提案
診察室はいつも同じ匂いがする。消毒液と、紙のカルテと、少し乾いた空気。
「眠れるようにはなりました」
私がそう言うと、主治医は静かに頷いた。
「それは良かったですね」
パソコンの画面に何かを入力しながら、先生は続ける。
「ただ、生活のリズムはまだ整いきらない、と」
「……はい。起きても、何をすればいいのか分からなくて」
朝は来る。目も覚める。でも、その先がない。時間だけが、白いまま広がっている。
先生は少し考えてから言った。
「ショートケアを利用してみますか?」
聞き慣れない言葉だった。
「ショートケア……ですか」
「デイケアの半分の時間だからショートケアです。まずは短い時間から、生活リズムを整えたり、人と関わる練習をしたりする場所です」
デイケア、という言葉も私はよく知らなかった。
「デイケアは、精神疾患を持っている方が通院しながら生活リズムを整えたり、社会復帰を目指したりする場です。ショートケアは、その第一歩ですね」
第一歩。
その言葉に、胸が少しだけざわついた。歩く前に、立ててもいない気がするのに。
先生は机の引き出しから一枚のチラシを取り出した。緑色が基調で、柔らかい字体が並んでいる。
「無理にとは言いません。選択肢の一つとして、考えてみてください」
選択肢。
会社を辞めてから、私の毎日は真っ白だった。選ぶものがない世界は、自由というより、空白だった。
会計を済ませて外に出ると、外の光が眩しかった。
帰宅してから、私はチラシをテーブルに置いたまま、しばらく見つめていた。やがてパソコンを開き、病院名と「ショートケア」を検索する。
チラシと同じ緑が基調の、落ち着いたホームページが表示された。
スクロールする。
プログラム一覧。作業療法。軽い運動。グループワーク。カフェタイム。
そして、目が止まる。
◆どんな方が利用しますか?
・体力回復を目指したいと思っている方
・生活のリズムをつくりたい方
・人とのつきあい方を学びたい方
・いずれは就労にチャレンジしたい方
・自分の悩みを相談する場所が欲しい方
ひとつ、ひとつ、心の中で読んでいく。
全部に、当てはまった。
第一歩。
半分の時間。
私はチラシをもう一度手に取り、次の診察日をカレンダーで確認した。




