普通以上の食卓(過去)
私には三歳離れた兄がいる。
兄は、要領のいい人だった。
勉強もそこそこできて、運動もそこそこできて、先生からも近所の人からも好かれるタイプ。突出して天才というわけではないけれど、だいたいのことは「普通以上」にできる人。
母は普通が好きだった。
でもきっと、普通以上であることも好きだった。
少なくとも、「普通以下」でなければいい、と思っていたのかもしれない。
だから、私はときどき考える。
たまに普通から外れそうになる、危うい私よりも。
無難に、でも確実に結果を出す兄のほうが、母は好きなんじゃないか、と。
特別に贔屓されているわけではない。
露骨な差はない。
同じように育てられたし、同じように叱られた。
でも。
兄は、好きなものを「好き」と言って、それをやって、それなりの結果を出す。
私は、好きと言う前に空気を読む。
やる前に、母の顔色を想像する。
そして、結果も中途半端になる。
夕飯の食卓で、ふと気づく。
兄の皿には、私より少し大きいハンバーグ。
兄のほうが食べる量が多いから、と言われればそれまでだ。
でも、子どもの目には、それは「評価」に見えた。
頑張った人へのご褒美。
普通以上の人へのボーナス。
私は自分の皿を見つめながら思う。
普通以下でなければ、いい。
でも、普通以上なら、もっといい。
私は普通以下から普通の間でふらふら揺れる。
しっかり立てていない自分を自覚する度に苦しくなる。
兄の豪華なおかずを横目に、私は静かにご飯を口に運ぶ。
味は同じはずなのに、少しだけ薄く感じた。




