54.祖国ティルムンへの疑惑
『……何や、それ。海竜に……人が乗っかってた、て? ……はぁあ??』
寄りかかっていた“恨み根っこ”の壁から身を起こして、イスラは困惑全開で僕を見つめた。
「じゃあ、イスラは見なかったんやね……」
僕は再び恨み根っこ側壁にもたれかかって、溜息をつく。
「……一匹目は、倒れた時に頭から海中に突っ込んだから、僕にも見えんかった。けど、二匹目とは“百万恨み根っこ”発動寸前に正面で向かい合ったから、見えたんや」
細い切れめのような海竜の双眸は、ちょうど術士帽の眼部分を覆う玻璃膜のようだった。
その向こう側に、人の影が一つずつ浮いていたのを、僕はがんを飛ばしつつしっかり見たのだ。……今回も。
『今回も、て??』
「十四年前と、おんなしなんだよ」
自分でも、声に不機嫌が入り混じるのがわかった。思い出したくないけど、決して忘れられないあの日の風景。今まで誰にも打ち明けなかったことを、僕は初めてイスラに話す。
「イスラにかばわれた直後、海竜に引っぱたかれて、僕がぽーんと宙に浮いたとき」
十四歳のイスラが海竜にばくりと喰われ、そうして青く光る風刃が海竜の頭を粉々にするその直前の瞬間だった。
十四歳の僕の目に、海竜の目が見えた。細い切れめのような、その玻璃ばりの窓の向こう側に、人の影が一つずつ透けていたのだ。
青いイスラは丸っこい目をさらにまん丸くして、何も言わずに僕を見つめている。
「……戦線に配置されるようになってから、ずうっと気をつけて観察してたんやけど。僕ら理術士が北海岸で対峙する≪敵≫の中に、人の影が見えたことはなかった」
『……だからモモイは、あんなにしょっちゅう“超老眼”の術を使てたんか……!』
ずっと側にいたイスラにも、僕のその意図はわからなかったらしい。
「信じひん? イスラ」
『信じるに決まってるやろ! けど、……けど……。ちょい待て、モモイ……。それって、つまり』
イスラは僕の右手を、青い両手で握りしめる。
『俺……、十四年前のもそうやけど。イスラ君の身体かりて、相当数の海竜を殺ってんのやで……? つまり俺、ひと殺したって……そう言うことなんかッッ??』
「イスラだけやない。僕らみんな……理術士全員が、人間を攻撃して、傷つけて、殺してることになる」
青い身体をぶるぶる震わせて恐慌し始めたイスラに向かい、僕は腕を広げた。
僕自身、初めて口にしたことではっきり自覚する事実に、恐れおののき始めている。両腕の中のイスラと一緒に、僕は自分の震えも強く抱きしめた。
『……ティルムンは。永久に戦争しないはずやってんか? 人間相手の戦は金輪際せんと、そういう話やんか……!』
僕の肩口に顔を埋めて、くぐもった声でイスラが言う。
「……それを。聖樹との契約を、裏切っている誰かが軍内にいるんやと思う」
『誰や……』
イスラの声はかすれていた。怒りのためなのか、……あるいは恐怖に怯えているのか。どっちともだろう、僕も両方を感じている。
未来永劫、ティルムンは滅びない。あらわれては消えて行った古代のいくつかの国々のように、戦という愚行を繰り返さぬと聖樹に誓ったから。
ティルムンの人々がこの約束を守り、人間どうしの殺し合いをしない限り、聖樹は水と理力、ふたつの源をティルムンに与え続けると言われている。だからティルムンは、イリー諸国や東側世界、キヴァンに干渉することは絶対にない。大自然のもたらす脅威である怪物、海竜だけを戦闘の対象とみなしている。
……はず、だったのに。
「新兵イスラが入営したばっかりの頃、僕に聞いてきたことがあった」
≪海竜≫というのは略称なのであって、正式名称は三位の僕も知らない。庶民出自の軍属は知らずに済まされるその正式な名を、もしかして貴族たち……指揮部の人々は知っているのだろうか。
「例えば。海竜軍だとか」
『馬にのる騎兵、っちゅうのになぞらえて……。海中騎竜敵兵団、とかもありうるぞ』
いずれにせよ、大自然の脅威たる強害獣なんかではない。人間がらみの何かだ。
つまりティルムンは……永久中立、戦争放棄を聖樹に誓ったはずの祖国ティルムンは、どこかの人間を相手とした戦争を続けてきた、ということになる! 何百年も何世紀もの間……市民を国民を、実際に戦線で海竜と対峙している僕ら理術士を、すべての人々をだまし裏切って。
「たぶん、テサボ先生は一枚かんでる」
『……?』
頭をひねって、イスラが誰それと視線で問う。丸い点になった眼がむやみにかわいくて、僕はどうにも陥落しそうになる。できればもうちょっと気楽な状況だったらな、と自分の中の自然が叫んでいる……。
「……僕らの研修に付き添って来た、おじいちゃんの先生おぼえてる? あの人、今朝もいてた」
『は……あー? ああ、人道倫理の……? あの人は何年か前に亡くなった、って錬成校のおっちゃんが言ってなかったか?』
「それがいたんよ、同じ顔した同じ声の人が。まるっきり変わらずテサボ先生やった……、留年不良のベアルサを怒鳴りつけてた」
