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59.そこで名を呼びあいし合う

 

・ ・ ・ ・ ・



「それじゃあ、僕らは行くよ。長いこと、どうもありがとう……エリコ」


『わたしも、あなたに会えて本当に嬉しかったわ。モモイ』


『元気でな、エリちゃん』


『あなたもね、イスラ。……どうかしあわせになってください。ふたりとも』



 鎌首をもたげた巨大な海竜の頭の下、港に立った僕とイスラは小さなエリコの身体をぐみぐみと抱きしめた。



『頼んだわよ、ダマヤ』



 エリコが海竜の頭に向かって言う。


 玻璃張はりばりの長細い目の向こう、海竜の眼球の裏側で、細身の影が一つずつ、同時に手を振る。



「いざ来たれ 群れなし天駆あまがける光の粒よ、高みより高みよりいざつどえ」



 聖樹の杖を掲げ、僕は詠唱を始めた。



つどい来たりて 我らをまもる 千とよろずの根をば編み 我らが未来の種を包むやどり木となれ」



 ぴきぴき、ぴき……。


 僕の“うらっこ”は、もうどす黒くなかった。やわらかい芽吹きのひこばえ色、淡い緑の根が僕らを包んでまるい球体を形づくってゆく。


 手を振るエリコの姿が見えなくなる。


 ひこばえ色に淡く輝く空間で、青いイスラが笑った。



『この術、もう名前も変えたったら?』


「せやね。何にしよか」


『根性ねっこ!!』



 うーん、……ださい……。


 がくん、床部分が揺れる。ダマヤの指揮する海竜が僕らのやどり木をくわえこんで、水中にもぐったのだ。長い旅、一方通行の海路が始まった……。海底のエイルリからさらに北へ五百愛里を行くところ。


 ふるい大陸の入り口、……僕らにとっては新しい世界の入り口へ。


 海竜口中の闇のなかで、薄く淡く緑に輝くまるい空間。深海をゆく海竜の、その沈みこみをひしひし全身に感じながら、僕は右手にイスラの左手を握って座っていた。



『……大丈夫か、モモイ? 引っ返すなら、今やで』


「まさか」



 僕は笑う……。今、僕の胸の内はいっぱいだった。この手の中に、確かにある存在へのいとおしさ。イスラと一緒に、ずっと先の未来を待つことの嬉しさ。……それと、はち切れそうなくらいの感謝があった。



「本当にありがとう。イスラ」


『え、何? いきなりやなー』


「……イスラやよ。イスラがずっと長い間、僕のこと忘れんと、そばにいてくれたから。今こうやって手をつなげてるんは、全部イスラのど根性努力のたまものやよ」


『そうかー? そう言うてもらえると、……何や、なあ』



 青い笑顔が、僕に向かってぱかっと輝いた。



『……正直、しょっちゅうくじけそうにはなったんよ? 見られへん聞かれへん俺のことなんて、モモイいいかげん忘れるやろー、思うて。けどほれ、杖が』



 青いあごをしゃくって、イスラは僕の脇の聖樹の杖をしめす。



『モモイ、こぶこぶ輪っかの内側に目印のひも結んで。ほいでものすごしょっちゅう、拭いとったやん? それ見て……。あ~もしかしてひょっとしてこれはー、俺の形見として扱ってくれてるんやろかー、と』



 僕はうなづいた、その通りだったから。



『しかも~、苦しい時にも、うんうんうなりながら名まえ呼んでくれたったやん。錬成校の試験やら、入営したての先輩のいびりかわしやら。≪イスラなら、どうする~≫って……。どうもしいひんがな、俺かてなやむわ! あんな難題』



