3_この赤ん坊は?
私はローハイム家でのびのびと暮らし始めた。
私の夫――アロイスは、別の領地を開拓するのに専念したい、という理由で家を出て行った。
数ヶ月は帰ってこないようだ。
アロイスが何故私を指名して結婚したのか不思議だったけど、領地開拓の話を聞いて納得した。
長期にわたって専念したい仕事があるが、結婚相手を決めないままだと家の人間から小言を言われる可能性がある。
仕事に力を尽くすために、放置していても問題ない結婚相手を探し出したのだろう。
(結婚の前夜に前世の記憶を思い出してから、やりたいと思っていたことがあるのよね)
私には前世で睡眠について調べたときの記憶があった。
前世の世界と比べると、この世界は睡眠が重要視されていない。
前世にあったような睡眠の質を良くする道具が無いのだ。
私自身は、多少寝床の状況が悪くても眠れる能力がある。
この世界には一定の年齢で貴族に発現しやすいと言われている『ギフト』と言われる能力がある。身体の能力を高めたり、炎や水を出したりすることが出来る、所謂魔法のようなものだ。
私に発現したギフトは、『一人分の安眠出来る寝床を作る』というものだった。
「私の家のベッド、もっと寝心地よくしたいけど、家の財政状況がそんなに良くないのはわかってるから言いづらいし、でももっとスヤスヤ眠りたい」みたいな気持ちをずっと抱え続けていた為か、このギフトが発現したようだ。
親は「ささやかな能力だな」と言って苦笑していたけど、私にとっては大当たりだった。このギフトが使えるようになって以来、私のQOLは格段に上昇した。
でも――ギフトはどんなときでも使える訳じゃない。使う者の調子がもの凄く悪かったらうまく使えないこともある。
現に、結婚が決まってから私はギフトが上手く使えなくなって、睡眠不足になる日が増えた。
大当たりのギフトといえど、万能ではないのだ。
その点、睡眠グッズならば私の調子に関わらず使うことが出来る。
だから私は前世みたいな睡眠グッズが欲しい。
そう思うようになった。
(まあ、前の世界でも睡眠が最重要視されているかというと、そうともいえなかったけど。現に前世の私は睡眠を軽視して、何となく夜更かしばかりしていた。睡眠時間を削ることで他の何かを為したいと思っていたのね)
――だが、睡眠不足で階段から落ちて死んだ私だからこそわかる。
睡眠を取る以上に大事なことなんて、無い。
無い!
例えば電子機器で作業をするときに、バッテリーが著しく少なくなっている状態で作業をしようとする人間はいないだろう。睡眠不足のままに色々なことをやろうとするのは、これと同じくらい不毛なことだ。それに早く気付くべきだった。
(私、この世界で睡眠グッズを作りたいわ。そしてより良い安眠を追求したい。
商品を作って流通させたりするのは人脈も必要で大変な仕事になるだろうから、やらない。わざわざ睡眠時間を減らしに行くことはないわ。とりあえず私一人だけでも使えるものが出来ればいい。
私がこの家のお金をじゃぶじゃぶ使ったらいつかアロイス様に咎められそうだけど、自分一人分の商品をDIYするだけならアロイス様も気にしないことでしょう)
「ネージュ様。紅茶をお淹れしました」
「あ。ありがとう、シエラ」
私はローハイム家のメイドの一人、シエラに礼を言って紅茶を飲む。
ローハイム家に所属していた使用人はアロイスが別の領地に行くに当たって相当数を連れていってしまったが、この銀髪の女性のメイドのシエラは残った。新しく来た妻、つまり私の世話役として置かれているようだ。
シエラはいつも無表情で淡々としているけれど、彼女が淹れてくれる飲み物はおいしい。シエラが家に残ってくれて良かったと思った。
紅茶を飲みながら、私は今後の計画を頭の中で考え続けた。
ゆったりした時間が流れる中、扉がいきなりバタンと音を立てて開いた。
