1-3、ヘンテコな少女様っ!?
ザクザクザク…………。
雪も大降りになってきた、ここは《スノー・フォレスト》。
その森の中に、二人の不審な人間がいる。
一人は、長い黄銀の髪に、真っ赤なリボンをした少女。
一人は、やけに老けて見える、せきぎん赤銀髪の男。
二人は、地面には這い蹲って、茂みに頭を突っ込んでいる。
一見、少し頭がおかしい人間のようにも見えなくはないが、二人は多分、正気である。
アリスとディークは、あるモノを先程から探していた。
そう。アリスのぬいぐるみである。
雪がだんだんと降り積もり、捜索は困難に陥ってきた。先程まで見えていた赤茶の地面は雪に覆われ、もうその姿は見えない。この調子では、アリスのぬいぐるみも雪に埋もれているだろう。
「なぁ、青いウサギのぬいぐるみだったよなぁ?」
茂みに突っ込んだ頭を引き抜いて、ディークがアリスに呼びかける。
同じくアリスも、ディークの近くの茂みから顔を出して答えた。
「うん。首に、あたしと同じ赤いリボンしてるから」
ザクザクと雪を掘り続ける二人の手は、すでに真っ赤に染まっていた。あまりの雪の冷たさに、両手がぶるぶるとかじかむ。
「はぁ~、雪……冷てぇ……」
感覚が無くなってきた手に、はぁ、と息を吹きかけ、ディークは両の手をこすり合わせた。アリスを見ると、雪の冷たさなど感じていないかのように、せっせと雪を掘り続けている。深く息をついた。
「……ホントに、ここに落としたのか?」
アリスの手が止まる。しかし、アリスはまたその手を動かし始めた。
だからディークも、ウサギ捜索を再開する。
ウサギ捜索を始めて、一時間は経ったろうか。この辺りの土はあちこち掘り返した。その証拠に、ここらの地面にはぼこぼこと穴が開いている。まぁ、それもこの雪ですぐに埋もれてしまうだろうが。
「……さっきの話だけどさ」
視線は手から離さぬまま、ディークは独り言のように呟いた。
アリスは、聞いているのかいないのか。しかし、ディークは続けた。
「マジで、何にも覚えてねぇのか」
アリスは何も言わない。その事については話すつもりは無いらしい。
諦めて、ディークも黙った。
髪に降り積もった雪が、とろりと溶けて、つっと伝う。空気が張りつめ、肌が痛い。
「……覚えてないよ。何も。さっき言ったでしょ」
ぼそりとアリスが口を開いた。
返事が返ってくるとは思わなかったので、ディークは少し驚いた。
「……で、おま……じゃなくて、アリス様はこれからどうする気なんだ?」
一応、「様」をつけておく。しかし、口調はため口。
何か飛んでくるかと少し身構えたが、何も飛んでこなかったので、どうやら機嫌を損ねてはいないようだ。
「……わからない。でも、自分が何者なのかは知りたい」
「……あのさぁ、ある一族を根絶やしにするって話」
アリスの動きが、ぴたりと止まった。その事については触れられたくなかったのか、凄い形相でこちらを睨みつけてくる。
「おいおい、そんな目で睨むなよ。俺、臆病なんだから。単刀直入に聞くわ。おま……アリス様は、マジでその一族を根絶やしにしようなんていう、物騒なコトするつもり?」
アリスの瞳が険を帯びる。底の見えない暗く深い闇が、そこにあった。
「……そうだって、言ったら?」
鋭く、相手の思考を探るような、低い声音。
ディークは、腹に溜まったモノを吐き出すかのように、深く息を吐き出した。。
「……べっつにぃ。何にもないけど。でもさぁ、なぁんにも覚えてないんだろ? その一族を根絶やしにするったって、そいつらを殺す理由も知らないまま、ホントにそんな事できんのかぁ?」
くるりとこちらに背を向けてしまったアリスに問いかける。
十秒ぐらい返答を待ってみたが、何も返って来なかった。
それにしても、とアリスの背中を見ながら、ディークは思う。
全く、厄介な人間と出会ってしまったものだ。
このご時世、旅人なんてものはそんなに珍しくもない。平和、と言いきるには難しいが、それでも目立った争いも起きていない現在、このカルネリア大陸に存在する五大国は、どこに出入りするにも大して苦労はしないからだ。
ディークが旅に出て、はや三ヶ月。その間に、いろいろな旅人を見てきたが、アリスのような子供の、しかも女の子など見たことはなかった。大体が、よぼよぼの年寄りか、男だった。
自分の事を何も知らない、幼い少女。見たところ、歳は七、八歳。けれど、尋常でない戦闘能力を持っている。おかしいのはそこだ。あの歳にして、大人を軽く上回る程の戦闘センス。何らかの訓練を受けていたとしか思えない。あの並外れた戦闘能力があれば、旅人を襲う盗賊などの心配はないだろう。しかし、所詮は子供だ。万一って事がある。
考えれば考える程奇妙だ。一体、記憶を無くす前のアリスは何者で、また何の目的で旅をしていたのか。
