得意と好きのあいだ(過去)
経済学部では、毎日数字を追っていた。
関数を使って、マクロを組んで、仮説を立てて検証する。エラーを一つずつ潰していく。ピタリと数字がきれいに並ぶ瞬間は、たしかに気持ちよかった。
整う、という感覚。
高校生のときから数学は得意だった。模試の偏差値は安定して高くて、解答用紙の途中式まで褒められた。
高校二年の文理選択のとき、担任が笑いながら言った。
「お前は理系だろ」
教室も、なんとなく頷く空気だった。
家に帰ると、珍しく父が聞いてきた。
「理系にしないのか?」
昔から家にいない人だった。仕事人間で、私にも母にも、どこか無関心な父。その問いは、関心というより確認に近かった。
私は少し、期待した。
やりたいことを言ってもいいのかもしれない、と。
その瞬間、母が口を挟んだ。
「女の子なんだから、文系の方がいいでしょ」
軽い口調だった。決定事項のように。
私は何も言えなかった。
理系か文系か、ではなかった。
本当は、文学部に行きたかった。
小説を読むのが好きだった。物語の行間を考える時間が好きだった。言葉を選ぶ作業が好きだった。
でも、それは「得意」ではなかった。
点数にならない。偏差値で測れない。将来がぼんやりしている。
得意な数学を選べば、周りは納得する。
「もったいない」と言われない。
「普通」に見える。
希望から少しズレた進路は、意外なほど順調に滑っていった。
経済学部の講義は理解できた。レポートも評価がよかった。ゼミでも困らなかった。
得意なことをやっているから、うまくいく。
でも、好きかと聞かれると、少し黙ってしまう。
私は、得意と好きが一緒じゃなかった。
数字がきれいに並ぶ快感と、物語に触れたときの胸のざわめきは、まったく別のものだった。
どちらも本当。
でも、選んだのは「得意」だった。
選ばなかった「好き」は、どこに置いてきたのだろう。
関数の式を解きながら、ときどき思う。
あのとき、母の言葉にかぶせて、自分の声を出せていたら。
「文学部に行きたい」と。
今とは違う景色があったのだろうか。
それとも、結局また、どこかで「普通」に寄せていたのだろうか。