そちらの方を見ると、ロザリー――ローハイム家に滞在している貴族の女性が赤ん坊を抱いてそこにいた。
彼女は私がこの家に来た当初からいたけど、その時よりも更にメイクが濃くなっている気がする。
ロザリーはどこか据わった目をしつつ、私たちのもとへとずんずんと近付いて話しかけてくる。
「……あらあらあら、ネージュ様、アロイス様に着いていかなかったのですねえ。結婚したての妻なのですから、当然アロイス様は連れて行くものかと思っていましたわ」
「ロザリー様。アロイス様はこちらの家を守る為に奥方様をここに留めたのです」
シエラが固い口調でロザリーに反論する。
(これは外聞を保つ為の嘘よね。アロイス様は単純に自分の仕事に集中したかっただけだわ)
それにしても、アロイスがロザリーを連れて行かなかったのは少々意外だった。
実はアロイスとロザリーが懇意にしていて、二人で出て行ってもおかしくないと思っていたが……。
シエラの話を聞いて、ロザリーがカッと目を見開きながら笑顔を作り、私の方を見つめて言う。
「わ~そうなんだ! ネージュ様は一人でも家を守れると思われるくらい優秀な奥方なのですね。すごいわあ。じゃあ、ローズマリーちゃん……この子もネージュ様が見てくれた方がいいですわよね!」
「……えっ?」
ロザリーは彼女が抱いていた赤ん坊――ローズマリーという女の子らしい――をこちらの方によこした。
戸惑いながら私は赤ん坊を抱く。
赤ん坊は私の腕の中でぐずり始めた。甲高い泣き声が部屋を満たす。
「あらあら、すみませんね。この子と来たらすぐ泣く子なのよ。でも、ネージュ様くらいのもとにいれば正しく教育出来るわよね。――それじゃ、私は出掛けるわ」
「ロザリー様! ローズマリー様は私たちのもとで世話するということなのでしょうか? でも、この子に何かあったら……」
「ネージュ様の仰る通りです。ロザリー様、ご一考を」
「大丈夫、ネージュ様はあのアロイス様が見立てた素晴らしい女性なのですから。それに……私をこの家に滞在させて自由にさせると決めたのはアロイス様で、この家の当主よ。なら使用人であっても従うべきよ」
「……!」
「では、私はこれで」
私とシエラがロザリーを止めようとしたけど、彼女は足早に行ってしまった。
アロイスがこの屋敷からいなくなった時、使用人や私に対する今後の方針についての書類を残していっていた。
曰く、『ロザリーへの対処はこの家の者として失礼の無い程度に』だそうだ。
(いや、つまり丸投げってことじゃない。使用人ならともかく、私はここに来たばかりなのに詳しく説明しないって良くないわ!
ロザリー様がいなくなっちゃったけど、私たちはどこまで彼女の言葉を聞けばいいの? これでローハイム家に悪評が付くようなことがあったらアロイス様のせいだと主張したいわ)
思案する私の腕の中で、ローズマリーは泣き続けている。
(結婚するにあたって、一応子供の世話の方法も教えてもらってはいる。でも、他の赤ん坊の世話をすることになるとは思ってなかった。もしこの子に何かあったら大変なことになるかも)
そう考えていると、シエラが私の腕からローズマリーを抱き上げた。
「ネージュ様。あなたがローズマリー様の世話をする必要はありません。私ども使用人で引き受けます」
「シエラ……。あなたたちに任せても大丈夫ならそうするけど、そもそもロザリー様の言葉に従う必要はあるの? もしこの子に何かあったら、家同士の問題になるような……」
「アロイス様がロザリー様を受け入れるように私どもに命令しました。なので、私たちはロザリー様の言葉を守る義務があります。ネージュ様、ご用がある際は私どもを呼んで下さい。それ以外は、この方の世話をするようにします」
そう言って、シエラはローズマリーを抱いて部屋から出て行った。




