終電の後で(過去)
大学生になって、サークルに入った。
友達に誘われた、グルメサークル。
都内のお店を食べ歩いたり、学校の調理室を借りて簡単な料理を作ったりする、ゆるい集まりだった。レポートに追われる日々の合間に、みんなでパスタを茹でたり、ホットプレートを囲んだりする時間が、思っていたよりも楽しかった。
文化祭では焼きそばを出店した。
鉄板の前に立って、汗だくになりながら麺を炒める。ソースの匂いが服に染みつく。呼び込みの声、笑い声、売り切れた瞬間の拍手。
「楽しいね」
その一言を、何の躊躇もなく言えたのは久しぶりだった。
文化祭の打ち上げで、二次会まで参加したのは初めてだった。
これまでなら、「遅くなるから」と一次会で帰っていた。母の顔が浮かんで、電車の時間を気にして、途中で席を立っていた。
でもその日は、四年生の引退式も兼ねていて、みんなの熱量が高かった。
「最後だよ?帰るの?」
引き止められて、少し迷って、残った。
乾杯の音頭。寄せ書き。先輩の挨拶。泣きながら笑う人たち。
楽しい夜は、あっという間だった。
時計を見ると、終電の時間だった。
「やばい、走ろう」
その場にいた人はみんな終電。駅まで小走りで向かう。笑いながら、転びそうになりながら、電車に滑り込む。
心臓がどきどきしていた。
怒られるかもしれない。
でも、今日は楽しかった。
それでいいじゃないか、と、ほんの少し思えた。
家の玄関の扉を、静かに開ける。
電気は消えているはずだった。
なのに、リビングの明かりがついていた。
母が、ソファに座って待ち構えていた。
「どうしてこんなに遅いの」
低い声。
責めるというより、咎める声。
私は一瞬で、さっきまでの高揚を失った。
「文化祭の打ち上げで……二次会があって……みんな終電で」
説明しながら、自分の声が小さくなっていくのが分かる。
母はため息をついた。
「女の子なんだから、そんな遅くまでいるものじゃないでしょう」
女の子。
その言葉は、いつも私を小さくする。
さっきまで、ただの一人の大学生だったのに。
ただ、楽しい夜を過ごしていただけなのに。
私は靴をそろえながら、「ごめん」と言った。
楽しかった、とは言えなかった。
胸の奥で、さっきまで灯っていた小さな火が、ふっと弱くなる。
終電で帰ることも。
みんなと笑うことも。
二次会に残ることも。
本当は、そんなに悪いことじゃないはずなのに。
部屋に戻って、スマホを見る。
サークルのグループLINEには、「今日は最高だったね!」とメッセージが並んでいる。
私はしばらく画面を見つめてから、スタンプを一つだけ送った。
楽しい夜の余韻と、母の言葉。
その間で、また少しだけ、自分の輪郭が揺れている気がした。




