1-2、ヘンテコな少女様っ!?
少女は考えていた。
少女の名は、アリスという。
年の頃は七、八歳か。その顔立ちは見れば見るほど愛らしく、天使のようであった。
さらさらとした生地のズボンを穿き、両側にスリットの入った蒼いワンピースのようなものを着て、その上から濃紺のロングコートを羽織っている。
ぱっちりと見開かれたリスのような金茶の瞳は、凛と気高く。肌は透き通るように真っ白で。首に、蒼石の十字のペンダントを下げている。これで頭の上に輪っかが浮かんでいれば、間違いなく天使に見えるであろう。しかし、アリスの顔に表情はない。まるで意志のない、造りのいい人形のようだ。
けれど、しっかりとアリスには意志があり、思考があり、目の前にいる老けた男について考えていた。
この男、アリスが茂みの中で探し物をしていると、突然、何を思ったかこちらに向けて発砲してきた。さては、旅人を襲う盗賊か、とアリスはトランプを取り出し、相手に向かって投げた。だが、この男、なかなかの強者で、こちらが投げたトランプをするりとかわし、あろうことか話しかけてきた。
アリスにしては、そっちから発砲しておいて何を言っているんだ、という心境である。久しぶりにかなりムカついたので、武器を奪い、こうして剣を男の首に突きつけている訳だが、アリスには、少し脅してやろうという気持ちはあっても、殺すつもりはさらさらなかった。
けれど、この男、アリスがそう思っているとはちっとも気づいていないようだ。
先ほどから、視線を外そうとしない。
――あぁ、この男、あたしに反撃するつもりなんだな。
瞬時に、アリスはそう判断した。わずか七、八歳の子供がここまで推理するとは。末恐ろしいお子様である。もちろん、ここで反撃されるようなアリスではない。
きっと、この男、あたしに何かを話しかけてあたしの気を逸らし、その隙に自分の武器を奪い返すつもりなのだろう。それならば、こちらにも考えがある。ほんの気まぐれだったが、アリスは、この男に聞きたいことがあったのだ。
だから、アリスはこの男より先に口を開いた。
「あなた、かみさまを信じる?」
男は出鼻をくじかれ、その上、アリスの口から出た言葉に心底驚いたようだった。ポロリと煙草を落とし、呆然とアリスを見つめている。しばらくして、男が口を開いた。
「……は?」
その反応はごくまともなものだった。しかし、アリスは、こんな答えを待っていたのではない。だから、もう一度問うた。
「あなた、かみさまを信じる?」
ここで何の反応も返ってこなければ、アリスはこの男を昏倒させるつもりだった。
「いきなり、何? おまえ、信仰者か?」
反応は、返ってきた。けれど、質問には答えていない。この男があたしを信仰者と呼んだのは、自分の胸に光っている十字に気づいたからだろう。あたしの事を信仰者だと男が思ったなら、この後男が吐くであろうセリフはたった一つだ。
最もそれは、この男が、極悪非道の卑怯者だと仮定した場合ではあるが。
ちなみにアリス、この時点でほぼこの男が、その場合に当てはまる人間だと疑いもしなかったのだが。
「あなた、かみさまを信じる?」
男の問いには是、とも否、とも答えず、アリスは問い続ける。
男は、観念したのかがっくりと肩を落とし、目を閉じた。
「信じてないよ」
男から返ってきた言葉は、アリスが予想したものと全く違っていた。柄を握る手に、知らず、少し力がこもる。それは、アリスの機嫌が男のせいで悪くなったからではなく、男が吐いた予想外のセリフによって、少なからず動揺したからだ。だが、男の言葉はそれで終わらなかった。
「信じてないけど、嫌いじゃあないね、俺は」
アリスは、ほんの少しだけ目を見開いた。ふっと、柄を握る手から完全に力を抜いた。そして、剣を下ろす。
「気づいてたんでしょ、あたしがあなたを殺すつもりなんてないこと」
男は、はっと鼻を鳴らした。
