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性別から解放されたい女装子は、バブみある女子大生に赤ちゃんとして育て直される

作者: ファイアス
掲載日:2025/12/15

 土砂降りの雨が降り注ぐ中、傘を差すこともなく歩く一人の高校生。

 彼の名前は日藤(ひとう) 誠也(せいや)

 何かに怯えながら暗い夜道を歩く彼は、あるアパートの一室へと向かっていた。


 ピンポーン!

 目的地に辿り着いた誠也はインターフォンを鳴らす。


「はーい」


 甘くふんわりとした優しい声が、インターフォン越しに伝わってくる。


「優愛姉ちゃん、助けて……」


 涙を浮かべながら発せられる弱々しい声で、誠也は必死に助けを求めた。


「えっ、誠也くんじゃない。こんな夜中にどうしたの?」


 彼女は誠也より三歳年上の幼馴染である女子大生の甘川(あまかわ) 優愛(ゆあ)だ。

 優愛は保育士を目指しており、アルバイトをしながらこのアパートに住んでいた。

 慈愛に満ちた彼女はいつも誠也にとって、頼れるお姉ちゃんだった。


「うぅ……」


 ただならぬ様子の誠也の声に、優愛は慌てて玄関へ向かった。


「どうしたの、びしょ濡れじゃない!」

「もう嫌だ……」


 誠也は理由も言わずに優愛へ泣きつく。

 優愛は誠也がどうして彼女の元を訪れたかさえ知らない。

 けれども、付き合いの長い彼女は誠也の心の内をすぐに察した。


「またお父さん、お母さんに怒られたの?」

「うん……」


 誠也は幼い頃から両親と仲が悪く、何かある度に優愛に泣きついてきた。

 彼の両親は決して虐待をするような人物ではない。

 どこにでもある普通の家庭教育であり、警察が介入するような問題は一切ない。

 しかし、彼の両親は寄り添うことをしなかった。

 そのため、誠也は常に精神的に不安定で、トラブルを起こすことが多かった。


 そんな彼の両親に、優愛は過去にもっと向き合うように言ったことがある。

 だが、何も変わらなかった。

 それどころか、人様の教育に口を挟むんじゃないと怒られてしまった。

 以来、優愛は彼のような子を助けられる立場になりたいと思うようになり、保育士を目指していた。


「とりあえずシャワー浴びて」

「うん……」


 優愛は誠也を浴室へ案内すると、彼がシャワーを浴びている間に着替えの寝間着を用意した。

 その寝間着は優愛が普段着用している女性用のものであるが、比較的小柄な女装子である誠也は特に拒む理由もない。

 土砂降りの中を歩いてきた際の服装も、誠也は女性用のワンピースを当たり前のように着用していた。


 誠也はシャワーを浴び終えると、ためらうことなく優愛の用意した寝間着へと着替えた。

 浴室から出てきた彼は優愛へお礼の一言を告げることもなく、居間で一人うずくまっていた。


「まずはココアでも飲んで落ち着こう」

「うん……」


 優愛は先に誠也の分のココアを注いで、テーブルに置いた。

 それから優愛は自分の分のココアを注いだ。

 そして二人で飲もうと、テーブルへ向かうと優愛は呆然とした。

 誠也はすでにココアを飲み干し、テーブルから離れていたのだ。

 二人でゆっくり話すために注いだココアだったが、彼にはまるでその意図を理解していなかった。


 それでも優愛は彼を責めなかった。

 彼の育ってきた教育環境を知っているだけに、責められなかったのだ。


 彼はまるで褒められた経験がない。

 だから何事にも向上心がない。

 それは人間関係の構築にも現れ、デリカシーの欠如に繋がっていたのだ。


 ココアを飲み干した優愛は後片づけを終えて、誠也にカウンセリングを行う。


「ねぇ、どうしたの?」

「うん……」


 誠也は何も答えない。

 彼は心を閉ざしているわけではない。

