50.君を見はじめる僕
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「おや……。また、わらべと双子だけなのかえ? モモイ隊長はどこ行ったん」
「海岸で散歩です。サミさん、なんで夕方まで昼寝できるんですか? 夜もすごい爆睡なのに」
「……たぶん、もっと」
「のびるんじゃ、ないですか……」
「これ以上たてに伸びたら、着られる服なくなるわ。……にしても、最近モモ君はようけ歩くな~? それに何や、ここのところ妙にやつれて思いつめたような顔しよって。どっか悪いんと違うやろなあ」
「……ここの警護任務がひま過ぎて」
「調子くるってるのかも……」
「そうですか? 俺には隊長、なんか楽しそうにみえるけど」
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いちどその姿を≪歌≫で見いだした後、イスラはごく自然に僕の目に映るようになった。
時々もやもやに戻ったり、物陰にかくれてほんとに見えなくなったりもするけれど、だいたいその青い身体で僕の周囲の宙を泳いでいる。羽織っている砂色の理術士外套は、消えたり現れたり、イスラの意志でどうにでもなるらしい。これを着ていると、第六十三隊や第四十四隊、予備役など他の人間がいる中に見えてもあんまり浮かない。……いや、現実としてイスラは宙に浮いている…。
けれど屋外をゆく時、今のように誰もいない岩場海岸沿いの荒地を僕と歩くときは、それを取って青い風のようになっていた。
のど元、鎖骨のあたりから特に青さが濃くなって、腰から下はまさに川いるかだ。
両肘の辺りから、するっとひれのようなものが……いや、ひれそのものが伸びている。背中にもひと筋、ひれがくっついていた。それらのひれは、なめらかな青い線となって、透けるように宙にたなびいている。
『あのな! モモイ、俺もよう~やく、自分がどないなってんか、わかってんっっ』
見えるようになった次の日、興奮した様子でイスラは僕に言った……。
『この!! 脚を、見よッッ。なんぼんや、モモイ!?』
「二本脚だねぇ! 青くて長くて、先っぽにやっぱりひれがくっついてるッッ」
くるくるくる、その青く長い二本の脚がいきなり絡み合って、おしぼりのようになった。むちゃくちゃ痛いんじゃないのか!
「え、うぇええええ!? ちょっ……イスラ、大丈夫なん!?」
『見とけちゅうねーん!』
と! そのおしぼり脚はなんと一つに溶け合いかたまって、ちょうどいるかの後身みたいになってしまったではないか……!
『じゃーん! これで俺は、空中をらくらく泳げてた、ちゅうこっちゃー!! 大発見やでぇぇ』
「すごーッッ! つか、それ知らないで十四年間過ごしてたんかい、気づきよしッ?」
あんまり寝られなくておかしくなっていた僕と、自分再発見に沸き立ったイスラは、いつもに増して冴えたかけあいをしていた……。
……。
ざあーん。荒地に吹いてきた潮風にのって、イスラはくるりと流れるように一回転した。青い後身がしなやかに、宙に躍る。
『初めて、モモイの目ん中に自分のかっこが見えた時は、ほんまにびびってんけどな~。川いるかのこと思えば、そんな悪くもないやん?』
長い間、イスラは自分の姿が見えなかった。鏡の前に浮いても、水甕をのぞき込んでも、映るものは何もなかった、と言う。僕がイスラを見たあと、ようやく自分の手のひらの青さを知ったらしい。
「すごいきれいやて。僕は言うてるやん」
『はっはー』
本心から言った僕に、イスラは笑ってみせる。
蜜蝋のにぶい灯りの下でも、朝の白い光の中でも、夕陽に照らされても、僕の目に青いイスラの姿は美しかった。いつまでも見ていたい、どうしても視線で追ってしまう。その辺の僕の気持ちを、イスラはわかっているのだろうか。黒い瞳がやさしく僕を見返してきた。
