経済政策と自治政府
3年の月日が流れサレアの最終開発が終わりサレア市は、人口10万人を超える街になり、その他に、二つ新たに造られた町は、メルストと、ランスと名付けられこちらも10万人規模の街だ。
サレアでは、街の中で、漁業・農業・畜産・工業・小規模ながらも鉱業などが行われ鉱産資源などの輸出入はあれど基本的に、自立した自給自足の街となった。
しかし、サレアの街で、ある一つの問題が発生した。首都機能を移転し、またサレアは戦後の復興を早めるため各地に点在する国民を集めて、復興を促進する目的で作られたのだがサレアの整備にかなりの資源が動員されている状況で遠方の地は、なかなか復興が進まず一時的にでも移り住むことを希望する人々が25万人にも膨れ上がったため地熱発電や波力を用いた発電所の整備を計画していたがさらに、各地の集落の整備やサレアの宅地開発の計画が急遽組み込まれ【王国経済政策】の方針は、最後に残った辺境の地の再整備となった。
また、この計画ののちにサレア沿岸部に発見された油田の開発も行うことが決定された。
我が国が20年近くの時間を掛けて復興を行っていた間、王国内部の自治政府であるイルーツ臨時評議会は、国内の鉱山を生かした貿易を展開しようとしたが王国派と帝国派が幅を利かせる世界でまともな取引先は見つからずまた、民主主義派の勢力は王国の民主化政策を支持し、支援をほとんど行っていなかった為産業の復興が順調に行えず経済の発展が遅れたことにより、国民の生活は困窮。
また、戦争の離脱に内戦の長期化により失敗していたため政府に対する国民の不満は限界に達しており、内戦時北部(臨時政府)の人口が150万人で南部(王国)の人口が250万人程だったのだが生活に不満を抱き多くの民衆が移民に寛容王国側に流入し、その数が10万人程度になり王国側の受け入れ可能な人数を超えたため王国政府は、自治政府と会談を行った。
その会談により、移民を数年間停止し、観光などに関しても不法滞在を防止するために慎重な精査を設けるという決定がなされた。
自治政府に対する今後の方針について、王国内は分裂していた。
主な派閥は、武力による実効支配、交渉による統一、独立というものだったが独立派に関しては、現在の自治政府の状況では、独立は不可能であり、自治政府に対し、国税を使ってまで支援するべきではないという世論により支持を失っていた。
武力派に関しては、軍備増強に未だ力を割くほどの余裕がないため後方による統一路線が支持された。