 ただ、何を言えばいいか分からなかったのだ。


「質問の仕方が悪かったね」


 何も答えない誠也の心情を察した優愛は、質問の仕方を切り替えることにした。

 閉じた質問──すなわち「はい」か「いいえ」の二択で答えられる聞き方にすれば、きちんと答えられる。

 優愛はそう判断した。


「高校は行けてる?」

「もうやめることにした」

「いじめられたの?」

「いじめられてはないけど……」


 曖昧な返事をした彼に、優愛は何らかのトラブルを起こしたのだろうと解釈した。

 お礼の一つも言えない誠也なら、は、いじめに遭わずとも何かしら人間関係の不和が生じるのは容易に想像できた。


 優愛は誠也に質問を重ねていくと、想像とは異なる問題が浮かび上がってきた。


「買い物に行けば帰りは重い荷物を持たされる」

「泣き出せば男が泣くんじゃないと言われる」

「男ならグッと堪えろ」


 誠也はこうした言葉の数々に強い怒りと不満を露わにした。


「男になんて生まれたくなかった」


 優愛に甘えながらも女性である彼女を妬みが入り混じっており、その言葉の節々から強い認知の歪みが伺えた。


 さらにカウンセリングを続けていくと、誠也が女装するようになった理由も分かった。

 彼の性自認は男性であり、同性愛者でもない。

 容姿へのコンプレックスがあるわけでもなく、可愛くなりたいとも思っていない。

 彼が好んで女装するのは、男性としての役割を強要されることへのデモ行為でしかなかった。


 その上周囲に突きつけられる役割への苛立ちに囚われていた彼は、自分のやりたいことを考えたことすらない。

 将来への希望や目標はなく、成長願望さえない。

 現実逃避を続ける空っぽな人間である誠也の将来を憂いた優愛は、真剣な眼差しで彼に問いかけた。


「誠也くん、私の赤ちゃんにならない?」

「えっ……」


 誠也はぽかーんとした表情で優愛の顔を見ながら固まった。

 何を考えているのか理解できない誠也は、彼女の特殊性癖を疑うも受け入れたいと思った。

 彼女の赤ちゃんだったら、もっと甘えられるし、全てを分かってくれる。

 だから誠也は彼女の提案を拒まなかった。


「なる!」


 迷いのない返事と共に誠也は優愛の胸元へ飛び込んだ。

 そんな誠也の頭を撫でて、優愛は微笑む。


「じゃあ、今日からは誠也くんは私の赤ちゃんね」

「うん!」


 こうして二人の同居が始まった。

 その翌日、優愛は誠也の母親と電話で話し合っていた。


「誠也くんのことは私が預からせてもらいます」

「ええ、分かりました。誠也のことをよろしくお願いします」


 優愛はある疑念を抱えながら、彼の母親に連絡を入れたが、その予感は的中していた。

 両親に家を追い出されたと主張していた誠也だったが、実際は彼が勝手に家を飛び出しただけだった。

 彼の言葉をそのまま信じて適切な判断を下していなかったら、自分は誘拐犯とされてしまったかもしれない。

 優愛はこのように何のためらいもなく、重大な嘘をつく彼にゾッとした。


 誠也は相手の立場に立って考えることがまるでできていない。

 だからこそ優愛は彼を赤ちゃんとして教育し直すことを考えたのだ。


「今度こそ助けてあげなきゃ!」


 幼い頃の誠也を助けてあげられなかった優愛は、心のどこかにいつも罪悪感があった。

 保育士を目指すようになったのも、贖罪を果たしたいと思っていたからだ。

 そんな優愛に誠也を助ける機会が巡ってきた。

 それは優愛が本気で誠也を支えようと思うのに十分な条件であった。


 朝食の時間になると、優愛は哺乳瓶に牛乳を注いでいた。


「誠也くん、ミルクの時間よ」

「えっ……」


 優愛の行いに戸惑う誠也だったが、状況を理解した彼はゆっくりと哺乳瓶に入った牛乳を飲み干した。


「じゃあ次はご飯を作るから待っててね」

