署名欄の空白
会社に提出した傷病手当の申請書が、返送されてきた。
見慣れた社名の入った封筒。
嫌な予感がして、少しだけ開けるのをためらう。それでも、放っておくわけにもいかなくて、はさみで端を切った。
中から出てきた書類。
付せんが一枚、貼られている。
「記載漏れ」
心臓が、ひゅっと縮む。
どこ。何を。
紙をめくる。確認する。視線が行き来する。
――署名欄。
ぽっかりと空白。
ただの、単純なミスだった。
名前を書き忘れただけ。
それだけなのに。
仕事でだって、こんなミスをしたことがない。少なくとも、覚えている限りでは。書類の署名欄なんて、一番最初に確認する場所だったはずだ。
「基本だよ」
昔、誰かに言われた言葉が浮かぶ。
基本もできない。
封筒を持ったまま、しばらく動けなかった。
会社に余計な手間をかけさせてしまった。送り返す作業、付せんを書く手間、再送の準備。
たった一行の署名なのに。
たったそれだけのことなのに。
また一つ、「自分が嫌いな理由」が増えた気がした。
ほらね、やっぱり。
ちゃんとできない。
会社に行けないだけじゃなくて、書類もまともに出せない。
胸の奥で、責める声が重なる。
でも、紙の上の空白は、ただの空白だ。
そこに、意味は書いていない。
無能、とも。
迷惑、とも。
それは、私が勝手に書き足している言葉だ。
ペンを取り出す。
少し震える手で、署名欄に自分の名前を書く。
いつもと同じ字。
それを見つめながら、思う。
今の私は、治療中の人だ。
完璧な事務処理を求められている会社員ではなく、休んでいる人。
ミスをゼロに保つことより、今日をやり過ごすことのほうが大事な人。
それでも、申し訳なさは消えない。
「また1つ自分が嫌いな理由ができた」