『きゃーおばけ、ってモモイにどん引きされとったら。それこそ俺の消えどきやったかもしれん!』
「そんなことしたら、追跡の術つかって全力で追っかけるよ」
『……足跡ないのに、どないして追うねん?』
「ん~……。とにかく消えたらあかん。僕といたってや、ずっと」
くるくるん、宙に立ち泳ぎ状態でイスラは僕の右脇にとどまった。僕も歩みを止める。
『……こんな日が来るとはな。ほんまに俺、果報ものっちゅうか……。しあわせな精霊なんてのは、妙で話にも聞いたことないな』
青く長い指で暗色前髪をかき上げながら、僕でなく海の方を見つめるイスラが低く、かぼそく言う。
『……新兵のイスラ君が来るまでは、モモイの側にそぅーと居って。モモイを見て、モモイが他の人と話すのを聞いてることしかできひんかった。モモイは戦線で詠唱して、つかれた顔して眠って、……また起きて詠唱して……。それをずーっと繰り返したモモイがいつか除隊して、すてきなお嫁に会うん見届けたら、子どもいっぱい生みよしって祝福して、そいで……どこか行って。モモイの前から消えよと思っとってん』
「そんな未来は、いらないよ」
ちょっと怒った声が出てしまった。
「僕はイスラと一緒がええよ」
ざー、と潮風が吹き抜ける。
その実はイスラが、そうっと抱きついてきていた。長い両腕を僕の背中にまわして、たぶん下ろした髪の中に指を入れている……感触がないから、ただの予想でしかないけど。
僕の右肩に埋めた顔も、僕の右頬にふれているはずのうねうね暗色髪の感触もなかった。ただ、温もりだけが僕に伝わる。
自分は欲張りなのだと思う。イスラの声を聞けるようになり、イスラの姿を見られるようになった今、僕はイスラに触れたかった。思いっ切り抱きしめて、確かめたいことがたくさんある。杖を持った左手と、広げた右手をイスラの背中にあてて、形だけでも抱きかえした……。と思った瞬間、イスラはもわりと青いもやもやになってしまう。
『ありがと、モモイ。今は俺も、そう思うとるよ!』
「……。いちじく、食べよか」
『おおう?』
僕は外套の隠しから、いちじくの実を二つ取り出した。昼食時にもらっといたやつ。
「はい」
右手にのせたいちじくに、青いもやもやイスラがふわりとかぶさって……。
ふくよかな緑色の花果は、ふいっと姿を消した。もう一つの実を、僕も口にする。
『うまーい』
「やっぱりちょっと、潮の味するよねー」
ディンジー・ダフィルが教えてくれたことの一つ。
精霊は基本、人やものに触れるということはない。生命は生命だが、人間や動物とは異なる生きものだから。
しかし人間に“贈られたもの”を食べることはできる。これを、イリーや東側世界では≪お供え≫と呼ぶが、このお供えものを通して人間に近くなっていくことがあるらしい。だから、お供えを食べ続けて貫禄をつけた精霊は一般人にも見えやすく聞こえやすくなり、色々とその手伝いをすることも可能になるのだと言う。
≪この辺は、個々人……個々精か、それぞれ違うけど。まぁ地道に続けたら良いことあるかもしんないよ! 人間どうしが仲良くなるのに、おいしいもの一緒に食べるのとおんなしでさぁ≫
若き声音つかいは、そんな風に言っていたっけ。
……かくしてイスラは、十四年ぶりにものを食べ始めた。僕がそうっと取り分け、お裾分けする食事の色々を、『うひょ~』『うま~』と、感慨深げに食べている。
『なつかしい甘さや! お腹へるっちゅう感覚は、もう忘れてんけどなー。やっぱし俺もティルムン男児や。いちじく、うまー』
「施設の売店で買っといた、飴もあるよ」
『……おやつ携帯の隊長、て……。芸風かえるんかい、モモイ?』
何を言う。誰かと近しくなりたい時に飴をもちいるのは、ティルムン創生以来のうるわしき伝統じゃないか。




