48.声音つかいディンジー・ダフィル
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「はい、おしまい」
ぱちん、と指を弾きならすような言い方で、ディンジー・ダフィルが物語をしめくくった。
いきなり始められた物語りに否応なく引き込まれて、……しかし聞き終わった僕は茫然としていた。
「……これは、人間が精霊になったっていうすごく旧い話なんだけどね。何とか、その流れをわかってもらえたかなーぁ」
『……死んだ人間の身体から抜け出た魂の、……そのまた中身が精霊になる、ちゅうことかい……?』
イスラが低く問う。
「そう。魂のなかみのことは、≪心≫っていうのね。こっちのティルムンの言葉で言ったら、記憶……に近いのかな~。その人自身であって、他の何かではすげ替え不可能なやつよ。たいていの場合は、たましいと一緒に遠くへ行っちゃうんだけどね。このお話みたいに、たま~に! ぽこん、となかみが出ちゃって、この世に居続けることもあるの。それが精霊。そいで基本不滅なもんだから、いろいろ暇つぶししながら、摩訶不思議なものに変貌していくわけねー」
「……不滅……?」
「精霊はかぜ引かないし、怪我もしない。人間みたいに時間の影響を受けないから、おなかも空かないし大小も出さない。ずーっとそのまんま、ぶっちぎり好調で居続けることもできるわけよ」
――ああ、滅びない……は弱らない、敗けないという意味か!
精霊がある意味すごく強いもの、という感覚は僕にも実感できる。疲れないイスラがつむじ風になって、隊員全員を持ち上げて運ぶのをみれば、大いにうなづけた。
『……そいじゃ、ディンジーさん。その辺ぜんぶ当てはまってる俺は、やっぱし精霊になってもうたんやね……?』
「うん。東の人間の感覚だと、そうね!」
ディンジー・ダフィルはうなづいた。
「そいでね、あなたが何でかのりうつれちゃった男の子って言うのは……。ゆうべ一緒に来てた、あの若い理術士のことでしょう? よく似てたし、親戚筋の子なんだよね?」
『そう、いとこやねん。名前もおんなしイニーシュラ、略してイスラ君や』
うんうんとうなづいて、ディンジー・ダフィルは何気なく言った。
「おんなし魂だからね、やっぱり入りやすいんだと思うよ。 ……わーすげぇ、二人とも目ん玉が点になる、そのなり方がそっくりぃー」
イスラにまつわる謎の中でも格別不思議だった部分を、ディンジー・ダフィルはやはりこともなげに話してきかせた。
……曰く、僕のイスラの≪心≫を残して彼方へ去ったその魂は、あらたにこの世に還ってきて、新しく生まれた新兵イスラの身体に宿ったのだろう、と言う。
「さっきの女精霊の物語の中でもそうだったけど、人の魂ってね……、血縁関係の濃いとこに還って来やすいのよー。顔かたち以上に仕草や話し方が知らないはずの故人みたいだったり、何となく似たような筋書きの人生おくったりするのも、その辺がたぶん原因なんだろうね。まあ入れ物が同じっつっても、中に入ってる心は別ものだから、他人ってことは変わんないけど」
左から右へ、まっすぐ一本に太々と走るディンジー・ダフィルの立派な眉毛を見つめながら、僕は自分の眉にもつばをつけたくなった。
信じがたい話だけれど、……でもそれなら説明がつく。僕の隣のイスラも、納得したようだった。
『そっか……、せやったんか……。ほいじゃやっぱし、俺は精霊決定、と……。けったいな気分やなぁ。お話の中の精霊ってな、恐ろしい化け物ばっかしやん……。俺もそのうち、ああゆう感じになってしまうのやろうか? ディンジーさん』
「それは偏見ってやつだよ~。ほとんどの一般精霊は、いいひと達なんだから」
ひらひらと大きな手のひらを振って、ディンジー・ダフィルは言う。
「もうすでに、十四年間の精霊実績があるあなたに、今さら言うのも何なんだけど……」