 ははは、と笑いながらイスラは青い手のひらを胸の前でひらひらさせる。ぴしー、と空中に裏拳を入れた。その瞬間、ぼろんと涙をこぼす。



『……俺のこと。忘れんと、いてくれて……。ありがと、モモイ』


「イスラ」


『泣くなや、もう』


「どっちが……」



 互いのうれし涙をぬぐいあいし合う僕らは、そういう僕らのいま現在は、僕ら二人がたどり着いて取り戻したのだ。


 イスラは僕を忘れずにいてくれた、だからどこへも行かず消えもしなかった。


 僕の生命いのちを守ってくれたイスラを僕は忘れられずにいた、だからこれからも生きてゆくことができる。


 イスラと一緒にある未来を、遠くはるか先まで楽しみに夢みて。



――……だから、ここから先は。お互いに忘れなかった、僕ら二人の勝利なんだ。



「ありがとう、イスラ」



 僕を忘れず、ずっとってくれた君へ。僕の心が、何度言ってもたりない想いを呼ぶ。君の名を呼び続ける。



『ありがと。モモイ』



 僕らは互いに、名を呼びあいし合う。



・ ・ ・ ・ ・



 時間としてはずっと長かったけれど、今度の旅はエイルリへ連れてこられた時よりも快適だった。エリコがお弁当その他の物資を持たせてくれたし、何より揺れない。



『前と違って根っこのとげとげがない分、海竜もかみ・・やすいのんとちがうかぁー?』



 イスラも僕も、のんきに構えている。



「でもつるつるすぎたら、うっかり飲み込んでまうかもよ? そしたら本当に、下からのうんこちゃん排出しかなくなるね」


『げ~、それはー……』


「言うても……。海竜って、お尻どこにあいてるんかな?」


『知らんし……』



 くだらない会話を、続けられるだけ続けている。その柔らかさに、つい僕がうつらうつらと居眠りをして、いびきかいとるよとイスラに起こされる……というのを何回か繰り返した。


 その後に、ふわん……と上に上がってゆく感覚をおぼえる。海竜が上昇した!


 半透明の根っこの淡い緑を通して、一方向から光が差してくる。



『着いたんかな?』


「いいや、まだ動いてるよ」



 どこかから、ダマヤの平らかな声が聞こえてきた。



『海竜が所定の位置に到着し、完全に停止するまで、座席についたままお待ちください』



 そこで僕とイスラは行儀よく座り込んだまま、差す光が強くなってゆくのを待った。


 が、たん……。



『これは、着いたやろ~?』



 いまや全周囲を明るい外光にかこまれて、僕の“根性ねっこ”は輝いている。



『もう出てもいいわ、モモイとイスラ。でも到着先は濡れているかも、足元に気をつけてね』



 僕は術を解除した。淡緑の厚い殻が消え去った途端、びゅうっと海のにおいの強い風が吹きつけてくる。



『さあ、行って! モモイ、イスラ、今のうちよ』


「ありがとうー、ダマヤ!」



 僕らは崩れかけた石造りの波止場、その先端に立っていた。


 海と埠頭の混じり合うところに、サミの四倍はありそうな巨大な岩がひとつ、長細く突っ立っている。吹きつけてくるのは風ではなくて、海竜が口からふき送る猛烈な息だった。こうしないと、あたり一面に漂う毒の空気にあたって僕はたちまち弱ってしまう、とエリコが言っていた。



『さいなら、ダマやーん!』


「いざ来たれ 群れなし天駆あまがける光の粒よ、高みより高みよりいざつどえ」



 ざらざら、がたがた、ひび割れた岩床を陸地奥に向かって走りながら、僕は自分の身体に“防御壁”をまといつける。



つどい来たりて しき物ののわざより 我らを隔てる壁となれ」



 光の膜に包まれた僕を、青い風になったイスラが抱える。僕らは一直線に、≪扉≫をめざした。



『――あ、あれやっ!』



 長い腕のような波止場の付け根の向こう、およそ全ての生きものの気配の絶えた岩だらけの風景を後ろにして、こんもり不自然に盛り上がった……こぶのような丘がある。


 丘の海側には口が開いていた。巨大な岩々をいくつか組み合わせ、ちょうど卓子のようにしたところに、土をかぶせたという感じ。岩の敷居をくぐって、僕とイスラはその暗い穴の中へ飛びこんでいく。




「……」


くらっっ。くさッッ』



 小さな穴ぐら、と、見えた岩屋の中は変に広い。


 僕の右手を、イスラの青い左手が握る。大きな石を積み木のように組み合わせて作られた通路は、並んで歩けるくらいに幅があった。そしてどこまで続いているのか……奥は見えない。



『くさいけど、外みたいに毒っぽい空気とはちがうな。単に古臭い、っちゅう感じのにおいや。俺が守っとるし、モモイは“防御壁”いてもええのんとちがう?』


「せやね。代わりに、灯りをつけよか」



 聖樹の杖の先をぽやんと白く光らせて、僕はそれを前方にかざしつつ歩いてゆく。



『エリちゃんによれば……。この長いながい通路の先に、時間の干渉を受けないところがあると言う……。じつに場所系怪談や、ぞくぞくするな~!』



 ぬふふふふ、と怖がりつつもイスラは楽しそうだった。僕も同様。


 人の絶えてしまったこの旧大陸の中で、現在でも機能し続けている過去の遺産があるのだ、とエリコは言った。使う機会もなく忘れかけていたその存在を、エリコは思い出し……そしてそれを、僕らのために最大限活用することをひらめいたのだそうな。



『その扉を越えた場所こそが。今のモモイとイスラ、異なって想いあいし合うあなた達にとり、一番可能性の広がる場所なのだと、わたしは確信しています。恐ろしいだろうけど、一方通行の旅路たびじをどうか歩き続けて……。あなた達ならきっと、そこで望む生命いのちになれる』



 怖くはなかった。ティルムンを去り、見知らぬところへ行くことも。イスラとゆくなら、そこがどこでも僕の行く場所になる。



『何や~、モモイぃ! 見てみ、この壁ぇ? 気ッ色わるぅぅぅ』



 青いおばけが、青く光る長ーい指をうねうねさせて言った。そっちもそっちで、きもかわいい。



「何、これ……? 彫刻かな?」



 奥にゆくにつれ、積まれた巨岩の表面に、奇妙な文様が濃く浮き出ているのが見えてきた。一面にたくさんの線が刻まれている……。ちょうど指の紋をひたすら拡大したようなもの、意味するところは何だろう?



