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ライフコース  作者: 只野 唯
退職編
21/38

決定事項(過去)

就職した会社は、母が好きそうな会社だった。

派手ではない。急成長でもない。けれど、潰れなさそうな、堅実な、いかにも「ちゃんとした」The日本企業。

「いい会社じゃない」

内定を報告したとき、母は満足そうに言った。

私は総合職で入社した。四年の秋から研修が始まる。

スーツを新調し、パンプスを磨き、提出書類を封筒に入れる。社会人になる準備を、淡々と進めていた。

その横で、母が何気ない口調で言った。

「引っ越しはいつするの? 一人暮らし、楽しみでしょ」

手が止まった。

引っ越し?

一人暮らし?

一体、何の話をしているのか分からなかった。

「え?」

と間の抜けた声が出る。

私は、大学卒業後も実家から会社に通うつもりだった。

そのために、総合職だけれど転勤のない企業を選んだ。勤務地が変わらないことを、何度も確認した。家から通える距離かどうかを基準に、会社を選んだ。

「通うよ。ここから」

そう言うと、母は少し驚いた顔をした。

「え? 社会人になるんだから、一人暮らしするのが普通でしょ」

普通。

またその言葉だ。

「のんびりしてると、いい物件はなくなっちゃうわよ」

もはや、母の中では一人暮らしは決定事項だった。

私は、混乱していた。

実家にいろと言われてきたわけじゃない。門限があったわけでもない。でも、大学生の間、終電で帰れば責められた。夜遅くまで外にいると心配された。

それなのに今度は、「自立しなさい」と言う。

どちらが普通なのか。

どちらが母の望む娘なのか。

私は、自分の意思で会社を選んだつもりだった。

でも、その選択の前提は、「家から通う」という静かな希望だった。

家を出たいわけではなかった。

安心できる場所を、急に手放したくなかった。

それは甘えなのだろうか。

社会人になるということは、一人暮らしをすることなのだろうか。

スーツのジャケットをハンガーにかけながら、私は黙った。

母はすでにスマホで物件情報を見始めている。

「駅近がいいわよね」

画面の向こうに並ぶ、間取り図。

そこに、私の気持ちはまだ追いついていない。

私の人生なのに。

いつも、少しだけ、決定が先に進んでいる。

私は、そのあとを慌てて追いかけている。

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