よく聞く怪談の中で、精霊は人間の身体や魂を食べてしまうけれど、別に食べたからっていいことが起きるわけではないからやめとけ。基本的に生身の人間は精霊を見ることはできないから、どこでもそーっと静かにしていればやり過ごせる。使役されるのが嫌なら、精霊つかいにだけは喧嘩をふっかけてはいけない、云々……。
東部出身の精霊ならたいていは知っているであろう基本知識を、ディンジー・ダフィルはイスラに授けてゆく。
「……どうしよう。精霊にむかって、お作法の指南しちゃった……」
「あのう、ディンジーさん。あなたは、イスラの姿が見えるんですよね?」
僕はおずおずと聞いてみた。
「うん。ぼんやりとだけど」
「どうやったら見えるんですか? 僕はイスラが見たいんです」
ディンジー・ダフィルは小首をかしげて、……少し迷った様子をしながら言った。
「……俺は、ちょっと生まれが特殊でね。耳と声が変だから、その変な耳で聞いてみてるの」
僕はきょとーんとするしかない。
「だから、モモイさんに同じことをしろって言えないんだけど……。けどあなたは、ことばの力……理術の力を使って、イスラさんの声を聞いてるわけだから……。うーん、そうね、声がいけるってことなんだな多分。 ……歌ってみたら?」
『うた』
「歌?」
「その辺すでに、良い二重唱ね。俺は本業にしてるわけだけど、誰だって自分の声に力をのせることはできるのよ。だからさ、モモイさんも何か得意な歌を選んで、それをイスラさんに贈る、ってつもりで歌ってあげたら? 見えてくるかもしれないよ」
歌を贈る……。僕にとっては突拍子もない提案だ。まぬけ顔で戸惑う僕に微笑しながら、ディンジー・ダフィルは続けた。
「イスラさんも歌も、どっちも見えないけど確かに在るものでしょ。見えないものは目でみない。歌にモモイさんの心をのっけて、歌で触れて見るんだよ。ほんとにそのひとを想って、見たいと思うんなら。見られないものはない」
ディンジー・ダフィルの、少し切れ長の瞳……。やさしい蒼い双眸が、暗い中でもはっきり見てとれるのが不思議だった。
「あなたがそれを願う限り、全ては可能なんだ」
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その後も、ディンジー・ダフィルと僕らは多くを話し、若き声音つかいは様々なことを教えてくれた。自身のことも、少し話す。
すさまじく頑強そうな筋ばった体つきと、深みのあるしゃべり方のせいでわかりにくいけれど、彼は実は僕よりも若いらしかった。
深奥部とよばれる東部大半島の東の最果てに生まれ育ち、語り部・声音つかいとして一応の修行を終えたので、外の世界を見に出て来たのだと言う。
「家族のみんなには止められたんだけど。やっぱほら、気になるじゃな~い?」
家出同然で東部を飛び出し、イリー都市国家群を歩き渡り、船に乗ってティルムンへやってきたディンジー・ダフィルは、沿岸づたいに小集落をたずね歩いて、老人たちに旧い話を物語ってもらっている、と言った。
『俺は本の虫やったけど。ディンジーさんは、話の虫なんやね!』
イスラは、ディンジー・ダフィルにだいぶ打ち解けているようだった。
「そう、読むより聞いておぼえる派の俺なので。こっちには不思議な話、知らない話がいっぱいあるし、やっぱり深奥部から出てきてよかった、って思うよー」
それにしても、彼の話すティルムン語は本当に正確だった。表現自体はティルムン/イリーと共通で使える話し方をしているが、抑揚は完全なる上方ティルムン調。声だけ聞いていれば、外国の人とは絶対に見破れない。パンダル君とロラン君が時々苦戦していたこの違いを、やすやすと越えている……。これも≪声音つかい≫の能力の一つなのかもしれなかった。
ディンジー・ダフィルとイスラの声が折り重なる中、僕にはふいとぼんやりする瞬間が何度かあった。……あれ? ……そして実際に経過した時間と言うのは、僕が感じたよりずっと長かったのかもしれない。
