1.スポットライトを追い求めて
どれだけの時間、本に目を落としていたのだろうか。
自分の好きな脚本家が、小説を書くようになってしばらく経つ。今読んでいるこれも、その作家のものだった。相変わらず、言葉を巧みに操る。まるで魔術師のようだ。
メディアに出ることも増えた。
美形と言える顔立ち。頬の、縦にふたつ並んだホクロ。少し長めの、無造作に伸びた青のインナーカラーの入った黒髪。
そして何よりこの人を象徴するのが、つり上がったまぶたの奥の、どこか冷気や、鋭い光を感じる青い目。
そんな彼……正しくは彼女が、結婚したと発表したのは数年前のことだ。
ずっと僕は彼女のことを男性だと思っていた。
一人称だって男のそれだったし、声もハスキーで男性寄りだ。
けれど、どこか納得してしまった自分もいた。
日頃から彼女の文章に触れてきたからなのかもしれない。
"推し"とも呼べる存在であった彼女の結婚は、多少なりショックではあったが、今は彼女が幸せなら良いと思う。
「田賀先生また読書〜?」
生徒が図書室に入ってくる。ギャルっぽい女子生徒だ。確か、現代文を教えている2年1組の生徒だ。
「……僕、またって言われるほど本読んでる?」
「そのイメージはありますね〜」
女子生徒は、ラノベの本棚あたりをうろついてから、またねーと軽薄に手を振りながら出ていった。
本の虫。よくいえば、読書家。国語教師としてインプットを増やすという目的以上に、単純に僕自身が物語が好きなんだ。
だから、本を読んでいて気がついたら休日の半分を浪費している、なんてことはザラにある。
僕も昔は、彼女のような小説家を目指していた。
けれど、僕はその夢をとっくに捨ててしまっていた。
天才に、凡人は敵わない。
勝てるわけがないと、嫌という程知っていたから。
生徒の夢は応援するくせに、と軽く自嘲する。
「田賀先生、講演会の講師さんがいらしています」
「あ、はい。すぐ行きます。」
なんの講演なんですか、と同僚に聞く。同僚は、有名な脚本家さんです、と答える。
物語、つまりは読書についての話をするそうだ。
近年の若年層があまり読書をしないことに対する危機感からだろう。
同僚は続けて言う。
「若い方でしたよ。お名前は確か──────……」
佐沼 千雨。
その名前を聞いた途端、喉がひゅっと嫌な音を立てた。
僕の大好きな作家で、これまで語ってきた「彼女」だったからだ。
会議室に入ると、前述した通りの鋭い目が僕を射抜くのがわかる。
「あ、田賀 誠先生ですね。本日は宜しくお願いします。」
にこやかに笑う佐沼の横には、髪の長い中性的な人物が立っていた。
「こちらこそ……どうぞお掛けください」
正直、無表情を保つので精一杯だった。
そちらの方は?と少し話題を逸らすことで落ち着こうとした。
それが間違いだった。
「あぁ……夫です」
さらりと、当たり前のように言う。
彼女にとってはもう当たり前のことには違いはないのだが。
「あ……そうなんですね。僕……佐沼先生のファンでして、旦那さんを拝見するのは初めてでして……」
思考とは裏腹に、口はぺらぺらとよく動く。
社会人生活の中で身についた誤魔化し術だ。
「そうなんですね。良ければサインでも」
では、と一応忍ばせておいた色紙を2枚取り出す。
1枚は学校用、もう1枚は自分用。説明をして佐沼に渡す。
仕事中に個人的にサインを貰うなんて図太いなと自嘲する。
その間に佐沼は僕の名前を書いたサインと、学校名を書いたサインを書き終え、机の上に置いた。
「それで……本題ですが」
佐沼の講演内容についての話は、お互い仕事のスイッチが入ったためか、スムーズに進んだ。
「ありがとうございます。ではそれで」
佐沼もありがとうございました、とメモから顔を上げて会釈をした。
そして立ち上がって退室しようとした。コートを忘れている。
気付いて声をかけようとしたが、先に佐沼の夫……蛙鳴が動いた。
「千雨」
思っていたよりもずっと小さな声での呼びかけだったが、佐沼は気づいて振り返った。
「あ、ありがと蓮くん。」
「いえ」
「寒いですから、お二人とも気をつけて」
佐沼はまた礼を述べて、コートを受け取って出ていった。
最初に部屋に入った時より、幾分か鋭利な眼光が柔らかくなっている気がする。
──────
「……千雨、楽しそうだね」
「ん?そう?」
「うん、講演会楽しみ?」
「勿論」
「じゃあ僕も楽しみ」




