2_逆転大勝利
ローハイム家は広い敷地に使用人がずらりと並んだ、豪奢な邸宅だった。
その当主のアロイスは艶のある黒髪に赤い瞳を持つ長身の男で、向き合っているだけでどことなくこちらが気圧されるような美しさを感じる。
だが、アロイスと二人きりの部屋に通されたとき、彼から出される声は冷たかった。
「ネージュ・フラウス。君を愛することはない。
私が君の家にこの話を持ち掛けたのは都合のいい政略結婚の相手を探していたからだ。
君の家は財政の援助を受ける。私は結婚をしても今まで通りの生活をする。
これから先、私が君に対して時間を割くことはない。夜の時間もない。その代わり、君が屋敷の中でどのように振る舞おうと私は関与しない。
家人も積極的に働くべしという風潮がこの国にはあるようだが、私は興味がない。雑事は使用人にやらせるといい。
屋敷が傾くくらい金を使ったり、対外的にローハイム家の評判が下がるようなことをしなければそれでいい。
わかったら、この書類にサインをするように」
「アロイス様。念のために確認しますが、お世継ぎの問題が持ち上がることはありませんか?」
「私の弟の息子をいずれ養子に取るようにするから、問題ない」
「承知いたしました。では、これからよろしくお願いします」
私はアロイスが差し出した書類にささっとサインをした。
書き終わった後、そういえば――と私はアロイスに質問をする。
「アロイス様。さきほど屋敷の方々と顔合わせをしたとき、使用人の方の他に赤ん坊を抱いた女性がいたと思うのですが」
長い黒髪で、香水の匂いを漂わせて夜会に出るような濃いめのメイクをしたその女性は、赤ん坊を腕に抱きつつじっとアロイスに目線を送っていた。
「彼女はアロイス様のご家族の方なのですか? 」
「違う。彼女はロザリー、ローハイム家が昔世話になった家の娘だ。彼女は子供を産んで数ヶ月だが、家で赤子を育てるのが難しくなったからローハイム家を訪ねて来た。家にいるだけならという条件で置いている」
「なるほど。承知しました」
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その後ローハイム家の使用人に屋敷の間取りを説明され、湯浴みの後に寝室に通されて、私は一人になる。
着替えてベッドに転がった私は、天井に向かって拳を掲げた。
「勝ったわ……!」
私は一人、歓喜の声を上げる。
アロイスは結婚相手に対して愛情や時間を割くつもりは毛ほども無いらしい。
結婚初夜である今日も、当然のように彼は来ない。いつも通りに暮らすと宣言していたから、これからも自室で寝るのだろう。
私はこれからも実家にいた頃と同じように生活出来る。
つまり、たっぷり寝られる。
しかも、ローハイム家のベッドは実家のそれよりも遥かに寝心地が良かった。
これから薔薇色の睡眠人生が待っているといえよう。
(懸念があるとすれば、屋敷にいた彼女……ロザリー様ね。あの方がアロイス様を見る視線には只ならぬものがあった。子供を産んでからすぐに他の貴族の家に転がり込んでくるというのも不自然な感じがする。
ロザリー様がアロイス様のことを異性として狙っていて、通じようとしていてもおかしくはない。
でも……そうなったらなったで、私がどうこうすることは無いわね)
もしかしたらこの先、アロイスがロザリーと懇意な仲になって、名ばかりの妻の私に離婚を突きつけてくるかもしれない。
それならそれで、私は実家に戻って今まで通りに睡眠ライフを送るだけだ。
ローハイム家から私の家に渡るお金は、結婚した今の時点で貰えるようだ。つまり離婚することになったからといって財政の援助が無くなる訳ではない。
そして、結婚相手に深刻な問題があって離婚となった場合、結婚拒否に比べたら家名に傷が付くことはないのだ。事情を説明すれば、家族も理解して家に置いてくれるだろう。
それでも外聞が悪いという話であれば、私は家を出て修道院に行こうと思う。
アロイスのように、どこまでも妻を放置するような夫が今後現われる可能性は限りなく低い。それならば一人で生きていく道を模索した方がいい。
今後の展望を頭に浮かべつつ、私は灯りを消して寝台で目を瞑る。
(こういう、「今日はやるべきことをやりきって、後は寝るしかない」っていう時間が一番好き。明日からもこの時間をゆっくり取ることが出来るでしょう。アロイス様と結婚して……本当に、良かったわ……)
そう考えながら、私は眠りについた。