アリスの言うとおり、ある一族を根絶やしにするためか。それとも、何か別の目的があったのか。まぁそれはともかくとして、何故、あの歳にして、その一族を根絶やしにしようなどと思い立ったのだろう。
そこまで考えて、ディークは考えを打ち消した。
自分らしくもない。あれほど、他人に干渉するのは二度とごめんだと思っていたのに――――。
『ある一族を根絶やしにする』と言ったときの、あのアリスの瞳を見てしまったからか。
首を振って、ディークはぬいぐるみを探すことに専念した。――――と。
一瞬、何かが遠くの方で光るのが見えた。きらきらと光るあの色。すぐさま立ち上がって、そちらの方に走る。これでも目はいい方だ。見間違えていなければ、あれは―――。
はっはっ……と軽く息つきながら、雪の間からちょこんと顔を覗かせている物に視線を落とした。
雪の雫を受けて、光っていたのは―――赤いリボン。
腰をゆっくり落として、せっせと雪を掘る。雪はまだ積もりたてで、ふんわりと柔らかかい。雪の冷たさはもう感じなかった。指の先が、とっくにかじかんでしまっていたから。
つんと指の先が何かに当たった。雪を掻きだし、それを静かに取り出す。
「……やぁっと、見つけた……」
雪に濡れて、濡れ鼠ならぬ濡れウサギになってしまっていたが、間違いない。
ディークは、青いウサギのぬいぐるみを高く掲げる。
光を背に、ウサギは何だか、人間のように見えた。はぁ、やっと解放された。とでもいうような。すると、
《助けにくんのが遅いんだよ、このバカ!》
突然、ハイトーンな声が耳をつんざいた。
びっくりして、ぬいぐるみを見る。が、ぬいぐるみはただのぬいぐるみだった。人の顔のように見えたのは気のせいだったのか。
アリスがこちらに走ってくる。
「見つかった?」
はぁはぁと肩で大きく息をついて、アリスが聞いてきた。顔にはかすかに汗が滲んでいる。頬が、ほんのりと赤みを帯びていた。
「ほれ、これだろ」
ずぶ濡れの青いウサギをアリスに手渡す。
アリスは手を震わせながら、ウサギを受け取った。
「……ごめんね。ごめんね、アン……」
アリスが、ぎゅっとウサギを抱きしめる。あまりにもきつく抱きしめられた為に、アンと呼ばれたウサギからは、染み込んだ水がボトボトとこぼれ落ちていた。ちょうど、濡れ雑巾を絞ったときのように。
ディークには、ウサギが、ぎゅうぎゅうと抱きしめるアリスの腕の強さに苦悶しながらも、ほんの少し照れているように見えた。
しかしながら、こうしていると、アリスもただの子どもに見える。というか、子どもなのだが。
まぁ、こういうのもたまには悪くない。
小さく笑みを浮かべて、ディークは思った。
なんにしろ、これでやっと、恐怖の少女から解放されるのだ。そう思うと、ディークは天にも昇る気持ちだった。
「ねぇ、ディー」
密かにその場から立ち去ろうとしていたディークは、再びアリスに呼び止められ、恐る恐る振り返った。
「……な、何でしょう?」
引きつった顔でディークが答える。
アリスはぬいぐるみを引きちぎりかねない強さで抱きしめながら、少し躊躇した様子で、小さくこう言った。
「……まぁ、これを探してもらったのは、あたしに発砲なんてしたんだから当然と言えば当然だけど」
何が言いたいんだコイツ。
ディークは青筋を額に浮かべながら、怒りを何とか押し隠す。
「……アンを見つけてくれて、ありがとう」
それだけ言うと、目尻をほんのりと赤らめて、アリスは静かにうつむいた。
どくん。
突然、鼓動が強く波打った。
は? どくんって何だ、どくんって。
ディークは自分の心臓に問いかける。
が、心臓が返事をするワケもなく。かわりに、ドクドクともの凄い速さで脈打ち始めた。
顔が、か――っと真っ赤になる。
へ……何? 何なんだ、コレは。
今までに感じたことのない正体不明のドキドキに、ディークはひどく動揺していた。
「どうしたの? ディー」
真下から顔を覗き込まれて、ディークは異様なほどうろたえ、後ずさった。
「な……何でもねー」
アリスが怪訝そうにこちらを見つめる。
ディークはドクドクと高鳴る胸をきつく押さえながら、ふいっとアリスから瞳を逸らした。
俺……俺……どうしちまったんだぁ~?
一人うろたえている、やけに老けた男。
そんな男の側で、顔を傾げている、天使のごとく愛らしい少女。
その腕に抱かれて、ほんの少し嬉しそうな、青いウサギのぬいぐるみ。
雪はとどまることなく二人と一匹に降り続ける。
ここは、《スノー・フォレスト》。
雪に閉ざされた森。朝は短く、夜は長い。
真っ白に染まった銀の世界は、ゆっくりゆっくりと静かな闇に呑み込まれていく。
それはまた、この二人も例外ではなく。