テサボ先生は、僕らの研修当時に初期おじいちゃんだったのだ。だから今まで生きていたのなら、ずっとよぼよぼしているはずなのに。さっき見た先生は、僕の記憶からそのまんま出て来たかのような、十四年の年月をまるきり無視した同じ外見だった。
「声調おんなしやから、そっくりさんとかでなくてテサボ先生本人やった。あの人には絶対、何かある」
ふわっと僕から身を離して、イスラは苦笑した。まゆ毛をくーっと下向きにさげる。
『まーさかー。そんな摩訶不思議な話、怪談職人の俺かて知らんがなー!』
まか不思議の結晶みたいな精霊イスラは、肩をすくめてふははと笑った。
『年とらん、死なんでずーっと同じ顔って……。 それこそ、お・ば・け・やーん!!』
最後は必殺ののり突込みで、ぷるぷる震えている……青いおばけ本人が。
『きえーッッ』
……子どもの頃はひたすら楽しく笑えたイスラの芸風だけど、今の僕にはあまりにかわいく映る。恋しいおばけ。
回復に向かう身体の中で、僕のなかの自然……欲と衝動という慣れない感覚が優しく低く、ふふふーははは、と微かな笑い声をあげていた。
・ ・ ・
そろそろ、“恨み根っこ”の更新詠唱をして重ねがけをしようか、と僕らが話し合っていた頃。
イスラが、ぴくりと根っこの天井部分を見上げた。……耳を澄ましている。
『……水の流れ過ぎる音が、止まったように思えるな?』
イスラが予測したように、海竜はねぐらに帰ってきたのかもしれない。静寂の中に僕らは押し黙っていた。……と、ぐらぐらぐら……。側壁も床部分も、“恨み根っこ”が丸ごと揺れ始めた。
「ほんまにとうとう、排出されるんかもしれへんね……! 蠕動運動やろうか、これッ?」
『せやな! 旅の途中でせんと、自分ちのご不浄でしかでけへん、繊細なやつなのかもしれんでッ』
僕とイスラは、ともにきりっと真剣な顔つきで言った。
「……いずれにせよ、僕らを飲み込んだこの海竜には人影が乗ってたんや。何が起こるかわからんし、気をつけよう! イスラ」
『そうしよ! モモイ』
振動はどんどん激しくなっていった。イスラが僕を背中から抱きこんで宙に浮き、強い揺さぶりから守ってくれているから、身体をどこかにぶつけるのは免れたけど……。
「ううう、気持ちわるッッ」
『……』
「いや違う、イスラでなくってこの揺れがー!」
どどどどどッ!
「ぎぃやーっっ!?」
『ひゃーっっっ』
すさまじい振動、……たぶん“恨み根っこ”がどこかに出されてそこに転がったのだ。
がらがらがら、と天地が回転する。イスラにしがみついて、僕は丸い根っこの中心で浮いていた。そのぐるぐる回転が、ゆっくりおさまって行き……やがて静止する。ぐわらぁぁぁん…。
「……これは、出た……ね……」
『出たな~……』
僕らは囁きあった。ゆっくり、床部分に足をつけてみる。
「そこの壁を……ちょーっとだけ、解いてみよか? 隙間から外をのぞけるくらいに」
『いやいやモモイ、海ん中やったら水がどばどば入ってきてしまうで。ほんのちょっぴり、指一本ぐらいの穴にしよ。俺がもやもや化して出て行って、その辺りをうかがってくるわ』
「危険やって、イスラ!」
『精霊の身の安全は、そこまで心配せんで良えよ。怪我せぇへんのやし』
ごしょごしょと話しつつ、僕がそうっと壁に触れ、聖樹の杖を構えた時だった。
『危険はありません。出てきてください』
壁の向こう側から、呼びかける声が届いた。
僕らはぎくりとして、顔を見合わせる。
『お二方の身の安全は、白き聖樹の名にかけて保証します。どうか安心して、おいでなさい』
女性のものらしいその声が、聖樹について触れたことで僕は緊張の度合いをぐっと下げた。
「……術を解除して、出てみよか……?」
低く低く僕が囁いたその声に、目の前のイスラが口をすぼめて手のひらをひょいと振る。(=ちょい待ち!)
青いひとさし指が、つっと壁をさす。(=むこうは、)続いて僕とイスラ自身とを。(=モモイと俺と~、お二方ってゆったで?)両手で左右の耳を引っ張った……。(=俺のこと、聞こえるっちゅうことは~)ひとさし指が一直線に、左まゆから右まゆへ、つつーとなぞっていく。(=ディンジーさんみたいな特殊な人かもしれへんでー! とにかくあやしい、ふつうの人間とちゃうわッ)
手ぶりと口ぱくで僕に猜疑心を伝えてきたイスラだったけど、やはりここから出てみないことには何にもならない。
僕は獅子頭の術士帽をかぶり、丸盾を胸にまわし聖樹の杖を右手に握りしめて、ゆっくりと“恨み根っこ”の解除を始めた。僕一人が通れるだけのすきまを開ける、腕二本分ほどの厚く黒い壁の向こうから、ぼんやりとした光が流れ込んだ。水はないらしい。そう、人の声がするのだからともかく海中ではない、どこかの陸上にいるはずなのだ。
イスラがもやもや状態になって、僕の首のまわりに絡む……ちょうど首巻きみたいに。
「……」
僕は少し身をかがめて、音を立てないよう慎重に壁のすきまを通った。
外に出た……と思った瞬間、視界いっぱいに海中の景色、すなわち鈍色のたゆたう水流を見て……僕はううっと声を詰まらせる。
『まだまだ海ん中、やんけーッッッ』
イスラが僕の耳元で、小さく絶叫した……。




