生産性のない私
会社に行けなくなってから、三か月が経った。
カレンダーのページは三枚めくられているのに、私の時間だけが止まっているみたいだった。
上司からのメッセージは、相変わらず短い。
『体調はいかがですか』
『今後の見通しを教えてください』
『復職の目安はありますか』
言葉は丁寧だ。責める表現はどこにもない。
でも、行間に、何となく感じる。
復職しないなら、退職。
それは当然の選択肢だった。
働かない社員を、いつまでも抱えておく余裕のある営利企業なんて、本当はない。
傷病休職制度も、傷病手当も、法律も、仕組みも、ちゃんとある。あるけれど。
それは「ある」だけで、永遠ではない。
生産性。
その言葉が頭に浮かぶ。
数字で測れるもの。売上。成果。効率。
私は今、どれにも貢献していない。
むしろ、手続きや連絡の手間を増やしている側だ。
会社の席は空いている。
私の名前が入った社員一覧は、まだ消えていない。
けれど、実体はない。
社会から、薄くなっていく感覚。
スマホを握りしめる。
『復職が難しい場合は、今後の選択についてもご相談できればと思います』
その一文を、何度も読み返す。
相談。
柔らかい言葉。
でも、その先にあるのは、たぶん一つだ。
退職。
怖い、と思う。
同時に、少しだけ、ほっとする自分もいる。
復職しなきゃ、という圧から解放される。
セキュリティーゲートを通れない自分を、もう責めなくていい。
でも。
「辞めた人」になる。
レールから外れた人になる。
母は何と言うだろう。
普通じゃない。
続けられなかった。
そう言われるだろうか。
三か月前、私は「早く戻らなきゃ」と思っていた。
今は、「戻れるのだろうか」と思っている。
そして、その次に来るのは、「戻らない」という選択肢。
働かない。生産性のない社員を雇い続ける営利企業なんてない。
そう思い込んでいるのは、会社なのか。
それとも、私自身なのか。
メッセージの返信欄を開いたまま、指が止まる。
まだ、答えは出せない。
ただ一つ分かるのは。
今の私は、「生産性」よりも、「生き延びること」に全力を使っているということだった。




