1_結婚で睡眠時間が減るの絶対やだ
侯爵家ローハイムと子爵家フラウスの結婚が決まった。
フラウス家は歴史は長いものの財政状況が思わしくなく、近年力を付けているローハイム家からの申し出に飛びついたのだ。
子爵家フラウスの娘、ネージュは親からの懇願の末、結婚を承諾することになった。
ローハイム家に向かう前日、私――ネージュは夜に寝床で悶えていた。
(眠れないわ! 明日が憂鬱過ぎる……!!)
私はローハイム家の結婚相手、アロイスに会ったことがない。
私は今現在で十八歳だが、アロイスはそれよりも何歳か年上の男性らしい。私が知っていることはそれくらいで、彼の人となりはわからない。
だが、そこは問題ではないのだ。
問題なのは、『結婚したら今までよりも睡眠時間が減る可能性が非常に高い』ことだ。
この世界では、結婚したら妻の睡眠時間が減る傾向にあるという。妻の方が家の仕事を任されやすいからだ。
貴族の家には使用人が存在し、彼らに仕事を任せることが一般的だが、『使用人がいた上で、家の仕事を率先して行う女性こそが良き夫人』だという価値観があった。
(嫌過ぎるわ)
その話を聞いたとき、私は端的にそう思った。
何故使える人材がいるのに妻がわざわざ苦労しなければいけないのか。
家族のために自主的に頑張りたいという女性は素晴らしいとは思うが、そうでない人間――つまり私――が無言の圧力を掛けられるのは嫌だ。
何より――寝る時間が減るのは嫌だ。
私が好きなことは、寝ること。
嫌いなものは睡眠不足、夜更かし、睡眠不足に伴う頭痛その他諸々の体調不良、「オレ今日二時間しか寝てないんだよね」と睡眠時間の短さを誇る輩、などなど。
(「寝るのが好き」という私の趣味を、実家にいる間に親は尊重してくれた。でも、貴族の娘の端くれとして結婚は避けられなかったわ……)
私には弟がいる。私が結婚を拒否して逃げ出したら、家名に傷がついて弟の縁談にも影響が出る可能性が出る。だから結婚の話が来たとき、私は断れなかった。
私は眠ることが何より好きだが、それはそれとして家族は人並みに大事にしたいと思っている。
家族が路頭に迷うかもしれないと思うと、強くは出れなかった。
それはそれとして、こうして一人でベッドに入っていると、様々な考えが噴出してしまう。
(ああ、もう寝たいのに……。寝るのが一番好きなのに、寝たら明日になっちゃう。やだ……。起きたら結婚の話、無かったことになってくれないかしら。
ああでも、ローハイム家との結婚の話が無くなっても、別の縁談が持ち上がってくるのかな。どうあがいてもこれまでみたいにスヤスヤ眠れる日は無くなるんだ……。やだやだ、もう全部やだ! やだーーーー!)
****
朝になった。
私の希望の通りに結婚が無くなるということはなく、予定通りにローハイム家に向かうことになった。
だが、昨日と今日とで状況が大きく変わったことがある。私は前世の記憶を思い出したのだ。
(前世の私は、別の世界で働いていて、夜更かしばかりする人間だった……。
流石に体調不良が続いたから、これからは眠るのに全力を注ごう! と思って色々調べたんだ。
ちゃんと睡眠を取るようになって、生活もいい方向に向かっていた。
でも、ある日どうしても夜更かししないといけない日があって、その翌日に階段から落ちて死んでしまったのね……)
パソコンやら本やらで、睡眠についての知識を得て、暮らしに取り入れられそうなことはやってみた。睡眠時間が足りている生活はそれまでよりも遥かに幸せなものだった。
でも、いざという時に夜を徹して作業をしてしまう習慣自体は変えきれなかった……。それが前世の私の人生だった。
今になって諸々を思い出したのは、結婚の日が近付くにつれて私がどんどん眠れなくなったからだろう。
前世と同じように慢性的な睡眠不足になったことがトリガーとなって記憶が蘇ったのだ。
(それはそれとして、思い出した記憶の中に、これから結婚を回避するのに役に立ちそうな知識は無かったわ。おしまいね、もう……)
観念した私は、そのまま馬車に乗ってローハイム家に向かった。