2-3、尊大なウサギ様っ!?
「……は?」
思わず全身に漲らせていた緊張を解いてしまう。
アンは銃を構えたまま、問いを繰り返す。
《あなたは殺せたはずよね? なぜ、殺さなかったの?》
こいつ――。
よりにもよってその問いを俺に投げかけるのか。
この場を本当に切り抜けたいのなら、出来るだけ会話を長引かせる必要がある。それぐらい、嫌というほどディークには分かっている。
それでも、『アリスを殺さなかった理由』は、ディークにとってもよく分からない衝動から来るものであったから、説明がとても困難で、なにより面倒だった。
正直に答える必要はないが、目の前の無機物――アンは、嘘偽りを決して許さない威圧感を持ってディークを圧倒していた。
つ……っと額を伝う汗を気持ち悪く思いながら、ディークは口を引き結んだ。
応えないディークに焦れたのか、引き金にかかったアンの指がわずかに動く。それを認めて、ディークはやけくそな気分でぶちまけた。
「――っ、あいつは、俺を殺そうとしてなかった! それが理由だ!!」
《はぁ?》
心底訳がわからない、といった声音にディークはイライラと足を踏み鳴らした。
舌打ちをして、無機質な黒いボタンの瞳をまっすぐに射抜く。
「おまえは……あいつの旅の目的を知ってるのか?」
《…………》
沈黙は肯定の証か。黙したまま先を促すアンに、ディークは言葉を繋いだ。
「あいつは、あの目的を果たすために生きてんだろうが。それを失くせばあいつは生きる理由を失う。違うか」
《何が言いたいの……?》
生き物でないはずのウサギの背から、邪悪な気配が立ち上る。
ディークは雪原に落とされたままの長剣を見、それを握っていたアリスに思いを巡らせる。
「あいつは、認めたくねぇが相当の手練だ。あいつの目的を果たす上で、その力は有効に働くだろう」
全く無駄のない剣捌き。子ども、というより常人離れした身体能力。ディークとサシでやり合った、あの肝の据わりよう。
それらは普通の人間には持ちようのないものだ。
《……だから?》
「だが、それだけじゃあ駄目なんだよ。あいつには決定的に足りないものがある」
《偉そうに……》
「事実だ。俺は、そいつに気づかせるチャンスをやっただけさ。殺してもよかったが、あいつには俺を殺そうっていう気配がなかったし、一時とはいえ、俺のキャンディの良さを理解した奴だから、まぁ命だけは助けてやった」
じり、と僅かに足を動かして、ディークは口端を吊り上げる。
アンは、何かを考え込んでいるのか動きを見せない。
ディークは、先ほど目に付いたものとの距離を目測で図る。ちらりとアンを見るが、ディークの企みに気づいている様子はない。
《あんたは、何に気づかせたかったっていうの?》
躊躇いがちに訊ねてきたアンに生じた、一瞬の隙。
それを見逃すディークではない。鼻を鳴らして、たった一言返してやった。
「こういうことさっ!」
足を蹴り上げ、雪原の雪をアンに向かって飛ばす。
それと共に素早く身体を伏せ、雪原に転がしたままだったアリスの長剣に手を伸ばす。
《!》
ディークの動きを追ってアンが銃口を向けるのと、ディークが長剣の柄を握るのとが同時だった。
再び響く発砲音、そして耳をつんざくような金属音。――銃弾をギリギリ弾き返した鞘が跳ねる音だ。
《猿真似を……っ》
苛立ちに震えるアンが再び引き金を引こうとする前に、ディークは鞘から長剣を抜き放った。
慣れない獲物だが、四の五の言っている暇はない。
長剣の良い所はリーチが長いということだ。この距離なら――切っ先は届く。
迷わずにディークは長剣を横一線に閃かせた。
ディークの目測は誤ることなく、長剣はアンの頭と胴を切り離す――。
はず、だった。
「!」
剣を振りぬいた瞬間、目の前にいた筈のアンが消えた。
目玉が零れ落ちんばかりに驚くディークの背後で感じる殺気。
振り向く前に後頭部に走った衝撃に、ディークは倒れ伏した。
起き上がる間もなく、後頭部に銃口が突きつけられる。
《ふふふ》
人の――、いや、ウサギの笑い声がこんなにも恐ろしいと感じたのは、人生で初のことだ。
《よぉくわかったわ。あんたが言いたかったこと。……さて、じゃああたしはあんたを許してあげるかな?》
ねぇ、どっちだと思う?
嬉々として訊ねてくるアンに、ディークは視界が真っ暗になるのを感じていた。