「うん」


 優愛は朝食の準備に取り掛かる。

 今日の朝食はチャーハンとサラダだ。

 先に完成したサラダをテーブルへ運ぶと、優愛は誠也に注意を促した。


「食べさせてあげるから、先に食べちゃダメよ」

「うん」


 優愛は昨夜一人で先にココアを飲み干したことへの注意喚起も兼ねていたが、誠也はそのことに気づくはずもない。

 だから反省する様子は見られなかったが、言ったことはきちんと守ってくれた。


「ちゃんと待てたんだね。偉い偉い」

「えへへー」


 優愛は言いつけを守った誠也を褒めながら、彼の頭を撫でてあげた。

 ルールを守るのは、得することだと学ばせるためだ。


 彼の両親は言いつけを守るのが当たり前で、破ったら怒鳴りつけるだけだった。

 そのため、彼は他者の期待に応えるメリットが分からない。

 だから彼は怒られないようにしようとはするが、曖昧な期待には応える意欲がまったくない。

 だが、こうして褒めてあげれば、期待に応えることへの小さな成功体験を積み重ねられるはずだ。

 優愛にはそんな狙いがあった。


「あーん」


 優愛はスプーンでチャーハンを掬い、少しずつ誠也に食べさせてあげた。

 時間はかかったが、彼は満足そうな表情を浮かべていた。


「そういえば誠也くん、スマホは持ってきたの?」

「置いてきた」

「それなら良かったわ」


 優愛は彼をあまりSNSなどのネットコミュニティに依存させたくなかった。

 すでに幾つも露呈している彼のコミュニケーション能力の問題を考えると、ネット上でもすぐにトラブルを起こすのが目に見えていた。

 そうなれば彼はまた他者との関わりにマイナス感情を覚えてしまい、学習性無力感をますます強めてしまう。

 だから優愛は誠也が最低限のコミュニケーションを取れるようになるまで、ネットに触れさせない方針を固めていた。


「私は大学に行ってくるから、良い子で待っててね」

「うん」


 誠也は優愛がいない間は、適当に寛いでいいと言われていた。

 パソコンはパスワードがかかっており使用できなかったが、それ以外はほぼ自由に利用することができた。

 テレビはもちろん、ゲーム、漫画、小説も数多く置いてあり、ネットへ繋げなくても暇することはない。

 さらに来客への対応をする必要はない。

 むしろ来客対応をしてはいけないと優愛から念押しされていた。


「やっぱ優愛姉ちゃん最高!」


 優愛は彼に来客対応をさせたら、トラブルになる可能性を危惧していたに過ぎない。

 けれど、誠也は面倒なことをしなくていいんだと解釈して心の底から喜んでいた。


「ただいまー」

「……」


 夕方になって帰宅した優愛は帰宅の挨拶をしたが、ゲームをしていた誠也は彼女の言葉に何の反応も示さない。

 誠也は何もゲームに熱中していたから、反応できなかったわけではない。

 挨拶の必要性を理解していなかっただけだ。

 誠也にとって挨拶をする理由とは、しないと怒られるからだ。

 だから、誠也のことを怒らない優愛への挨拶は不要と解釈していた。


 優愛はそんな誠也の認識を知らなかったため、挨拶を無視された彼女は誠也に嫌われたのだろうかと疑った。


「誠也くん、私何か悪いことした?」

「えっ、急にどうしたの?」

「返事してくれなかったからよ」

「そう言われても返事する必要性を感じなかったし……」


 彼の反応に安堵した優愛だったが、また一つ彼の常識感覚の歪みを気づかされる結果となった。

 優愛は誠也の想定外の反応に戸惑いながらも、いつもと同じようにお風呂の準備をする。


「誠也くん、お風呂に入るわよ」


 お風呂の準備を終えた優愛は、誠也を連れて浴室へと向かう。


「えっ、優愛姉ちゃん?」

「赤ちゃんの体はママがきちんと洗ってあげないとでしょ?」

「そ、そうだね」


