43.僕を忘れて、還り来た君へ
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第四十四隊の体面隊長の言う通り、詠唱の声調と身体をなまらせないようにしなければ……と思うほど、暇な半日の過ぎた後。
僕ら第六十三隊は、基地内食堂でおそい昼食を済ましたところだった。
「わらべや。白湯のおかわり、もらってきてー」
実に鼻持ちならないたかびしゃ態度大全開にて、サミが言う。
「はーい」
新兵イスラは素直に席を立ち、空の湯さしを持ってひょいひょいと配膳台の方へ行った。
「何や、しょっぱいいちじくやねんなー。強い潮風あたって育ってるせいか。地ものかえ?」
大鉢に盛られていた紫筋のいちじくを、ばくばく食べつつサミが言う。何個めだろう。
「サミ。三つ以上食べると、口ん中がとけるよ」
「知ってるっちゅうねん、もう」
ふがふが言うサミの正面、並んで座っていたホノボ兄弟の顔がふいに引き締まった。いや平生から引き締まっている二人だけど、さらにと言う意味。双子が僕の背後を見つめたのに気づいて、僕も肩越しにそうっと振り返った。
配膳台のずっと端のほう……食事や飲料を取り分けている予備役たちがちらほらいる中で、新兵イスラともう一人の少年兵が、何やら話し込んでいる様子である。研修兵だろうか?
「……いざ来たれ 群れなし天駆ける光の粒よ」
「高みより高みよりいざ集え……」
「集い来たりて 我が耳に蝙蝠の歌を宿せ」
ホノボ兄弟と僕は、すかさず盗み聞きの小術“じごく耳”をかける。サミがすすっと顔を寄せて、ささやいた。
「モモ君、うちにもかけたってや……」
めんど臭い変人だ。
「……飛び級した時とおんなじで、上司のおっさん達にこびこび売ってんだろ?」
理術士の外套を着ずに麻衣姿、新兵イスラより少し大きいその少年は、薄笑いを浮かべてイスラを見下ろしながら低く囁いている。からかいながら脅すような、いやな表情と口調だった。
「皆、知ってんだぜ、お前ってあれなんだろ? 男好きの病気」
僕以下四人は息をのんだ。しかし次の瞬間、新兵が鼻で笑う。
「いいや。病気どころか、俺すごい元気だけど? それに皆知ってるっていうけど、お前が留年したってことも、やっぱり他の子らは知ってんの?」
……がらの悪い少年は反論しない。にやりと笑って、両腕に空の鉢容器を重ねて抱え、厨房の方へと消えた。新兵イスラは肩をすくめて、やかんから白湯を湯さしにうつし始める。
「……何や。研修兵の中に、知り合い居ったんやんけ」
「友達ってわけじゃなさそうだけどね……?」
「えらい剣呑やってんな?」
サミと僕がもそもそ言い合い、ホノボ兄弟がもさもさうなづいていると、新兵が卓子に帰ってきた。
「学校に入ってすぐの年に、同じ級だったんです。俺は飛び級したし、向こうは素行不良で留年しちゃったから、その後ぜんぜん顔も合わせてなかったんですけど」
すました顔でサミの湯のみに白湯を注ぎながら、新兵は言った。彼もまた“じごく耳”を使っていたらしい、僕らのもそもそ話なんかお見通しなのだ。
「は? 素行不良?」
僕はちょっと驚いて、素で聞き返してしまった。
成績不振だとか、試験で大失敗をして留年した……という子は、理術士錬成校に割といた。けれど、行いが悪かったせいで進級の機会を失くした、というのは珍しい。初めて聞いた気がする。
「……どないな悪さをしたのだえ?」
いかにも興味津々の様相で、サミが身を乗り出して聞いた。おそらく自身に留年の経験があるから、他人の黒歴史が気になるに違いない。
新兵イスラは、もわーりとまとわりつきかけたサミの巻き巻き金髪を、実に自然な動作でひょいとかわす。僕のそばに立って、湯のみに白湯を注いでくれる。
「女の子相手に、かなりひどいことしたらしいです。詳しくは知らないけど」
「……」
「何やそれ、十一かそこらで……?」
理術の使い方自体はうまいらしいが、とにかく周囲にいる者に当たり散らし、傷つける言動ばかりしている生徒なのだと言う。
そう言った時に、新兵イスラの表情が苦々しくゆがんだのを、僕ははっきり見てしまった。つまり新兵イスラ自身にも、そうやって彼に理不尽に傷つけられた経験があるのだ……きっと。先ほどのように陰湿な言いがかりをつけられ、いじめられていた可能性だってある。
「げー、先が思いやられるな。しょうもない正規理術士になるんが決定しとるやん……」
別の意味で芸術的にしょうもない、やしの木変人がうめいた。
ハガティ、ラガティ、自分の湯のみと次々手際よく白湯をついで、新兵イスラは席につき直す。
「……今もたぶん、厨房手伝っているの。あれ罰なんじゃないのかな……。研修中に、教官を挑発したとかで……」
「は~、そいで片付け皿洗いかえ! なるほど、せやったな~」
サミが長い鼻の頭にしわを寄せる。やはり実経験があるらしい。
「あんなのと一緒に半月なんて。相部屋の子がかわいそうだ」
ずずー、と妙にとしより臭く湯のみをすする新兵に、皆少なからず共感している。