『何ぞ、物語の説明でなし……。美をたたえる芸術げーじつとも違う。何を伝えたかったんや、昔の人は』



 ふと思い当たって、僕はイスラに言った。



「錬成校に置いてあった、人体模型の臓器いろいろに……似てへん?」


『ふぁっ? あ、たしかに……。そしたらこれ、体内・・ちゅう表現なのかいな?』



 丘の胎内、いちばん深いところに僕らは突き当たる。やはりおおきな石を組み合わせてつくられた石室だ。天井は平べったい一枚岩、圧迫感が半端ない。しかしそこには、円くなったへやの空間があるだけ……。行き止まりだ。



『……なーんだ……。いきどまり、やん……? エリちゃんてば、何ぞ勘違いをしとったんかいな』



 暗い中をひとしきり調べて、やっぱりこの先には何もないのだとわかった時、イスラは笑いながら言った。明るく朗らかに言い装って、悲しみが声にまじっている。


 めいっぱいの期待を、一縷いちるの望みを砕かれて、泣くのを我慢している声。



「イスラ」



 足ひれを地面にくっつけて、しょぼんとうつむいている青いおばけをぐうと抱きよせ、僕はちゅうと口づけた。



『モモイ』


「大丈夫やよ。行こ」



 僕は全然めげていない。賢いエリコがたまたま間違えただけ……。道は必ずある、僕とイスラがともに同じ時間を歩める道が。



『……せやな!』



 イスラの笑った顔に力を得て、僕もまぬけ全開の笑顔になった。と、イスラが丸っこい目をさらにまるーくした……。



『おおー? モモイのおでこが……』


「?」


『俺のいち推し、モモイの広きおでこが……、何や輝いてるぞ? 光々こうごうしい』



 僕ははっとして、……後ろにしてきた方を見た。


 真っ暗な中に……ぽちんと小さな光が見える。どういう具合なのか、ながい長い通路をつうっと突っ切って、ひとすじの細い光が僕のおでこを照らしたらしい。



「何か、変やね……? とにかく出てみよう。行こう、イスラ」


『そうしよ、モモイ』



 僕らは再び右手左手をつないで、やって来た道を戻る。その長い道をたどりながら……きき時かなあ、と思ってたずねてみた。顔を前方に向けたまま。



「……僕のおでこ、推してんのかい」


『あー? そや。広くて涼やかで平らかで、見てて胸きゅん触ってあんしん! のしきおでこ、やよー』


「……おでこに恋したんかい」


『おでこに連なる、全モモイがえよ。俺は』


「そう。……ほな、そのおでこの導きを信じよう」


『そうしよ。おでこで世界超越…… っって、モモイぃぃぃ!?』


「……イスラぁぁぁ……!」



 ぼんやりと見えかけて、……そうして今はっきりと現れた四角い岩屋の入り口。


 そこへ踏み出す直前、僕ら二人は立ちどまり立ちつくし、顔を見合わせた。


 ……エリコは、“一方通行の旅路”と言っていた。丘の胎内にはいり、そうしてもう一度僕らが出ようとしている外の世界……。



 そこには深い緑がぎっしりと、満ちあふれていた。


 ふるい世界にあった毒のにおいも、灰色の光も、滅びの風景もない。


 ひいらぎ、にわとこ、かし……。エリコとダマヤが名前を教えてくれた木々が、どこまでも続く……奥の見えない≪森≫。無数の樹々が織りなす大きなおおきな深緑の世界。


 僕の右手を、イスラの左手がぎゅうと握る。



『ほな、行こか! モモイっ』



 いとおしい笑顔が僕の視界に満ちる、きらきらといっぱいに青く輝く。僕もうれしさ全開で笑った。僕のおでこも、輝いてるといいなと思う。



「せやね、イスラっ!」



 エリコによればここから先は、すべての存在が永遠になる場所……。偶然なのか何なのか、彼女の告げたその場所の名前を、僕ら二人はすでに知っていた。


 僕、モモイとイスラは同時にふみ入った。とこしえのみどりの中へ。


 “常緑ときわもり”の中へ。




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