 優愛は異性の誠也が近くにいることも気にせずに服を脱ぎ始める。

 誠也は標準的な高校生と比べると、精神的にかなり幼い。

 それでも人並みの性欲は持ち合わせていた。


「……」


 だが、優愛は性的な奉仕をすることはない。

 あくまで彼女は誠也を赤ちゃんとして世話するだけだった。


「優愛姉ちゃんとしたい!」

「ダ~メ!赤ちゃんはそんなことしないでしょ?」

「そ、そうだよね」


 誠也は優愛の返答にがっかりした。

 でもおっぱいを揉んだり、吸うことは赤ちゃんの行為として容認された。


「えっちなことは誠也くんがもっと大人になったらね!」

「うん!」


 えっちなことには応えてくれないことに誠也はがっかりした。

 しかし、いずれは受け入れてもらえると思って安心した。

 就寝の時間になると、優愛は子守歌を聞かせながら誠也を寝かしつけようとした。


「すぅ~」

「あれ、先に寝ちゃった?」


 大学とバイトの両立に加えて、誠也の世話をするようになった優愛は疲れが溜まっていたようだ。

 そのため、誠也を寝かしつける前に彼女は眠ってしまった。


 誠也は優愛に甘やかされる日々を過ごしながら、徐々に心へのゆとりを持つようになった。

 彼女に掛けられた行動制限は時折鬱陶しく思うこともあった。

 けれど、優愛は言うことを守れば優しく褒めてくれる。

 だから、決して彼女の言いつけを破ることはなかった。


「誠也くん、もっと甘えたい?」

「うん!」


 そんな日々を数日過ごしたある日、優愛は誠也に質問を投げかけた。

 彼女の質問に誠也は迷わず答えた。


「じゃあもっと赤ちゃんらしくしてほしいな」

「赤ちゃんらしく?」

「うん、そうすればもっともっと甘えさせてあげる」


 そう言われると誠也は彼女の前でハイハイをして見せた。

 彼は「自分は何しているんだろう?」と疑問を抱きつつも、喜んでくれる優愛の姿を前に思考することをやめた。

 もっと優愛の愛情に溺れてしまいたい。

 ただそのことだけを考えていた。


 優愛は何も赤ちゃんプレイをしたいわけではない。

 彼女は誠也にきちんとした人間関係を築けるようになってもらいたいだけだ。

 自分の要求を叶えるには、相手の要望に応える必要がある。

 その学習手段に赤ちゃんらしさを求めただけだった。


 翌日、誠也は玄関にあったオムツを見つけた。

「もっと赤ちゃんらしくしてほしいな」

 彼は昨日優愛に言われたことを思い出す。

 誠也は用意されたオムツに履き替えると、その日は自分でトイレに行くこともしなかった。

 もっと優愛にお世話してもらいたい。

 その一心で意図的におもらしをしたオムツを履きながら、彼女の帰りを待ち続けた。


「ただいまー」

「優愛姉ちゃん!」


 誠也はお漏らしをしたままのオムツを履き替えないでいることが気持ち悪かった。

 だから優愛が帰宅すると、すぐに彼女へオムツ交換をおねだりした。


「ねぇ、誠也くん。私のことはママって呼んで!」

「う、うん。ママ!オムツを取り換えて!」

「はぁい、すぐに交換してあげるから待っててね」


 誠也は優愛に甘やかされながら、徐々に赤ちゃんらしい振る舞いを覚えるようになった。

 それから約二週間が経つと、優愛は次のステップを提示した。

 それは簡単な足し算引き算や、ひらがなの書き取りだった。

 中学に入って以降は全く勉強についていけなかった誠也だが、このくらいは幼稚園児でもできることだ。


「おー、すごいすごい」

「ママ、いくら僕だってこのくらいは……」

「当たり前なんて思わなくていいの」

「うん」


 バカにされてると思ってしまったのだろう。

 でも、そんな意図はないと伝えられると、彼は素直に納得してくれた。

 信頼関係が築けている証だ。


 それから優愛は様々なことを誠也に体験させるようになった。

