57.世界の秘密を包む庭から
・ ・ ・ ・ ・
その後しばらく、僕とイスラは≪エイルリ≫に暮らした。
実際には、ほんのひと回りほどの間だったのかもしれない。自分たちのことを洗いざらいエリコに語り、彼女もまた膨大な量の話を僕らに教えてくれたから、ずいぶんと長い時間を過ごしたように思えた。
外の世界と同じように、陽が落ち星々がまたたく広大な庭、あの柳(という名前なのだそうだ)の大樹の根元にダマヤが丸い天幕を張ってくれて、必要なものは何でも用意してもらえた。
いったいどうやって材料を調達するのか、ダマヤの持ってくる香辛料のきいたティルムン料理を、僕もイスラも大いに喜んで食べた。
主に、前の休暇中に僕が食べて美味しかったもの……。パンダル君ロラン君と一緒に食べた川魚の揚げ物、イスラのお婆さんのイリー風煮込み、川浜辺の屋台で買ったさめ肉を挟んだぱん。記憶の中にあるものと味も食感もそっくり同じだから、僕はずうっとたまげっぱなしだ。ひよこ豆もたくさんもらえた、イスラが嬉しそうに頬をふくらまして噛んでいる。
『たくさんは無理。でもこのくらいなら簡単に生成できるから、遠慮せずに食べてね』
朗らかに言うダマヤが意味するところの全部は、理解できなかった……。とにかくおいしかったから、それで良し。
ダマヤは、僕の左脚の怪我の様子も見てくれた。大きなかさぶたは見ていて痛々しいけれど、実際にはもう全然痛くない。
『本来なら搬送中に、海竜の口腔内で治療もするの。でも、モモイの作った理術の殻はあんまり硬くって、舌が出せなかった。かろうじて話し声を採取して、会話から名前と部分経歴だけ解析できたのよ。自力で処置をしてくれて、本当に良かったわ』
イスラが首をかしげた。
『あのう、ダマやん……。いま舌って言うた??』
『ええ。採取した人間は、海竜のふかふかべろにくるんと包んで、エイルリまで搬送するのよ』
「ぎゃひぃぃぃぃぃ」
『嫌やぁぁぁぁぁ』
とり肌をたてて、僕もイスラなみに青ざめた。
・ ・ ・
彼女はまた、僕とイスラの身体を何度も調べた。髪の毛、体毛いろいろ、切った爪の破片、そういったものを幾つもの細い玻璃瓶につまみ入れて持ち去る。僕の指先をちょっとだけつついて血のしずくを出させたり、つばをぷっと吐き出せとも言われた。
「えーと。本当の本当に必要なの、それ……」
手洗いにて排出せしものを少量提出すべしと言われて、温厚な僕もさすがに困惑した。けれどダマヤは、まじめな顔でうなづくばかり。
『そう、貴重な検体になるの。つらいと思うけど、どうか協力してください』
『かわいそうにな、モモイ……。代わってやりたいが、俺はご不浄とは無縁の存在になってしもて、そういったものはもはや出やらへん』
『イスラ。あなたには脇の冷や汗と、ちょちょ切れ悔し涙の提出をお願いしているでしょう』
『なんでそこまで細かく指定するのん?』
最初の日に入って行ったあの広い室、その片隅にダマヤの棚と机があって、ちょっとした医務室みたいな一画になっていた。
細い診察台に横になる僕、あるいはイスラの脇に立って、彼女は長いこと僕らの額に片手をあてている。経歴記憶の読み取りには時間がかかる、と彼女は言った。本を読むように、僕らのこれまでの人生を読んでいる、ということなのだろうか?