ただ僕だけは、別のことが引っかかっていた……。喉の奥の方に深く、ふかく。いや、さっき食べた魚の小骨とかではなくって。
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その日の夕方。陽が傾きかけた頃、暇つぶしの真骨頂である数札遊びにぎんぎん没頭している第六十三隊の四人を塔に残して、僕は散歩に出ることにした。
だいだい色の光を照り返す浜辺から、一列になった研修兵たちが、こちら基地施設にむかってぞろぞろ歩いて来るのが見える。
塔の出入口から屋上を振り仰ぐ。そこにいる午後当番の第四十四隊も、じきに監視を終えて降りてくるだろう。僕は東よりの浜、岩場のごつごつした方へ歩く。
「イスラ」
誰の耳も、“じごく耳”も届かなさそうな辺りへ来て、僕はその名を詠唱の声調で呼ぶ。
風が出ていた、……けれど僕らの声はその小さなうねりに全く遮られない。右肩口で、イスラの声がはっきり答えた。
『モモイ』
僕は束ねていた髪を解いた。もう一度まとめ直そうとして、何となく手の中に紐をこねくり回す。
聞きにくかった。
「……今日の昼、留年した子が新兵イスラにつけてたいちゃもん。聞いてたろ」
『……うん』
「それで……、ここに来る前に、イスラが言ってたこと。教官に目をつけられてたのかも、って心配してたよね……。もしかして、そのことで本当に心配になってたのかい?」
僕はまぬけであるからして、気がまわらなかった。イリーと東部の血が濃い優等生、としてイスラが監視されていたのかもしれない、とは考えた。けれどそのもうちょい先にある要素……と言うか可能性については、深く考えが及ばなかったのだ。なぜなのだろう、本当にどうして。今日、新兵イスラが旧知のいじめっ子にやっかみ半分の言いがかりをつけられたことで、初めてはっと思い当たったのだ。
ふ~~…… ……風と一緒に、鼻からついたらしき溜息が流れ聞こえてくる。
『その、とおーりやねんか……』
だいぶ間を置いてから、白状しますという感じでイスラが言った。
「……不安に思うんなら、早く話してくれればいいのに」
責めないように責めないようにと気をつけながら、僕はそうっと言った。
この辺、親友は変わっていない。問題があれば、まずは一人で解決してしまおうと抱え込む。その負担の重さに疲れたりしょげたりしているのを、僕は近くで見てよく知っていた。それを本当は助けたいのに、できない自分がもどかしくて押し黙ったり、後ずさりするしかできなかった……あの頃は。
そして今、思い悩んでいるイスラを見ることは、僕にはできない。けれど見えなくても、うまいことを何も言えなくても、力になりたいという意志を伝える術を、現在の僕は少し学んで知っていた。
右肩の上あたり、イスラがいるとおぼしき所へ、右手を上げてあててみる。
思った通りに、そこが温かくなった。イスラはそこに、僕のすぐそばに確かにいるのだ。
ざあん…… 岩に砕け散る波音は遠い。
『……あのな。実はな。 ……俺が海竜ごと、身体をなくしてしまう前にな』
普段は割と高めの声を相当に低くして、ようやくイスラは話し出した。いきなりあの日のことを持ち出されて、僕はどきりとする。右手のその周りは、ますます温かい。緊張したイスラが見えない左手、その利き手で握りしめているのかもしれない。
『俺らの研修な。あれ宿舎が、モモイと同室やったやん』
「……? そう、やったっけ……?」
『冷静装っててんけど、ほんとはも~、心臓ばっくばくや。隣でモモイがふうすか寝てもうても、俺は目がさえて冴えて眠られへん。ようやくちょろッとまどろんで、その後も夜明け前に目が覚めてもうて。ほいでそうっと寝床でて、毛布ん中に丸くなってるモモイのおでこ、触ってん』
ぷっ、僕は思わず笑った。
僕のおでこはなめらかで広大だ。まぬけな太平顔の中でも、特に平和な部分である。イスラはしょっちゅう触っていた、ねたとして。
『……おでこ触っても、やっぱりふうすか寝たまんまやから……。大丈夫かな、と思うて。 ちゅうしてん』
僕は点になってしまった目を、ばちばち瞬いた。
『どっきどっき最高潮で、めちゃくちゃ興奮してな。あーもう、俺このまんまつぶつぶ崩壊して消えてなくなってもええわ! て思った瞬間、モモイが起きて≪イスラ≫言うた』
「……」
ざわー……風が吹きすさぶ。僕の髪はざんざんばらばら、それに流されて後ろへたなびいた。
『目ーあわして……、すんごい近いとこで、その目ぇ丸くして。ほいできょとーんと、≪なんで?≫て聞くねん。モモイが』
「ぜんぜん全然おぼえてないよ……??」
イスラが夢に見たとか、小説で読んだ話とごっちゃにしてるのではないか、と思えた。本当に、僕にそんな記憶はないのだ。
『うん。俺が記憶けしたから』
「……」
『すぐそこにあったモモイの杖使うて、“若年性もの忘れ”の小術かけてん。せやからモモイは、その時の俺のこと、忘れたはずなんや』
――……僕がイスラのことを、忘れていた……?