 もっとも大半はこれまでの人生で、当たり前のように体験してきたことばかりだ。

 特に手間取ることではない。

 誠也はそんな日々と楽しく過ごしていた。


 しかし、ある日事件が起きる。


「うぅっ……」

「ママ?」

「ごめんね。誠也くん」

「えっ?」


 優愛は大学生活と両立していたアルバイトに加えて、誠也の世話をしていた疲れから体調を崩してしまった。


「ママは熱があるみたいだから、今日はちょっと休ませて」

「うん……」


 その日は優愛に甘えられなかった。

 だから誠也は寂しそうにゲームで遊び、時折気分転換に漫画を読む日々を過ごした。

 翌日も優愛は体調が悪いままだった。


「ねぇ、誠也くん。お薬取ってきてもらっていい」

「うん」

「ありがとう」


 この時、優愛は初めて誠也に本当のお願いをした。

 彼女のお願いに誠也は迷わず薬を運んできた。


「体調が良くなったら、またいっぱい甘やかしてあげるからそれまではごめんね」

「分かった」


 優愛が体調を崩してから、三日目のことだった。

 誠也が驚く行動に出た。


「ママ、薬を持ってきたよ」

「ええっ、誠也くん、ありがとう!」


 なんとあの誠也が自発的に薬を持ってきたのだ。

 早く優愛に甘えたい感情から来る条件付きの愛であることは明らかだった。

 それでも今までの誠也からは考えられない成長だと、優愛は心から感動していた。

 何せ彼が自発的に優愛のために行動を起こしたのは、この時が初めてだったからだ。


「ごめんね。誠也くん」

「ママァ……」


 誠也の思わぬ成長に心を癒されたのか、優愛は翌日には快方へ向かった。


「今日は一緒にお買い物にいこうか」


 体調の回復した優愛は、誠也を連れて買い物へ向かうことにした。


「どこに?」

「誠也くんのお洋服を買いに行くのよ」

「えっ、何で?」

「誠也くんが女の子の恰好をしているのは、男の子としての役割を求められたくないだけでしょ?」

「うん」

「でもその恰好をしていたことで、みんなの態度が良くなった?」

「全然!」

「だったら女の子の恰好をしている必要はないよね」

「それはそうだけど……」


 優愛は彼に男性らしい服装をしてもらいたかった。

 誠也の女装は本質的な解決にならないデモ行為でしかない。

 特別なこだわりもなく、外見にこだわる素振りも見せない。

 それなのに女装をしている彼は、どうしてもみっともない印象を与えてしまう。

 外見の悪印象は様々な場面で損をする。

 だから、優愛は彼の身だしなみを整えようと考えたのだ。


 それから数日後、買い物を終えた優愛が車から荷物を降ろしたときのことだった。


「いった……」


 足を挫いた優愛はその場でうずくまる。

 誠也は玄関の前で優愛が鍵を開けてくれるのを待っていたが、彼女の異変に気付き駆け寄ってきた。


「ママ、大丈夫」

「うん、だけどちょっと待っててね」


 買い物袋はいつも全て優愛が運んでいた。

 男性の役割を嫌う誠也に任せるわけにはいかなかったからだ。


 約三分間の休息を挟んだ後、優愛は荷物を持って玄関まで向かおうとしていた。

 だが、先程まであった袋が二つほどなくなっていることに気づいた。


「あれ?」

「ママ、どうしたの?」

「袋がなくなっちゃったみたいで」

「これのこと?」

「えっ、誠也くん!」


 なくなっていたと思われた袋は、なんと誠也が手に持っていたのだ。

 手にしていたのは軽い荷物ではあったが、そんなことはどうでもよかった。

 荷物を持たされるという嫌っていた行動を率先してくれたのだ。


「手伝ってくれるの?」

「うん」

「ありがとう、ママ大好きよ!」


 誠也の心に少しずつ他者を思いやる感情が芽生えてきている。

 優愛はそれが嬉しかった。


 誠也は心から優愛を喜ばせたいと思うようになった。