「……だいぶ、夜も更けたね。そろそろ帰らなくって、大丈夫?」
でっかい手で中空を指さしながら、ディンジー・ダフィルが言った時、僕ははっとして、時間の感覚を取り戻す。
「本当だ、もう月があんなところに……」
『俺と、モモイが聞きたかったことはぜんぶ教えてもろたしな。おおきにありがと、ディンジーさん。ほな俺、精霊としてうまいことやってけるよう、がんばるわ』
「うん。あなたならね、きっと物語にのこるすてきな精霊になれると思うの。どうか二人で、仲良くしあわせになってね。応援してるし」
この人は僕ら二人がどういう仲なのか、わかっているのかな……と僕は首をかしげる。
不思議な力を持っているし、そのくらいはお見通しなのかもしれない。僕は座っていた平べったい岩から、腰を上げた。
「……また、会えますか。ディンジーさん」
若い声音つかいは、優しい笑顔のままでふるふると頭を横に振った。
「そろそろね、ここの村も発つつもり。いつかまたどこかで会えたら嬉しいけど、今はさよならです」
「……そうですか。本当に、ありがとうございました。あなたに教えてもらったこと、忘れません」
『旅の無事を、祈っとるよ』
僕の聖樹の杖の先端が、白く輝く。
「いざ来たれ 群れなし天駆ける光の粒よ、高みより高みよりいざ集え 集い来たりて 此処に留まりし憶えをば空に放て」
高速詠唱、“若年性もの忘れ”の術をディンジー・ダフィルにかける。きん、と煌めいた光の真円が彼の頭上に浮く。今夜僕らと話したこと、いや僕らと出会ったこと自体を全部、僕は彼に忘れてもらうつもりだった。
「――ッッッ」
しかし、にかっと笑った彼の大きな口から何かが飛んだ。
あかるい炎のような、灯色のすじがディンジー・ダフィルの頭上の白い新円とぶつかって、両者はけむりのように消えてしまう。
「……」
「水くさーい、なぁ。忘れさせる術なんて、かけないで。心配しなくっても、俺だれにも言わないよ……。あなた方ふたりのことも、あの男の子を助けたことも」
僕は何も言えなかった。
正規理術士の施術を、正面切って解除あるいは無効化できるのは、同等以上の理術士だけのはずなのに。この人は、いったい……。
「……ごめんなさい」
やっとそれだけ、僕は言った。
「いいんだ。あなた達のこと、忘れたくないんだよ。……俺、憶えているからね」
イスラの風に乗って帰る僕に、彼はずうっと手を振ってくれていた。
とてつもなく、おかしな人だった。変人サミといい勝負、 ……どころかずっと上手かもしれない。けれど賢い人であり、悪い人ではないと確信できた。僕らにとって都合の悪いことを、他のティルムン人に吹聴するとも思えない。何でも知っていそうな彼は、将来賢者と呼ばれるおじさんになるんじゃないのか、と僕はふと思う。
『……いい人やったな』
イスラが囁いた。その姿は見えない。うしろに透ける夜空……濃い藍色の闇の中に浮かぶ星々だけが、僕の目に入って来ていた。
そう。そして彼は、僕ら二人の幸せを願ってくれた。そういう人が世界に一人いると言うのは、どこか嬉しい。
ディンジー・ダフィルが教えてくれた多くのこと、……それを手掛かりに探索を続けて行けば、僕は願いを実現できるのだと思う。休暇中、聖樹に願ったあの未来を。
――イスラといたい。ようやく取り戻せたイスラと、僕はずっと一緒に在りたい。
明かりの落ちた施設の陰にすとんと着地して、僕は溜息をつく。
「……だいぶ遅くなったね。今日はもう、休もう……」
そう僕が言いかけた時、イスラがひゅっと息をのむ音がした。
『あかん! ディンジーさんに、聞くの忘れたことがあったッ』
僕はどきりとする。
「え、何?」
『……あの、左右いっぽんにつながったまゆ毛の謎を聞かんかったぁ……! 天然でもともと一本なんか、すごいがんばってつなげたんか。聞きそびれてもうたわー……どないしよ!』
「そこかいッ」