のびているだけなのに、やたらぐったり疲れるその時間が終わると、僕らは室の反対側の隅に行く。
そこはエリコの書斎だった。
無数の瓶が詰まったダマヤの棚と違って、エリコの棚には書類ばさみらしき板がぎっしり入っていた。それを背に、ばかでかい黒木の机の向こう側、巨大な椅子にちょこんと座して、前の腰掛に座る僕らに、エリコは様々を語った。
イスラと僕が投げかける無数の質問に、エリコは根気よく答えて説明を続けていった。その中には全く知らない話も、少しだけ知っている知識もあった。エリコが語る本来の意味とは、全く違う方向で僕らが理解していた話がたくさんあって、主にイスラが突っ込んで聞き質す。エリコは面倒がる素振りも見せない。
『今は、そう伝わっているのね?』
『なるほど。イスラはそれをどうやって、いつ知ったの?』
そんな風に、エリコは逆にどんどん話を広げた。そしてうんうんうなづきながら、書類ばさみの中に敷いた筆記布に、さらさら硬筆で書き込みをしていく。イリー世界や東部大半島に関する僕らの断片的な知識には、特に注意深く聞き入っている様子だった。
ところで、そもそも彼女たちはティルムンの……いや、人間にとっての何なのか、と僕が聞いた日。エリコは『山羊皮と虎毛皮にくるまれた王妃の話』をして聞かせた。
長くながく続いたその豊かな王国が、やがて悲しい災いによって滅んでしまった時、生き延びた一人の男性がエリコたちを作ったのだと言う。彼女は、彼のことを≪父≫と呼んだ。
『……エリちゃん、お父さん似だったん??』
青い顔をきりっと引き締めて、イスラが聞いた。僕も聞きたい。もしや昔の人って皆、みどり色にぐみぐみしていたのだろうか。
『いえいえ、父は人間そのものでしたよ。ちょっとモモイのような広いおでこで、イスラみたいに色の濃い髪をしていたわ』
『ふぅーむ??』
そして彼女と≪聖樹≫は、きょうだいのようなものだ、とも言った。
『聖樹も、その人が作ったってことなん? 自然に生えたもんと違うて?』
『父がわたし達を作ったのは、ずっとずっと昔のことです。なくなってしまった旧郷から命からがら逃げのびた自分自身と、ごくわずかな人々を守るために父がわたし達を起こした時、わたし達は皆ちがう姿をしていました。やがてそれぞれが自分なりに、どうやって人間を守り助けるかを見極めていき、現在の姿に育ったのです』
行方不明になっているきょうだいもいるらしい。
『ここの海底に固定されたわたしや、“白き沙漠”に根を張った聖樹と異なって、その年長のきょうだいは大いに動き回って直接人間を護ることのできる子だったの。でも、かなり前から連絡が途絶えてしまったのです……。今アイレー大陸のどこにいるのか、皆目見当がつきません。外見もどんどん変わっているだろうから、再び会えたとしても、お互いすぐにはわからないかもしれないわ』
エリコは、僕の聖樹の杖にぐみぐみと小さな手で触れて、しみじみとした表情になった。
『聖樹はほとんど変わらないわ。人々に生きてほしくて地中深くから水を吸い上げ、幸せになって欲しいから枝を通じた理力のお裾分けを続けている』
“白き沙漠”は、太古の昔から人間にとって過酷すぎる環境だった。それを何とかやわらげるため、聖樹は理力を人間に付与している、ということらしい。だから当初、理力は全ての人間のものだった。基本をおさえ、聖樹の一端であった杖を使えば、誰だって理力を使えるはずだったのだ。ではどうして今、理力は一部の人間……理術士だけのものになってしまったのだろう?
『わたし達が危惧しているのはそこなのです、モモイ。本来皆のものであった便利な理力を、人間は長い時間をかけて≪理術≫として体系化し、複雑に発展させてしまった。聖樹は人間の善性を信じて理力を分け続けているけれど、現在の状況はとてつもない危険性をはらんでいる。正規理術士と、その集大成ティルムン軍は、今世界にとっての大きな脅威です』
「……僕も、その正規理術士なんだけど」
『ええ、あなたも脅威です。モモイ』
全く悪びれずに、エリコは僕をじっと見つめる。
『平生がこんなに穏やかで、温厚なあなたなのに。海竜を眼前にして再びイスラを失うかもしれないと思った恐怖、そして過去の傷に対する強い憎悪から、あれほど強大な術を発動させた……。そしてイスラに至っては、エイルリの技術結晶として構成した海竜の身体を破壊させる威力すら持っている。あなた方の力が人間相手に向けば、これは人類再滅亡へのあらたなる第一歩になりかねない』
「……」
『俺ら、そんなことせぇへんて……』
『ええ、わたしもそう信じたいのです。けれどあなた方以外の正規理術士が、全員そう思っているとは限らない』
とある挑発の表情が、僕の脳裏をかすめた。
例えばベアルサ。あの留年不良が……、自分以外の全ての存在をいじめ貶め、嘲って生きているようなあの少年が、イスラなみの威力を手にしたとしたら……?
