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4話 休日

目が覚めたとき、部屋はしんと静まり返っていた。

いつもならあの甲高いアラームが容赦なく現実へ引き戻すはずなのに、今日は鳴らない。しばらく布団の中で目を瞬かせ、ようやく思い出す。今日は休みだ、と。


それなのに、身体が落ち着かない。

休日の朝特有のやわらかな空気が、逆に胸の奥をざわつかせる。こんな時間にベッドにいることが、どこか悪いことをしているようにさえ思える。仕事のことがすぐ頭を占める。今日の勤務は誰だっけ。私が休んだぶん、誰かに余計な負担がいっていないだろうか。田中さん、少し熱があったけど、落ち着いたかな。


考えると堂々巡りになる。止めようとしても、止められない。重い体を起こしてリビングへ向かうと、奇妙な光景が目に入った。


ぬいぐるみが、本を読んでいた。


まるで何年もそこに居ついている者のように、当たり前の顔で私の文庫本を抱え、ちょこんとページをめくる。小さな指先が紙の端を押さえる仕草が、妙に板についている。


「これ、おもしろいの。次見よ」


そう言って、ぱたんと本を閉じる。


視線を移すと、テーブルの上に洗濯物が積まれていた。……いや、積まれているというより、ワゴンセールの山のようにぐちゃぐちゃだ。


「たたんだの!」


胸を張るぬいぐるみ。善意100%なのに技術0%。なんだか親近感が湧く。泣けてくる。


「ありがとう。うん……助かるよ」私はぬいぐるみの頭を撫でた。


ぬいぐるみは体ごとふにゃりと揺れて、喜びを全身で示す。もう、すっかりその存在に違和感がなくなっている自分に気づく。人間の順応力とは、わりと恐ろしいものだ。


「朝ごはん、作ったるの!」


目玉焼きとトーストをよそおって、ぬいぐるみは得意げにテーブルに差し出す。お茶も淹れてくれたのだが、カップの中はお茶の色をしていない。砂糖が溶けきれず、白く濁っている。


「甘くしたの! おいしくなったの!」


「……お茶に砂糖は入れないよ、普通」


「海外にはあるの!」


あるにはあるけれど、と私は一口含んでそっとマグを置いた。


疲れはまだ身体に残っていて、甘さは逆に眠気を誘う。再び布団へ戻り、しばらく眠ることにした。



うどんだろうか。いい匂いがする。まだだるい身体を頑張って起こす。


ぬいぐるみがゆらゆら揺れながら、丼を両手で運んでくる。抹茶アイスが堂々と浮かんでいた。


「うどん、作ったの!」


「……え?」


「おいしいものにおいしいものを入れたら、もっとおいしいなの!」


丼とぬいぐるみの顔を交互に眺める。驚きは通り越して、可笑しさだけが残る。


「抹茶アイス、気に入ったんだね」「うん!」


「……ありがとう。いただきます」


味を言葉で説明するのは難しい。だしの塩気と抹茶の苦み、アイスの甘さが寄せては返す。判定不能な奇妙な混ざり方だが、誰かが自分のために作ってくれたという事実だけで、どういうわけか胃も心も温かくなる。美味しかった。いや、不味かったけど。


食後、私はまた仕事のことを考えた。復帰したら吉根さんに嫌味を言われるだろう。意味もなくシフト表を何度も眺める。モヤモヤがじわじわと膨らんでいく。休めるはずなのに、休む意味が分からない。


ぬいぐるみの方を見ると、もうゲーム機のほうをじっと見つめていた。興味深げなその瞳は、妙に真剣だ。


「やってみる?」


「やるの!」


ゲームをつければ、ぬいぐるみは素直に反応する。負ければ全身で怒り、勝てば身体ごと大きく揺れて喜ぶ。


「ずるいの! そっちのキャラの方が性能がいいから勝っただけなの!」「じゃあ次このキャラ使えば?」「負けたの……愛佳つよいの」


桃鉄でちょっとだけ火花が散り、「変なやつ擦り付けるのやめてなの!」とぬいぐるみは拗ねる。別に怒っているわけでもないのに、私はふて寝してみた。ぬいぐるみは寂しそうにちょんちょんして、それでも無視を続けると泣きながら謝ってきたので、結局許した。


外を見ると、夕日が低く、夕飯の買い物に行かねばと気づく。準備をしていると、ぬいぐるみは大きな声で言った。


「買い物、ボクも行くの! 愛佳、体調悪いから心配なの!」


その健気な言葉に負け、私は大きめのトートバッグを取り出してぬいぐるみを入れた。外は少し冷たく、バッグの中から小さな顔がひょっこりのぞく。


歩いていると、バッグの中から声がする。


「ずっと空なの。暇なの」


暇なのはいいことじゃないか。


スーパーに入っても同じ言葉を繰り返した。


「ずっと天井なの。暇なの」


トートバッグの中で、もそもそと動く。不審がられてしまうじゃないか。


仕方なく、私はぬいぐるみを抱え上げる。アラサー女がぬいぐるみを抱えて買い物する光景は、俯瞰で見れば奇妙だろう。だがぬいぐるみは嬉しそうに揺れ、きょろきょろと商品を見て回る。


「愛佳、見るなの! 魚の遺体がたくさん並んでるの! 悪趣味なの!」と涙声で小さく言う。牛や豚の並ぶ棚にも連れて行ってやろう。私の中のイタズラ心が騒ぐ。


お掃除ロボットを指差しては「これなんなの!」と目を輝かせるぬいぐるみ。私が「お掃除してくれてるロボット」と答えると、「へえー! 可愛いの〜」と声を上げた。


ぬいぐるみは肉より魚派だと言うから、今日は煮付けを作ってあげようか。


買い物袋を抱えて帰るころには、朝のざわざわはだいぶ小さくなっていた。休日らしい休日を過ごすのはまだぎこちない。特に何かがあったという訳ではないのに、今日は久しぶりに「たのしい」と思える時間だった。かも。




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