 褒められたいという見返りを求めずに、好かれたいという意識を持つようになったのだ。

 だから優愛の元を訪れたときは必要性を理解していなかった挨拶も、今では積極的にするようになった。


 欠落していた常識や感情は徐々に埋まっていった。

 優愛の元へ来てから約半年が経つと来客対応も任せられるようになった。

 誠也の成長を確信した優愛は更なるステップを試みる。


「ねぇ、誠也くん。アパートにお友達を連れてきてもいい?」

「えっ?」

「私以外の人ともコミュニケーションを取れるようになってほしいなって……」

「そ、そんなの無理だよ」


 誠也は優愛のことしか信頼していない。

 友人ができたことさえない誠也にとって、見知らぬ人間とコミュニケーションを取ることは苦痛でしかない。


「誠也くんのことは伝えておくから大丈夫だよ」

「でも、何を話せばいいの?」

「聞かれたことにきちんと受け答えできれば大丈夫よ」


 優愛が連れてくる予定の友人はいずれも彼女の同じ保育士の卵たちだ。

 だから誠也のようにコミュニケーションを取るのが苦手で、トラブルを起こしがちな人間が相手でもある程度は寛容な態度でいられる。

 優愛の友人たちも彼と同じ時間を過ごすのは、保育士になる訓練をする良い機会となる。

 それにトラブルが起きたときは、優愛が間に入ればすぐに解決することだ。

 つまり、関わる人間全員にとって一定の利がある企画だ。


「分かった。ママがそういうなら……」


 誠也は不安な表情を浮かべていたが、優愛への信頼が勇気ある決断を下した。

 優愛はそんな誠也の決断に勇気を称えた。


 それから約十日後、優愛の友人が初めて訪れた日のことだった。


「誠也くんよろしくねー」

「よ、よろしく」


 優愛の元を訪れるようになった友人たちへ、誠也はたどたどしく挨拶を返す。

 誠也は時折デリカシーのない発言をすることもあったが、大きなトラブルになることはなかった。


「誠也くん、お疲れ様」


 優愛は友人たちが帰宅すると、問題になりそうな発言とその理由を優しく教えてあげた。

 そんな優愛の期待に応えようと、誠也も上手く接することができるように努めた。


 優愛の友人たちを招いたコミュニケーションの練習は、この日以降も続けられた。

 デリカシーのない発言はしばしば見られたが、それでも時間と共にその頻度は減っていった。


「来年からは学校に戻れそう?」

「無理!」


 誠也が人並みのコミュニケーションを取れるようになったとはいえない。

 だが、トラブルを起こさない程度の振る舞いはできるようになったはずだ。

 優愛はそう考えていた。

 それでもまだ在籍扱いになっている高校へは戻りたくないという。

 優愛はどこの高校かに在籍しているのかを訊ねたところ、そこは県内でも有名な体育会系の高校だった。

 誠也の性格に合うはずがない。

 主体性のない彼はろくに調べることもなく、両親の提案に則って、その高校を受験したらしい。


「じゃあ来年はもっと良い高校に入れるように、ママと一緒に勉強も頑張ろう?」

「分かった!」


 誠也は力強く頷く。

 彼の社会復帰は目前だ。

 けれど、変わらないこともあった。


「ママはずっとママでいてくれるよね?」

「もちろんよ!」


 それは優愛への依存心だ。

 だから社会復帰を果たせても、自立へ向けた支援となればまだまだ先は長いだろう。


「私はずっと誠也くんの傍にいる。だからこれからもずっと甘えてね」

「うん!」


 そうと分かっていても、優愛は彼の依存心を断ち切ろうとはしなかった。

 優愛は彼を預かったその日から、両親から愛されてこなかった彼を愛し続けると誓ったのだから──


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