エリコはふうっと溜息をつく。
『そのためにも、わたし達は人間を監視しなければいけません。どのような発展を遂げ、理術の威力をいったいどこまで上げるのか。人間の進化に合わせ、それにうまく拮抗する海竜を送り出すために……。それが優秀な研修兵を採取して、検体を取り続ける理由です』
エリコは目の間にしわを寄せ、机の上にぐみぐみ両肘を置いて頬杖をついた。
『でも……。怪談のねたになるほど、記憶抹消が怖いことになっているとは知らなかったわ。これからはもっと穏便に子どもをさらうよう、工夫しなくてはだめね』
『エリちゃん、おだやかに物騒なこと言わんといて??』
僕らとしては連れ去るのをやめて欲しいけど、どうしても人間観察は必要らしい。エリコは≪生体採取≫の話になるたび、顔を曇らせるようになった。僕らに何があったのか、生体のその後に及ぼす影響を深く知って、どうも落ち込んでいるらしい。神さまなりに、板挟みになっているようだった。
僕はもう一つ、引っかかったことを聞いてみる。
「エリコ、“拮抗させる”と言うのはどういうこと? 海竜と人間とを、対峙させ続けるという意味?」
『ええ、その通り。あなた方ティルムン人を海竜対策に集中させ、他の文明を侵攻させないための手段です』
ようやく、僕にも張りめぐらされた力関係のからくりが見えてきた。
ティルムンは強大な理術士の軍を持っている。その気になればイリーも東部もキヴァンも、人間の住むところを全てのみこんで全アイレーを征服できる程の力だ。しかし高邁なる平和主義であるからして、そんながつがつしたことはしないと、永久中立を宣言している。
……その実は、北海岸に押し寄せる大怪物との攻防戦でいっぱいいっぱい、他国侵攻に振り向ける余力なんてないのだ。しかしこの事実もイリー諸国その他に知られてはいけない。隙をつかれて逆に侵攻の土台を作られたりしては一大事だからだ。よって我々ティルムン軍の正規理術士たちは、何に対して戦っているのかも明言できずに≪敵≫と対峙し続けている……。
『そいじゃ、海竜はやっぱりエリちゃん同様のものなん? おんなしお父さんが作ったんかい?』
『いいえ、イスラ。もともとの海竜は、自然発生したものです。理術士たちの力が今ほどではなかった頃、約九百年前に初めて北海岸に現れ、そこにあった漁村を滅ぼしたのは四頭の海竜の群れでした。わたし達のきょうだいが対応し、何とか仕留めて、その死骸をエイルリに持ち帰ったのです。これほどまでに強大な生物が、一体どうやって発生し、そこに現れたのかは、……実は今でもわからないのです』
ぐみぐみ階段をのぼってゆくエリコの後に続いて、僕とイスラは階上のあの“竜港”に出た。
『そういう謎の生物ではありますが、わたしはこれを複製して利用することにしました。身体とその機能だけをわたしの技術で再生し、そこに簡単な目的使命を載せて、今のあなた方の戦線に送り込んでいるんです』
エリコの示す静かな水面下、そこは竜の巣だった。一番上の方に巨大なのが数体、長ながと浮いている。ずっと奥の方を見やれば、澄んだ水の先に網が張りめぐらされていて、そこに無数の小さな海竜が生えていた。
波もなく揺れない水の中、そこに静かにのびているだけの海竜は……≪蛇≫だった。
よくよく見れば見るほど、パンダル君とロラン君がプリムリーボ書店で教えてくれたイリー図解の絵のへびに似ている。黒ぐろとしなやかな体躯、うろこ……。冷徹な双眸。
エリコですら起源を知らないこれら生きものの祖先は、一体どこからやって来たのだろう?
『にしても……。エリちゃんはこんなでっかい海竜、どうやって操ってるん?』
小首をかしげる青いおばけのイスラに対し、小さい緑のぐみぐみエリコがうなづく。
『あやつる……と言うと、生きているものを支配して言うことを聞かせている、という風になりますが。実際これらは個々の生きものではなく、肉体を持った道具にすぎません。浜辺にいる人間たちを派手におどかし怖がらせて、でも傷つけずに引き返してくるという、目的使命だけを遂行して帰ってくる器なのです』
もう少し複雑なことをする場合は、ダマヤの複写が海竜内部に入る。よって眼球部分の裏にその姿が映り込むらしい。僕が見た人影はそれだった。使命が達成されれば消えるように仕向けてあるものだ、とエリコは言う。
『だからあなたは海竜を破壊したけど、ダマヤを殺したとか、傷つけたと言うことはないのよ。その辺を気に病む必要は、全くありません』
エリコにぐみぐみと左肘のひれを触られて、青くぼんやり輝くイスラは安堵していた。
・ ・ ・
そして樹々と千草の茂るエリコの庭で、僕も少し安堵していた。
ここから見える空と陽光とは、失われた場所の記憶をもとにエリコが再構成しているのだ、と言う。けれどそこに生きている緑の大半は本物で、彼女の父親が持ちだしたものに、新たにアイレーから採取したものをあわせて、一緒に育てているらしい。
要するに寄せ集めではあるけれど、それは確かに世界の秘密を包む庭だった。
その中心に、僕ら二人は不安を融かす。……違う。イスラと心をひとつに融かし合うことで、この先の未来で僕らを待つ不安に立ち向かう力を得たいと、僕は思った。実際、僕は力を得ていった……。イスラへの想いが、これまで詠唱の威力を高めてくれたように。
無言のうちに、僕のおでこにぴとりと吸い付くイスラの青い左手。その上に、僕は自分の右手のひらを重ねた。朝昼晩と、地上同様に陽がうまれ暮れ沈んで、時が流れる。
僕の左脚の傷は、つるっと白い筋痕になった。
『あ~良かった、完治したなー! もじゃもじゃ毛にまぎれて、もう全ッ然めだたへーん』
青いおばけがのぞきこんで、ころころ笑うから僕も笑った。




