2-2、尊大なウサギ様っ!?
許容範囲を超えた情景に、ディークは固まるしかなかった。
そんなディークを鼻で嗤うという、ひどく人間じみた雰囲気を纏ったウサギのぬいぐるみは口を――実際はバツ印に縫われた開く無いはずの口を――開く。
《今のはね、アリス姉さまがアナタにやられた分。よくもアリス姉さまに、あんなひどいことをしてくれたわね?》
ぬいぐるみに表情など無いはずなのに、ディークにはにっこりと微笑む顔が見えた気がした。
ウサギのぬいぐるみは、ディークの銃を抱えたまま、てくてくと器用に二本足で歩きながら近づいてくる。
たかが、ぬいぐるみ。何をビビることがある!
心中自分に向かってそう毒づくが、身体は押し隠した未知の存在への恐怖に従順で、わずかに後ずさる。
そんな姿を見つめていた黒いボタンの瞳は、きらきらと陽光を映して光る。
《ふふ。人殺しの癖に、私が怖いの?》
明らかな挑発に、檄しやすいディークは眦をつり上げた。
「そりゃあ関係ないだろ! おまえは一体何なんだ!」
腹の底に力を込めて怒鳴りつける。その怒声は辺りに響き、枝にとまって羽を休めていた鳥達が驚いて飛び立っていくのが視界の端に映った。
それまで歩みを止めることがなかったウサギが、ぴたりと足を止める。そして垂らしていた片耳を立てた。
《私はアン。アリス姉さまの守護を命じられたもの》
それまでどこかふざけた感のある口調だったものが、厳かなものに変わっている。
対してディークはマヌケにも口をぱかりと開いていた。
「……守護を命じられたもの、だって?」
俺が聞きたいのはそんなことじゃない、いや、決して外れているわけではないが――。
がしがしと髪をかき回してディークは唸る。考え事は得意ではないのだ。
「俺が聞きたいのは、お前の形だよ形っ! どうしてぬいぐるみが動くっ! 喋るっ! 意味がわからんっ!」
混乱の最中にあるディークに、ウサギは――いや、アンは呆れた、とでもいうかのように肩を竦める。
《ほーんとしょうもない男よね、あんたって。自分の置かれてる状態がわかってるの?》
「……なんだと?」
不穏さを滲ませる声音にも怯まず、アンはよいしょ、と腕の中の銃をディークに向ける。
ディークの命を守り、多くの敵を屠ってきた相棒の銃口の照準が、真っ直ぐに心臓の位置に合わされている。
《私の正体なんて、気にしてる場合じゃないでしょ? あんたが考えるべきは、今後の身の振り方じゃないかしら?》
アンの言葉は正しい。ディークは奥歯を強くかみ締めてアンを睨みつけ――。
そして唐突に気づいたある事実に――高らかな笑い声を上げた。
「あ、――あはははははっ、ははははっ!」
突如として腹を抱えながら笑い始めたディークに、アンは不気味なものでも見るような目で――ディークにはそう見える――首を傾げた。
《何がおかしいの? 死を目前にして狂った?》
ディークは笑いすぎて呼吸することも満足に出来ず、軽く咳き込む。そして余裕のある動きで立ち上がった。
それに合わせてアンは銃口を持ち上げるが、それでもディークの余裕のある笑みは崩れない。
ディークは片手をポケットに突っ込み、アンを真似て首を傾げて見せた。
「なぁ、撃ってみろよ。それ」
自分の心臓を狙った銃口を指して、ディークは言う。
アンは両耳を後ろに倒して、威嚇の姿勢を取った。
《撃ったらあんた、死ぬわよ?》
「は! 死なねぇよ、ばぁーか」
大笑いしながら、ディークは空いていた手の人差し指を立てた。そしてくいっと曲げてみせる。
「おまえのそのぶっとい前足で、どうやって引き金が引けるっつーんだよ!」
そうだ。この気色悪い存在には、『前足』はあっても『指』はないのだ。
そんなものに、引き金が引ける筈がない――その事実に気づいてディークは笑いを堪えられなくなった。
普段の余裕を取り戻したディークは、己の武器を取り戻そうと一歩を踏み出す。
瞬間、
パンッ
空を、赤い糸が舞った。もう見慣れてしまったソレは、ディークの赤銀髪。
「――――っ!!」
発砲された、という事実にディークはその場に立ち竦む。
照準を少しばかりずらされた銃口からは煙が薄く上がっている。
《バカはあんたよ、人殺し》
嗤い混じりの声で、アンはパタパタと両耳を動かした。
真っ白になりそうな思考でその前足を確認すると、なんと形が変わっている。
前足が“5本”に、分かれていた。
「な、なんで……」
《私は特別製なの。そんじょそこらの、ぬいぐるみと一緒にしないでほしいわ》
軽やかに言って、アンはずらしていた照準をまたディークの心臓にぴたりと当てる。
今、アンが引き金を引いたなら、まずディークの命はない。
全身の血が足元に下がっていく気がする。めまいを感じながら、それでもディークの本能は生にしがみついていた。
それこそが、ディークという人間なのだ。
目の前のウサギから決して目を逸らすことなく、ディークはこの場を切り抜ける策を必死で考える。
《そんなバカなあんたに、一つだけチャンスをあげる》
慣れないことに頭を働かせていると、アンが何を思ったのかそんなことを言ってきた。
怪訝に思い、眉を上げてアンを睨む。
「チャンスだと?」
《ええ。私がこれからする質問に、私が納得できるような答えが返せたら、命だけは助けてやっていいわ》
「質問……」
内心、やったと拳を振り上げたくなった。しかしそれを表さないようにディークは苦心する。
こいつが会話に夢中になっている間に、隙をつくのだ。それしか助かる道はない。
その一瞬を決して見逃すまいと集中するディークに落とされたのは、思ってもみない問いだった。
《なぜ、アリス姉さまを殺さなかったの?》
「……は?」
思わず全身に漲らせていた緊張を解いてしまう。
アンは銃を構えたまま、問いを繰り返す。
《あなたは殺せたはずよね? なぜ、殺さなかったの?》