?」
「そう、居残りみたいなもんだ」
体育教師の北村先生が、そう笑った。
「それを、代わりに監視してろと?」
「今から、俺出張なんだわ」
頼むよ――――そう手を合わせて、先生が頭を下げる。
「今日の補習は一人だけだし、見てるだけでいいからさ」
「一人だけなんですか?」
「そう、簡単だろ」
そこまで言われても、悩む私に先生はついに切り札を出す。
「頼むよ、委員長」
「……はい」
そう言われては断れないと、仕方なく頷いた。
単に、一人の泳ぎを見ていれば、いいだけなんだし。
そこで、そういえばと思う。
「その一人って誰なんですか?」
私の問いに、先生は恐ろしいほど爽やかな笑顔で言った。
「我が校誇る不良の唐沢くん」
親友に、人生を損する人種だと言われた事がある。
その時は全否定したけれど、今は確かに、と思う。
「唐沢くんて、泳げなかったんだね」
「悪かったなっ」
プールの中から、唐沢くんが私に向かって再度叫んだ。
いつもの金髪は、水に濡れて元気なく垂れている。
まるで、犬の耳の様だなと場違いに思った。
「てか、お前誰だよっ」
犬は、犬でも不良犬だけど。
「同じクラスで委員長の相葉」
「相葉ぁ?」
さらりと答えると、知らねぇ――――眉を潜められた。
それは、あなたがクラスに日頃いないからですよ、とは言わないでおく。
そこまで、私は馬鹿正直ではない。
「名前は?」
「……奈々」
唐沢くんは一瞬、きょとんとして、
「なんだお前だったのか」
理解不能の台詞を言って、笑う。
その表情は、とても無邪気で思わず見とれた。
「で、どんだけ泳ぐわけ?」
その問いに、はっと我に返る。
高校生男子に見とれるなんて、増してや不良の唐沢くんに見とれるなんて。
慌てて、スカートのポケットから、メモを引っ張り出す。
「クロール200、平泳ぎ200」
メモを読み上げて、首を傾げる。
「唐沢くん、水泳の授業は全部サボってたよね。このメニュー、少なくない?」
「北村のやろうは、俺が泳げないの知ってんだよ」
唐沢くんは苦々しく吐き捨てた。
その言葉に、不意に気付く。
「じゃあ、唐沢くんがサボってたのは泳げないから……?」
舌打ち混じりに、唐沢くんが顔を背けた。
ピアスの穴が、濡れた髪の間から見え隠れする。
「泳げないなんカッコわりぃ」
「でも」
私は、プールサイドにしゃがみ込んだ。
唐沢くんが驚いた顔をする。
「だからって、逃げてる方がカッコ悪い、と私は思う」
茶色の瞳が僅かに揺れた。
私はなんで、こんな事言ってるんだろう。
関わりたくなんてなかったのに。
「そんな事、知ってる」
唐沢くんが、私を睨め上げた。
鋭い視線に怯みそうになる。
でも、
「泳ぎ終わるまで、私は帰らないから。唐沢くんも、帰らせないから」
精一杯の担架をきった。
「逃げるのはカッコ悪いよ。カッコ悪くはならないで欲しい」
いくら不良でも、金髪でも、こんなに無邪気に笑えるんだから。
「がんばろう」
自然に笑みが零れる。
一瞬の空白。
すると、唐沢くんは乱暴に髪を掻きむしってぼそっと言う。
「……わぁったよ」
「?」
「だから、逃げねぇって言ってんだっ」
顔を赤くして、唐沢くんが目を逸らす。
「あと、恥ずいから、あんまこっち見んな」
その台詞に、思わず吹いた。
唐沢くんは案外、可愛い人かもしれない。そう思った。
「悪かったな」
突然の謝罪に、私は隣を歩く唐沢くんを見た。
「こんな遅くなっちまって」
対する唐沢くんは、前を向いたまま。
「別にいいよ」
そう、現に送ってもらっている訳だし。
結局あの後、400㍍泳ぐのに2時間かかった。
空はすっかり闇色に染まっている。
「唐沢くん、逃げなかったし」
「あそこまで挑発されて、逃げられる不良がいるか」
呆れたような声音が可笑しくて、くすくすと笑う。
不意に唐沢くんが立ち止まった。
「唐沢くん?」
「ちょっと待ってろ」
そう言うなり、スーパーの中に走り込んでいく。
止める暇もなかった。
「どうしたんだろ……?」
首を傾げつつも、私は彼を待つ。
唐沢くんが店から出て来たのは、約30秒後。
確かにちょっと待っていろ、だ。
「ほら」
白いビニール袋を放り投げられ、慌ててキャッチする。
「なにこれ」
「今日の礼」
袋は思ったより重い。
中身を覗き込んで、絶句する。
「ちょ、唐」
「相葉奈々。実は、クラス名簿、見たときからずーっと思ってた」
悪戯っぽく笑って、唐沢くんが袋を示す。
「あだ名は、バナナ決定だって」
「ちがーうっ!」
そのあだ名は、中学で封印しようと決めたのに。
「共食いでもしてろ」
じゃあな、バナナ――――最後に、眩しい程に笑いながら手を振って唐沢くんは走って行った。
一人残された私は、袋に入ったバナナを持って立ち尽くす。
「唐沢くんて」
夜空に浮かぶ星々を仰ぐ。
「恩知らずだなぁ」
そう呟いて、私は一人で笑った。
明日は、快晴。
きっと不良も喜ぶ、いいプール日和。
三題噺として書きました。
不良、バナナ、プール。