53.青い恋人
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イスラは実にてきぱきしていた。僕の身体を使って、できることをこなしていく。
聖樹の杖の白い灯りで僕の左脚をよくよく調べ、折れた部分が真っ直ぐになって、傷がきちんと塞がっているか確かめる。その上から、念のためにと怪我した膝下を手巾でぐるぐる巻きにして、股引の破れたところを大ざっぱに縫って修繕してしまった。(僕ら理術士は、腰の革製物入れに糸付き針を装備している。)
“恨み根っこ”を更新詠唱して、もう数刻ほどゆるく静かにもつよう、重ねがけするのも忘れない。
「……と言うか、イスラ。ここって、出られないんかな?」
『えー……精霊となって、モモイよりもちょっと耳の良くなってる俺から、残念なお知らせです……』
僕が海竜の前に立ちはだかった時、イスラは既に新兵の身体から出ていて、それで慌てて僕と一緒に“恨み根っこ”の内側へ入った。
浜の砂ごと、地面をえぐるように僕らを大きく飲み込んだ第二の海竜は、すぐに海中へ潜り込んだらしい。サミたちの声、外側の喧騒はすぐに遠ざかり、水中を流れ泳いでいく音しか聞こえなくなった……今のように。
確かに耳をすませば、僕にもこんこんと流れゆく水の音がかすかに聞こえる。
そして飲み込まれた時、完成しかけた“恨み根っこ”のすきまを通った海竜の牙に引っかけられて、僕は左脚に怪我をした。気を失っていたのは長い間ではなかったけれど、もうかれこれ一刻近くも海中をどこかに向かって進んでいるはずだ、とイスラは状況をまとめ上げる。
丸く作った“恨み根っこ”は、僕が長なが寝そべっても大丈夫なくらいには広い。けれどイスラの話を聞いた今、外にいったい何が待ち受けているのかと考えて、僕は少々不安を感じる。
『ま……。ひょっとしたら、ねぐらに帰るのかもしれんし。うまいこと行けば運ばれた先で根っこごと、うんこちゃんとして排出されるやろ。その時に外に出て、きりきり風刃でのしてやったらええやん。モモイはひとまず、休めるだけ休んどきや』
「せやね。そうするしか、ないね」
『モモイの身体があんまり疲れんように、俺はそろそろ出るでー』
「……うん」
少々残念だったけれど、僕はうなづいた。ふわっと不思議な感触がする、背中につばさがくっついていて、それが広がったような感覚とでも言おうか。
次の瞬間、すらりと右脇にあらわれた青いイスラを、僕は見ようとして……ぐらりとよろける。“恨み根っこ”は海竜の体内でゆっくりと揺れていたし、僕はずいぶん血を失っていたから、足元が少々おぼつかない。
「うわ」
『おららららら、無理したらあかんでー』
イスラが両肩を支えてくれて、僕は根っこ地べたに力なく座り込んだ。
『傷は癒えとるけど、しばらく安静にしてなー。……俺に、寄っかかってもええよ?』
そうしかけて、 ……僕は目をばちばちさせた。
「……何でイスラに、触れるん??」
『はっっっ』
がばりと顔を見合わせて、……僕らは口を四角く開け放ったまま、お互いをまじまじと見た。
『なんで……何で、かいな? さっき俺がモモイん中入って、モモイに触れたから……??』
≪歌≫を通して、イスラの姿を見られるようになった時もそうだったけれど、いちど触れることに成功すれば後々はずっと触れられるようになるのだろうか……?? そう言えば、とくに詠唱の声調で呼んでいないのに、イスラの声は全く当たり前に僕の耳に流れ込み続けている……。精霊と人間のつごうは、わからないことばっかりだ。
『夢みとるんやろうか! モモイはっ』
きらきら双眸を輝かしながら、イスラがふるふると青い左手のひらをのばして、僕のおでこにぴとりとあてる。……あてる! 僕も満面笑顔になった。
「熱あるんと、ちがうでっっ」
右の裏拳を、ぴとんとイスラの鎖骨にあてる。……あてられる、……!!
十四年ぶりに、僕ら独自のぼけ突込みの持ちねたを実践できて……僕とイスラは笑うしか、なかった。
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細い水筒の中身をなめるようにして口に含み、干しいちじくをゆっくり噛んで、僕はひたすら回復につとめる。
もう、全く先を悲観してはいなかった。イスラを聞いて見て、触れられるようになった……。イスラを取り戻した僕に、不安材料なんてものはない。何があったって、イスラと一緒なら乗り越えていける、そういう自信が僕の中にあった。もう大丈夫。
ほんのちょっとだけいちじくを噛み、僕の脇で“恨み根っこ”側壁部分によりかかったイスラは、ぽそりと話し出した。
『イスラ君の身体かりて、一匹目の海竜を風刃でこま切れにした直後、やな。あのくそがき留年不良のすぐ近くに、もう一匹の海竜が迫ってんのわかってん。さーっとイスラ君から出て、風になってくそがきをどこか遠くへどつき飛ばしたろ、って思うてんけど。イスラ君も瞬時に気がついて、自分で自分に“防御壁”かけて、あの不良を救おうと走り出してんな……』
「昔いじめられた子を助けに、全力で走るなんて……」
『……イスラ君は、自分に救えるもんは何でも全力で助けるのが当たり前、って思うてるのとちがうかな。ほれ、聖樹のお参りから帰る時に、砂嵐にがち勝負はった時も』
ほんとだ、と思って僕はうなづく。
『十四年前の俺は、危なかったんがモモイやったからこそ、身体はって守るんに何も迷わんかったけど……。それが他の人なら正直、できひん』
する、イスラが僕に顔を向けた。うねる髪のところどころに、小さな星がまたたいて周りをうす明るく照らしている。表情もよく見えた。まるい目を細めて、微妙にすねてるように見えるのは気のせいだろうか。
『けど。モモイはイスラ君かばうために、走ったな?』
「……イスラが、新兵の身体の外に出てたって、わかってへんかったから」
僕は、僕の青いイスラを守るために超絶あせっただけだった。そうでなければ、あんな風にはとうてい切れられない。新兵イスラが危機に瀕していたとしても、だ。
無我夢中で僕に特大級の恨み根っこを作らせたのは、親友……にして恋人をとられてたまるかあんちくしょう、と言うじつに短絡的な反応だった……。そうか。けっこう自己中心的だったのか、僕は……。
「もう絶対……二度と失いたくなかったんや。青いイスラを」
『青い俺を?』
「青いイスラを。イスラは、青い」
『イスラは、青い…… 青いは、イスラ……。まて、何やったっけ? このねたは』
「イスラは、イスラ。僕のイスラ」
言って、つないだ右手に力をこめた。
「はなさへんよ。もう二度と」
ぷふっ、小さく笑いを噴き出してから、青いおばけは笑顔になった。機嫌をなおしてくれたらしい、青い左手が握り返してくる。さかな型、いるかのような尾びれつき後身を、ぽいん!とひと跳ねさせもした。
僕はもそもそ首をのばして、イスラの耳に口を寄せる。そして意を決して、囁いた。
「もう聞かへんて、前に約束してんけど……。ごめん、聞きたいことがあんねんか」
『ええよ……?』
イスラが低く、囁き返してくる。
「イスラが今日、倒した一匹目と……。いま僕らが飲み込まれてる、二匹目の海竜な。頭のとこ、よく見たかい?」
『? ……』
長いまつげを瞬いて、イスラの夜空みたいな瞳がじっと僕を見る。
「そこに、人が乗ってたんを見た?」