『けどほれ、記憶封じの術は……。基本、不安定やろ? 何がきっかけでモモイが思い出すかわからんから。とりあえず術かけるんに使ったモモイの杖と、俺の杖をすりかえて持っとった』
「……だから、聖樹の杖を……!」
――とりかえたのは、そのためだったのか……。
『うん。……モモイが≪なんで≫て聞いた時の俺は、とうてい答えられへんかった。ほんとのことを話したら、モモイはいっぺんに俺のこと嫌いになって、ほいで永遠にさいならすることになるんやないか、て不安で胸がいっぱいやったから』
右手を覆う温かさが、いっとき押し黙る。ふるふると震えているようだった。
『……男のモモイに、こういう気持ちもつんはおかしい、て。ずっと自分で自分がぎくしゃくしててん。けれど自分のなかの自然は、どうしたってモモイのことしか想えんかった……。病気どころか、モモイのこと考えれば考えるほど、俺ってば元気になるしな? だから俺は、自分は実は人間でなくって、ばけもの怪物なんかなとも疑っとって……』
「イスラは怪物なんかでないよ」
僕はイスラの言葉をさえぎった。
「病気っていうのも、それは他の誰かが勝手に言ってるだけやし。病気とか怪物とか、イスラは全然そんなんと違う。イスラは僕の大切な、大事な僕のイスラだよ」
僕はまくしたてた、何だかおかしくなりつつあるティルムン語で。
研修に行った頃の僕は、イスラと違って本当に子どもだった。だから驚いて≪なんで?≫と聞くしかなかったのだと思う。けれど誓って言える、それでイスラを嫌いになるなんてことはなかったはずだと。
そして今……、十四年間のイスラの不在を越えてきた今の僕には、答え方がわかる。
と言うか今わかった。
よくわかった、道理論理はどうでもよくって、僕の中の自然がぱかっと――閃いた。
首をだいぶ伸ばして、右肩上……かかげた右手の周りのもやもや温みに、僕は顔を埋める。
『……どうしたん、モモイ? ……顔すりつけて、おひげの剃り跡がかゆいんかい?』
素……。
「……ひとが意を決して、まじめに接吻してんのに。ここはぼけるところじゃないよ」
『はっ……そうなん? ええっと、えらいすんません、 ……、……ちゅう』
唇に、閉じたまぶたに、頬に鼻におでこに……イスラの温かさがふれる。あふれる。
僕は少し泣きそうになっていた。そんな大事なことを、ずっと忘れていたなんて。
『そうゆう俺を、忘れてたモモイがかえってきたら……また声をきいてくれるようになったら、必ずちゃんと言い直そと思うとった。十四年間』
頭ぜんたいが、抱きしめられている感覚。
包みこむ温もりにさえぎられて、波の音も風の音も耳に入らない。ただイスラの声、緊張しまくって……でも奥底で力強く響くあの声が、僕の耳元ではっきりと告げた。
『俺を忘れて、還り来たモモイへ。俺はモモイのことが、この世でいちばん、最も惜しい。俺はモモイが、いっとう好い。いつまでもモモイに名前を呼ばれたいし、モモイの名前を呼び続けたい』
もやもやイスラに抱きつかれたまんま、僕は笑ってうなづいた。
「イスラ」
『……モモイ』
そうだ。僕もずうっと、イスラの名を呼ぼう。それが一番自然で最善なんだと思う。
……だって今の僕は、イスラの名を呼びたいのだから。
「イスラ」




