8話 そうだ!職場へ行こう!
「暇なの……」
ぷらたんは、愛佳が去ったあとの静まり返ったリビングで、天井に向かってぽつりと独り言を漏らした。
昨夜、お風呂に入れてもらったおかげで、背中の毛は驚くほどふわふわだ。まだ石鹸の香りがする。
愛佳が働く『とくよう』という場所。そこは、愛佳をボロボロにして、熱まで出させる恐ろしい魔界に違いない。
「……ちょっとだけ、パトロールにいくなの。ボクが愛佳を守るなの」
ぷらたんは決意した。明日、愛佳の職場について行こうと。
彼女はまた夜中に、魂が抜けたような顔で帰ってくる。そんなの、もう見ていられない。
そして決意の日。リュックの暗闇の中でガタガタと揺られること、どれくらい経っただろう。暗い場所は少し怖い。ようやく振動が止まり、外が静かになった。ぷらたんは、ファスナーの隙間から鼻先を出し、外の様子を伺う。
「……ここが、魔界なの?」
初めて見る施設の中は、鼻をつくツンとした匂いと、重い空気が満ちていた。人間たちが慌ただしく行き交い、何やら忙しそうに動いている。ぷらたんは、隙を見計らってリュックサックから這い出た。
見つからないように、廊下の隅っこを忍者のように進んでいく。
迷路のような廊下を探検していると、突き当たりに扉が少しだけ開いている部屋を見つけた。
「へえ……不思議な宝物がたくさんあるなの」
そこは、カオスな備品倉庫だった。キラキラした紐、大きな箱、そして見たこともない色の布。ぷらたんは、棚の端に積まれていた、真っ白で大きな布に目をつけた。人間が「おばけ」になるときに使うものらしい。本で見たことがある。
「これなら、ボクの正体はバレないなの。完璧な変装なの!」
ぷらたんはシーツを被り、適当な穴から外を覗いた。さらに、近くにあったパーティー用のゴムマスクをその上から強引に被ってみる。鏡はないけれど、自分でも驚くほど「得体の知れない、強くて怖そうな何か」になれた自信があった。これなら、どんなモンスターに遭遇しても負けない。
パトロールを再開すると、奥の広い部屋から、ひどい「怒鳴り声」が聞こえてきた。ぷらたんは壁に張り付き、ひょこっと顔を出す。
そこには、愛佳と、知らない女の人たちがいた。一番大きな声を出している女の人は、顔を真っ赤にして、泣きそうな顔をした別の女の子を怒鳴りつけていた。
「……あの子、悪党なの?」
ぷらたんには、人間たちの難しい会話の内容はわからない。けれど、その女の人が吐き出す言葉が、氷の塊みたいにトゲトゲしていて、周りの空気をどんどん汚していくのはわかった。そして何より、愛佳が苦しそうな顔をしているのが見えた。
(愛佳が、大変なの……!)
ぷらたんの胸の奥が、真っ赤に燃え上がった。
その時、愛佳が叫んだ。
「……武藤さんが、可哀想じゃないですか!!」
愛佳の声は震えていた。けれど、ぷらたんにはわかった。彼女が自分の中の「勇気」を一生懸命に絞り出して、戦おうとしているのが。
怒った「悪党」が、今度は愛佳を怒鳴りつける。もう、我慢の限界だった。
「ワン! ワンワンッ!! ワンッ!」
正体がバレないように「いぬ」の鳴き真似をして、ぷらたんは廊下から勢いよく飛び出した。ズルズルと白いシーツを引きずり、不気味なゴム面をつけたまま、一直線に突進した。
「な、なにあれ!? お化け!? 犬なの!?」
周りのスタッフが腰を抜かして叫んでいる。お化けのターゲットはただ一人。愛佳をいじめる、あの真っ赤な顔の悪党だ。
「ワオーーーーーン!」
ドゴォッ!!
ぷらたんの渾身のタックルが、悪党の腹にクリーンヒットした。
「あがっ!? 」
情けない悲鳴をあげて、悪党がしりもちをつく。お化けの面越しに見るその姿は、ひっくり返った不恰好なカエルみたいで、ちっとも怖くなかった。
愛佳が、こっちを見ていた。
目を見開いて驚いて、そのあと――ぷふっと、吹き出した。
(……愛佳が笑ったなの! 大成功なの!)
ぷらたんは誇らしくなった。
「逃げるよ!」
愛佳がぷらたんをひっ掴んで、脇に抱えた。そのまま駆け出した彼女の心臓の音が、腕の中のぷらたんにドクドクと伝わってくる。
たどり着いたのは、狭くて静かな、鍵のかかるお部屋だった。
愛佳が床に膝をつき、腕の中からぷらたんを降ろした。ぷらたんはシーツとマスクを脱ぎ捨てて、ようやく深呼吸をした。
静寂が訪れると、ぷらたんは急に怖くなった。ここは愛佳の大事な場所だったはずだ。さっきまで「悪党」と呼んでいた人は、愛佳と一緒に働いている人だろう。
(ボク、大変なことをしてしまったなの……?)
愛佳を助けたかっただけなのに。でも、これで愛佳がここにいられなくなったら? ボクが愛佳から仕事を奪ってしまったの?
ぷらたんは、愛佳の顔をまともに見られなくなった。
「……ついやっちゃったの。ごめんなの。愛佳、お仕事こまっちゃうの……?」
しゅんとして、短い手をもじもじさせる。やりすぎた。絶対に怒られる。そう思って身をすくませた。
けれど、愛佳はぷらたんを、ぎゅっと強く抱きしめてくれた。
「ううん。いいよ。最高じゃん! ありがとう、ぷらたん」
石鹸のいい匂いがする。ボクと同じ匂い。
(冒険、大成功なの……!)
ぷらたんは愛佳の胸に顔を埋めて、むふー、と満足げに鼻を鳴らした。




