世間ではよく耳にするお話。
まあ、世間ではよく耳にするお話である。
ある資産家の女性が、夫と一人娘を残してこの世を去った。
女性の葬式が終わった次の日、夫の愛人とその娘が屋敷に現れる。
一人娘と愛人の娘は年齢が一つ違い、夫は以前から浮気していた。
それまでお嬢様だった一人娘は、下働きのような扱いを受け始める。
使用人達には、一人娘の扱いに夫に対して異議を唱える者もいたが、
そのことごとくが解雇されて別の使用人へと入れ替わっていく。
愛人とその娘から、執拗な嫌がらせを受けた一人娘は日に日に弱る。
耐えられなくなった一人娘は屋敷を飛び出し路頭に迷う。
で現在、一人娘は町の外で意識を失っているところである。
◆
「おーい、大丈夫か?生きてるかー?」
ほほをぺちぺち叩いているのは、町の外に住んでいる変わり者の男。
娘はうっすらと目を開く。意識はあるがはっきりはしていない。
「ほい、水。一人で飲めるか?」
目を開けた娘に水袋を差しだした男。こくりとうなずき水を飲む娘。
「こんなところでどうした?家は遠いのか?
なんだったら送っていくが」
親切は有難いが、娘はもうあの屋敷には戻りたくはない。
力なく首を振る娘。疲れ切った表情で言葉を紡ぎ出す。
「家には…もう戻りたくありません。戻れません。
どこにも行く宛などありません」
男はそれを聞き、しばしあごに手を当てて考える。
「うーん、家も無し、行く宛も無しか。
うちは俺一人でいっぱいいっぱいの狭さだからなあ。
んじゃ、あそこがいいか」
そう言うなり、娘をひょいと持ち上げる。驚く娘。
「あの…降ろして下さい」
控えめに抵抗の声をあげるが、男はそのまま抱えて道を進む。
「ああ、心配はいらんよ。雨露はしのげる場所があるんだ。
しばらくはそこにいればいい」
◆
男は娘を抱えたまま、近くの森の中を進んでいた。
この森は昔、娘も訪れたことがあるが、人の手は入ってはいない。
どこへ連れていかれるのだろうと考えていたが、男の足が止まる。
「昔、俺が子供の頃作った『ひみつきち』があるんだよ。
ほら、ここだ。この下だ」
娘をそっと落ち葉の上に降ろし、横の落ち葉を払った下には、
大人も余裕で隠れられそうな大きめの木戸が隠されていた。
ぎい、と音を立てて木戸を開く男。中には地下へ続く階段がある。
「ここからは抱えて通れないんで、すまんが歩いてくれ」
言われるままに男の後をついて、娘は階段を下りていく。
行き止まりには、また木で出来た扉があった。
「ここならしばらく暮らせると思うぞ」
…扉の先には、大広間がある。元の娘の屋敷より広そうである。
戸惑う娘。しばらく固まった後、ようやく声を絞り出す。
「あの…ここって一体?」
「ん?だから、俺が子供の頃作った『ひみつきち』だよ。
いやあ、苦労したんだ。三日間ぐらい頑張った」
三日間ぐらいで作り上げられるようなものじゃないと思うのだが。
ひみつきち、というよりも大組織の隠れ家ではないのか?
「中は自由に使ってもらっていいぞ。
台所も不浄も風呂場もある。勿論個室も四部屋ほどあるぞ。
食料は保存食ばかりだが、水でもどして火をかければいける。
簡単な汁物ぐらいならすぐ食べられるぞ」
子供の頃、この男は一体ここで何をやっていたのだ。
◆
疲れ切っていた娘ではあるが、男もそれは理解していたので、
食堂横の台所で簡単な汁物を作って娘に振る舞った。
娘は遠慮しながらも、しばらく碌にまともな食事が出来ずにいた為、
涙ぐみながら碗を離そうとせず、ひたすら口を付けていた。
ぽつりぽつりと娘は家の事を男へ話す。
男は黙って娘の話を聞き続けていたが、一区切りついたところで、
「まあ、この場所なら簡単に元家族に見つかったりはしないだろ。
遠慮はせず、しばらくここにいてくれていいからな。
食料は数ヵ月分はここにあるんで構わず使ってくれていい。
んで、だな」
男は考えもしなかった事を提案してくる。
「元父親と、愛人の母娘に仕返しとかしたいか?」
娘は目を見開き、しばし考えた後、こう答えた。
「したくても…できません。
あの屋敷はおかあさんの家系のものですけど、
取り返す方法なんて思いもつきませんから。
どうすればいいのかも分かりませんし」
「いやどうとでも出来るけど」
間髪入れず男が答える。一体何を言っているのか。
「財産を奪い返した挙句に連中の息の根を止めたいか、
または、財産は散財されているだろうから即息の根を止めるか、
あと新しく入った使用人どもも一緒に息の根を止めたいか」
男としては息の根を止めるのはもはや確定らしい。いやいや、
「あ、あの、別にあの人達を死なせたいとかそうではなく」
控えめに否定しようとしたが、それをどう解釈したのか、
「ああ、生かしておいて長く苦しめる方向なのか。
なるほどなるほど。そちらの方が気持ちは晴れるよな、うん。
それなら屋敷と財産を奪い返したあと、
連中は両手両足を粉砕して離島で監禁するのもいいな」
とかなり怖い返事が返ってくる。
いつの間にかなし崩しに復讐計画が描き出され、
元家族の行末が娘すらあずかり知らぬところで決定づけられていた。
◆
これまで酷使された疲労に加え、昨晩の男との会話での精神的疲労。
娘がこの日、昼過ぎまで寝てしまったのも無理のない話であろう。
そもそもこの場所は地中深くにあるので昼夜の感覚がつかめぬが。
ひみつきちの中の個室、といっても元の屋敷の元の自室より広いが、
寝心地良い寝台でようやく目を覚ました娘が居間へとやってくると。
家族だった連中の人生は、既に終了していた。らしい。
両手両足の骨を丁寧に砕かれた挙句、治っても元通りにならぬよう、
間違った手当をされたまま意識を失っている元家族と使用人達。
目覚めても身動き出来ぬよう縛られたそれらは居間に転がっている。
なんでも男は、深い睡眠状態に陥る香を焚いて屋敷内の者を眠らせ、
全員の処理を終えてこの場へ連れてきたのだそうな。
半日で。いったいどうやったの。
元家族と使用人達は、このまま川を使って小舟で流す予定だとか。
まだ復讐したいならやっていいけど、との男の言葉に首を振る娘。
正直、もう関わりたくはない。元家族達にも、この男の奥底にも。
娘は屋敷と財産を取り戻す。必要な手続きはなぜか済んでいた。
以前雇っていた使用人が再び集まってくれ、その助けを受けながら、
どうにか屋敷が落ち着いた後に男の事を思い出す。
うろ覚えながら森の中を進んで『ひみつきち』へ行ってみたが。
そこには木戸は勿論、何の痕跡も残されていなかった。
町の外にある、という男のあばら家も、影も形もなくなっている。
娘は幼い頃に母親からよく聞いたおとぎ話を思い出していた。
とある森に誰も知られず住んでいると言われる、
意地の悪い人間を好んでいびり倒す、意地の悪い魔術師の話を。