「そんなことはねぇ。俺、この状況から早く抜け出したかったから、おまえの気ぃ逸らして、その隙にこの砂おまえに投げつけるつもりだったんだ。そしたら、土手っ腹に蹴りぶち込んで、俺の銃取り返そうと思った」
言って、男は手に握りしめていた砂をアリスに見せる。
「でも、そうしなかったのは、なんで?」
アリスがそう言うと、男は心底嫌そうにつん、とそっぽを向いた。
「本気で言ってンのか? そんな手、おまえだってとっくに気づいてたはずだ。っていうよりか、気づいて無くても、そんな事が出来る隙、おまえはくれなかっただろうしな。」
「そう」
アリスは、左手に持っていた銃を、男に投げる。
男は、それを受け取ると、じろりとアリスを睨み付けた。
「おまえさぁ、さっきから何のつもり? そりゃ、先に間違って手を出したのはこっちだけどよ、おまえは俺の武器奪って追いつめた挙げ句、剣で俺を脅したんだぜ。そこまでやっといて、あっさり俺に銃返すなんてさ。何、考えてんの? こういう結果を想像しなかったワケ?」
男が素早く銃口をアリスに向ける。
この距離なら間違いなく、自分が発砲する方が早い。何故なら、アリスの持つ剣は長剣だからだ。これが短剣ならまだしも、長剣は振り下ろすのに時間がかかる。いま、勝機は自分にある――とでも考えているのだろう。
けれど、アリスは焦りも動揺もしていなかった。ひた、とディークを見つめている。
「それなら平気」
「……なんで?」
「だって、あなたはそんなことしないもの」
男は小さく笑った。
「冗談。どうしてンなこと、おまえにわかる? 俺はおまえに殺されかけたんだぜ。しかもおまえは、ただの子供じゃあない。このまま放って置いて、またいつ、その剣を向けられるかわからないからな。ここで殺っとこうと思ってもおかしくないだろ?」
アリスは首を振った。
「あなたは、そんなことしない。あなたはあたしがこの先、あなたを殺すことなんて無いって知っている。それに」
ふっとアリスが息を吐いた。
「あなたが今、あたしを攻撃したとして、あなたはあたしに絶対勝てない。自分の銃をよく見てみればわかる」
アリスに言われて、男は自分の銃を凝視した。炎のような紅い紋様が刻まれた銀の銃。見た目はなんらかわりはないように見えるだろう。しかし。
「……げっ」
男は心底嫌気が差したとでもいうような顔で、銃を持つ腕を下ろした。
そのリボルバーに装填されていた弾は、もちろんアリスが抜き取り済みだ。それがわかったのだろう。
「装填されていない銃では、あなたに勝ち目はない。今からあなたが腰のバッグから弾を取りだして装填するのと、あたしがこの剣を振るの……どっちが早いかな」
アリスは銀に輝く長剣を見て、ちろりとディークを見る。蒼い螺旋状の紋様が刻まれた柄を握る手に、力がこもった。
男は大きくため息をつき、両腕を上げた。
「わかったよ……俺の負けだ」
アリスは、剣を下ろして腰の鞘に納めた。その柄にもまた、蒼い螺旋状の紋様が刻まれている。美しい意匠の鞘だった。
「さて。じゃあ、俺、行かせてもらうわ」
うーんと大きく背伸びをして、男はそのまま背を向けると立ち去ろうとした。
「待って」
アリスの声に呼び止められ、男はアリスに向き直る。
「何?」
おい、ちょっとふざけるな。
不思議そうに首を傾げて聞いてくる男を、今度はアリスが睨んだ。
「あたしに間違いとはいえ発砲しておいて、このまま立ち去る気?」
「はっ? そりゃ、発砲したのは俺だけど、もうそっちだって十分仕返ししただろ? これ以上俺に何するつもり……」
言った瞬間、アリスはトランプを投げた。トランプは狙いを違えず、男のすぐ横の木の肌に突き刺さる。
男はそれを横目に見て、顔面蒼白になっていた。
「あたしはあなたに何かをするつもりなんてない。あなたにしてもらう事があるの。やってくれるよね」
アリスは無表情で言う。
男は肩を落として、諦めたように頷いた。