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49.イスラにうたう≪海の挽歌≫

 

・ ・ ・ ・ ・



 次の日は午後の非番時間を使って、僕は≪歌≫に挑んでみる。


 第六十三隊の皆にはひたすら散歩と言い、見えないイスラと海辺の岩場海岸沿いをゆく。西方の浜には今日も研修兵たちの列が小さく見えるけれど、声までは届かない。海からの風にまぎれ、僕の声も向こうには聞こえないはずだった。



――ディンジーさんは、ああ言っていたけど……。



 僕は、歌わない。


 ティルムン人はそもそもあんまり歌わない。人気があって親しまれているのは、各種の笛や打楽器だ。これまでの人生、僕は音楽とあんまり接点がなかった。


 同じ声を使うものでも、理術の詠唱は歌とは全く違っている。


 ……とにかく、何ごともやってみなければ始まらない。僕はティルムン国歌を歌ってみた。ものすごくまじめに歌ったけれど、イスラの姿は見えなかった。



『いや~、詠唱で鍛えとるだけあるな! モモイってば、めっちゃ良え歌声やで! しびれるぅー』



 おちゃらけているのか本気なのか、イスラが応援のあいの手を入れてくる。けれど気合を入れても強弱をつけまくっても、イスラを見ることはできなかった。やはり国家への忠誠心では、恋を見るご利益はないらしい。



「うーむ……。他の歌を試してみよう」



 ちょっと昔に流行した歌をいくつか、口ずさんでみた。恋情をのせた歌詞にもかかわらず、ことごとく全滅。イスラは見えない。


 もう、知っている歌という歌を片っ端からうなってみたが、どうにもだめだ。やっぱりイスラを見ることはできない。


 しまいには、見えないイスラと一緒に幼児用の数え唄を歌って、笑い転げた。



「だめだこりゃ。喉が枯れちゃうよ、ちょっと休まないと」


『あはっ。ま、道は長いんやし! ぼちぼち行こや、モモイ』



 それでもイスラは、朗らかに楽しそうにしている。……たしかに、こうやって歌うのなんて子どもの頃以来だし、たのしいことは楽しいのだ。そうだ、錬成校の休暇中なんかにも、遊びながら僕らは二人で歌っていたんだっけ……。 ……休暇……。



「ね、イスラ。ちょっと一人で、特訓しよかと思うんやけど」


『ほほう? ほな俺は……あー、そうや。ディンジーさんがほんとに旅立ってしまったんか、西の集落むこうまで、ちょっくらぴゅーと吹いて見てこよ』



 ふわっと風が僕のまわりをめぐって、イスラの気配が遠ざかる。


 一人、岩まじりの崖道に立ち、……僕は目を閉じた。


 まだ、そんなに昔の話じゃない。音の記憶をたぐる、手繰たぐる、……たぐりよせた。


 僕は目を閉じたまま、口をひらく。


 頭の中にのこる音をたどり、そして自分の声で再現してゆく……。


 一回聞いただけでは覚えることはできない。けれど僕は幸運にも二回聞いたその歌、意味を知らないその言語でつづられた歌を、自分なりに織りなおした。



 ♪ 私ハ貴方ヲ 想イ呼ブ


   涙ノ中ノ 海ニ呼ブ


   貴方ノ眠ル 海ニ呼ブ


   涙ノ温モリニ 貴方ガイル



「……」



 やはり意味はわからない。けれど僕には伝わってきた……。


 これを歌った時、イスラのお婆さんは亡くしたイスラのことを想っていたはずだった。


 だからこれはイスラの歌。イスラを想うための歌なのだ、と。



・ ・ ・



 その夜、厳重に“音ふせぎ”の術をかけた自室内。僕は寝台の一つに腰かけ、深呼吸をした。



 ♪ 波に抱かれ 眠る貴方


   永遠に生きる 貴方は此処



 僕にも、イスラにも、外国語としての東の言葉で僕は歌う。


 意味はやはりわからないまま、けれど僕はイスラを……ひたすらイスラの存在を想いながら、その音を紡いだ。


 もう一つの寝台の上あたりに、僕の大事なイスラは確かにいる。膝にのせた僕の右手、歌う僕の右手は温もりに包まれていた。



 ♪ 私の中の 海にいる


   私とともに 貴方は在る――



 悲しくて、切なくて、いたたまれない痛みをゆっくり明るみに向かわせるような……。その美しい旋律の断片を、僕はゆっくり歌い上げた。終えながら、自分の前をじっと見つめる。



 そこにわずかな、青み・・がさした。もやもや、ふよふよ……。


 青みがかったそのもやもやが、しだいに人の形をとってゆく。僕はまばたきも、息も止めて、そのさまを見守った……。



 それは。


 そこに、僕の右手を左手に握って正面に腰かけているのは。


 少年ではなくて、僕と同年代の……僕と同じ長さの時間を越えてきたはずの、イスラだった。



 青い。明らかに人間ではない。髪に肌に身体じゅうに、ところどころ青く白く小さな輝きがまとわりついて、ちらちらしている。


 けれど青じろい顔にのっかったどこか自信のなさそうな表情、黒い瞳、うねる暗色髪は、まさしく僕のイスラでしかない。



「イスラ……」



 僕同様にひょろんと長ほそめの体型、理術士外套に見える砂色外套を青い身体に巻き付けるように着ているイスラは、うつむいていた顔を上げた。いつか一緒に見た、夜空みたいなまなざしが僕を見る。



『ん~? めっちゃ良かったで、モモイ!』



 やさしくて、なつかしくて、限りなくここち良いあの調子とのんきな笑顔で、イスラが応える。



『もういっぺん聞きたいなぁ。いや、ずーと聞いてたいな!』



 イスラが。イスラが。青いイスラが、笑っている!!


 僕はこの瞬間まちがいなく、僕の生涯でいちばん美しいものを見た。


 見はじめた。


 ずっとずっとずっと、探していることを知らずに探し続けていたもの。



「きれいだよ、イスラ。すっごく」



 まぬけづら全開で、僕は言う。他に言えることなんか見つからない。


 丸っこい瞳をさらに大きく見開いて、イスラは僕をまっすぐ見つめる。その中にはっきり、僕のどうしようもない平和まぬけ顔が映り込んでいた。



 イスラは顔色を変えた。紅潮じゃない、青いのだから。けれどほっそりした頬が、みるみるうちに動揺と照れ・・の色に染まってゆく。



『……俺が見えるんか? モモイ……ほんとに?』


「うん、見える。ほんとに、すっごくきれいだよ。イスラ」


『こ……これは困った……。どないしよ』



 焦りまくり照れまくり、きまり悪そうに目を伏せてしまったイスラの頭、耳の上あたりに僕は左手をのばした。うねうね暗色髪を指にくことはできなくて、僕の左手はやはりもやもやとぬくもりに触れただけだった……。



「何もどうも、しなくってええよ。そこにいてくれるだけで……。イスラ」



 自分自身がちらちら青く輝いているくせに、イスラはまぶしそうな目つきで僕を見る。


 ぎゅうっとその目を閉じ、唇を引き結んで、涙をこらえるあの表情になった。


 僕の左手の上に、長く筋ばった青い手のひらをかぶせる。



『モモイ』



 性格もまぬけな僕はこの時はじめて、美しいなにかのとりこ・・・になる、という事態を知った。


 ……と言うより、この青いイスラ以外に欲しいもの、必要なものなんて僕には何もないと言うことを、今さらながらにようやく理解した。



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