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ライフコース  作者: 只野 唯
退職編
9/37

どうでもいい嘘(過去)

 昔から、どうでもいい嘘を吐いてしまう。

 大きな嘘じゃない。

 誰かを騙そうとするようなものでもない。

 ほんの、小さなもの。

 高校のとき。

 同じ部活の先輩のことを、かっこいいなって思っていた。

 背が高くて、声が低くて、

 笑うと目尻が少しだけ下がる人。

 体育館の隅でストレッチをしている横顔を、

 何度も盗み見た。

 でも、仲良しの友達も先輩のことが好きだった。

「どう思う? かっこよくない?」

 そう聞かれたとき、

 わたしは一瞬だけ本当の答えを飲み込んだ。

 ——うん、かっこいいよね。

 その言葉は喉まで出かかったのに、

 違う言葉にすり替わる。

「えー? そうかな。別に興味ない」

 笑いながら、肩をすくめる。

 どうでもいい嘘。

 誰も傷つかないように。

 波が立たないように。

 “普通のいい子”でいられるように。

 でもそのたびに、

 小さな本音が胸の奥にしまわれていく。

 好きなキャンディも。

 文学部も。

 背の低さも。

 パンプスも。

 そして、先輩の横顔も。

 わたしはいつも、

 自分の「好き」を後回しにする。

 本当のことを言って、

 誰かに嫌われるのが怖い。

 本当のことを言って、

 母みたいに「それよりこっち」と否定されるのが怖い。

 だから、どうでもいい嘘を吐く。

 興味ないふり。

 平気なふり。

 気にしてないふり。

 ふり、ふり、ふり。

 嘘は小さいのに、

 積み重なると、自分の輪郭がぼやけていく。

 あのとき、もし言えていたら。

「うん、わたしも好きかも」

 それだけで、

 何かが変わったのだろうか。

 友達と気まずくなったかもしれない。

 気まずくならなかったかもしれない。

 でも少なくとも、

 自分に嘘はつかなかった。

 診察室の前で、思う。

 今日こそは。

 どうでもよくない本当のことを、

 ちゃんと口にできるだろうか。

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