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報告と沈黙

 翌日の午後。

披露宴は無事に終わった。

新婦が涙を浮かべて新郎の腕を取る瞬間を見届け、結衣はようやく息をつく。

 ミスは完璧に修正され、誰一人気づくこともなく式は進行した。

 けれどーー心の中の疲労は、簡単には消えなかった。



 片付けが一段落したところ、スタッフルームの扉がノックされた。

「白石、少し話せるか」

 低く落ち着いた声。橘主任だ。


「はい、もちろんです」

 結衣は立ち上がり、控え室へと向かう。

 窓際の席に橘が座り、手元の資料を閉じたところだった。

 外はすでに夕暮れ、淡いオレンジ色の光が二人を包む。


「昨日の件、報告を受けた」

「はい。最終データの確認不足でご迷惑をおかけしました」

「印刷会社のほうでも確認ミスが重なったらしい。責任の比重は半々だな」


 橘の声はあくまで冷静だった。

だが、結衣はその言葉を軽く受け止められないでいた。

「いえ、私が最終チェックを怠ったのは事実です。次からは必ず二重確認をーー」

「白石」

 短く名を呼ばれて、思わず顔を上げる。


 橘の黒い瞳が、静かに結衣を見つめていた。

「お前が一人で背負うな。チームでやっている以上、責任は俺にもある」

 その言葉に、一瞬、胸の奥が熱くなる。

 責めるのではなく、慰めるでもない。

 ただ"信頼"だけが、そこにはあった。


「‥‥‥ありがとうございます。でも、正直悔しいんです」

「悔しい?」

「新人のミスを庇うことより、自分が防げなかったことが、です」

「ーーそれができるなら、お前はもう主任になっているぞ」

 ふっと、橘の口元がゆるんだ。

珍しい微笑みだった。


 結衣は、息をのむ。

いつも無表情で何を考えているのかわからない橘が、

今だけは少し柔らかく見えた。


「白石、お前の判断は間違っていない」

「‥‥‥主任」

「この仕事は"完璧"より"誠実"が大事だ。昨日、お前はそれを選んだ。それでいい」


 静かな沈黙が、二人の間を流れる。 

窓の外、夕陽がゆっくりと沈み、光が橘の横顔を黄金色に染めていた。


「ーーそれと、ひとつだけ言っておく」

「はい?」

「藤崎の件は、俺が処理する。お前は気にするな」

「え‥‥主任が?」

「チームを乱す人間は、育て方を変えるだけだ」


 その言葉に、結衣は何も返せなかった。

 叱責でも排除でもなく、"導く"という響きだったからだ。

ーーやっぱり、この人の背中は遠い。

そう思うほどに、胸の奥が苦しくなる。


 部屋を出るとき、橘がふと口を開いた。

「白石」

「はい?」

「‥‥‥よくやった」

それだけを残して、橘は再び書類に視線を戻した。


 結衣は小さく息を吐き、ドアを閉める。

外の空気は少し冷たく、けれど心の奥には、不思議な温かさが残っていた。


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