42.きれきれイスラ、風になる
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研修兵警護の任務は、実に楽な仕事だった。
第四十四隊は隊長よろしく嫌な人々ばかりだけど、交代の時に言葉を交わす時だけ我慢すればよい。ちょろい相手である。
砂と岩の入り混じる浜辺で、少年たちが列を組んで歩行と詠唱を繰り返すのを、塔の高みから見ているだけ。見守る僕らは詠唱もしないのだから、手持ち無沙汰なことこの上ない。
「ひまやで……しかし……」
強い陽光の下、獅子頭の術士帽の下でサミがぼやく。
じーっとしているのに一番強いのはホノボ兄弟だ。定期的に監視地点を入れ替わり、水平線と地平線とその上下風景をくまなく見回っている。何と頼もしきティルムンの防壁。
僕と新兵イスラとサミは、主につぶつぶ豆粒大に見える少年兵たちの周りを監視している。
「わらべが五人……六人……七人八人、ぜんぶで十二わらべか~。これ、あの中に友達とか知ってる子は居てへんの?」
変人が新兵イスラに問いかけている。
「いっこ下の級の子たちだと思うんで、どこでもかすったことはないはずです」
「ふん、飛び級新人め。……お前と同い年で留年してる子がいたら、知っとるかもしれんやんか……?」
「そういう発想するサミさんは、留年したことあるんですかー?」
「むきーッ」
「こら二人とも、任務中ッ」
ここに来て数日経ったところだけど、意外にもサミと新兵イスラはうまくやれているようだった。隣室からサミのきれる怒声が聞こえてくることもないし、もちろん双方の詠唱も聞こえなかった。早晩、理術を使ってのけんか応酬が始まりやしないかとびくびくしていたのだけど……。
と言っても僕は見えないイスラとのやり取りが外にもれないよう、自室に“音防ぎ”の小術をかけている。実際には小競り合いがあったりするのかもしれない、聞こえてこないだけで。
休暇以来、見えない親友イスラと気兼ねなく話せる空間がようやく得られて、僕は嬉しかった。
イスラがじっくり読めるよう、寝台の一つにパンダル君とロラン君にもらった本、『深淵なる東部世界の慣習と文化』を広げる。
もう片方の寝台に座り込んで、僕は『常緑の森』最新十四巻を読む。時々、脇に置いた『【公式】常緑の森・完全攻略本』の布巻き本を取り上げて参照する。今回ここに持ってきたのはこの三本だけだ。残りは休暇のあとに、全部読んでしまっていた。やっぱりイスラと一緒だと、僕もつられて読む速度が上がる。
静寂のなか二人で読んでいると、何刻なのかわからなくなってくる。小卓の上、小さくなってゆく蜜蝋だけが、僕ら二人が永遠の中に入りこむのを邪魔していた。
僕は顔を上げて、もう一つの寝台の上に声をかける。
「イスラ。続きの部分の巻きを解こうか?」
『んー、いい。全然進んでへんから……』
「やっぱり難しいのかい? それ」
『いいや。ロラン君の綴り訳すごいこなれとるし、パンダル君の達筆で読みやすいは読みやすいんや。けどな、内容が……。何ちゅうかな、俺的に濃すぎて。色々考えること、ありまくりなんよ』
「そう……。今、どのへん読んでるん?」
僕は両脚を床に下ろして、広げた布巻き本の上に手をかざす。温かいもやもやに触れた。
『こ~の~へん、やな』
イスラの温かさに導かれて、僕の右手ひとさし指は、ぎっちりびっちり埋められた美麗筆致の一画上にくる。
「……“精霊の謎”の項?」
昔イスラがたくさん話してくれた怪談のおばけ達について、何やら学術的に真正面から解説がなされているらしい。
『イリー版の精霊昔話なら、俺もようけ知っててんけど。どうも東部大半島の人たち……東部ブリージ系の人たちは、ながーいこと精霊と一緒に生きてきたみたいやな』
僕らの知っている恐ろしい精霊の他に、善い精霊や害をなさない精霊というのもいて、人々は彼らと親しんできたらしい。
『ふしぎやな。人間と、そうでないものが共生してるとこがあるなんて……』
「うん」
『ほいで東部の奥の方には、そういう精霊を使役することのできる、えらーい人が代々おったらしい。その名も精霊つかい、と言うそうな』
「へえーっ?」
僕は驚いたが、具体的には使役がどういうことなのか、全然ぴんと来ない。
「……僕ら理術士が、詠唱して術を使うのと同じ感じなんかなぁ?」
『うーむ、ここまで読んだ限りでは俺にもわからへん。犬ねこなぜて、家畜つかうのとは違ってそうやけど……』
「じゃ、例えばさぁ! 理術士と精霊つかいが、がちんこ勝負したら! どっちが勝つんかな!?」
『……モモイ、何でそこで目ぇ輝かすのん? ……ええとな、俺がずっと前に読んだ別の本では……。東の精霊は西の理術のあいてにはならん、って書いてあってんけど。そんなん実際に勝負してみたんか知らんし……。あてずっぽかもな。ま、先を読んでみる~』
ふわふわっ、その時蜜蝋の炎が揺らいだ。時間切れ間近のしるしだ。
「あ、そろそろ寝ないとね」
『せやね』
僕は三つの本をくるくる丸めて、“真空圧縮”の術で小さくする。壁の釘にかけた理術士外套の内かくしに入れた。
「そいじゃお休み、イスラ」
『おやすみ。モモイ』
ほとんど残っていない蜜蝋の芯部分を、僕は指でつまみかける。……その時ふと、もう一つの寝台の敷布の白さが目についた。狭い室にふたつの細い寝台……。どうしてなのだか、引っかかる構図であり風景だ。
「……」
『どうした? モモイ』
「……何でもないんだ。……イスラ、僕がいびきかいたら絶対起こしてよ」
『それかい……。まかしとけと言いたいが、詠唱の効果が切れたら俺の声も聞こえへんくなるやろ? どうやって起こすんや』
「揺すれない?」
『むり』
「え~……じゃあ鼻とか口とか、ふさげないかな?」
『死んでまうやろぉぉッッ』
どうしようと思っているうちに、灯りがふっと消えてしまった。あーあ、真っ暗闇である。
仕方なく、僕は毛布の中にのびた。
僕は、イスラにはっきり触れられない。何となくのじわりとした温かさがわかるだけで、さわって形を確かめる、ということはできなかった。起きている時はしっかり感じるイスラの温度も、ふうすか寝てる間はおぼつかない。
顔に触れられても、僕は起きられないかもしれなかった。
『まあ……やるだけやってみるけどな。はー、この辺いまのからだでは不便や。昔やったら、おいこらモモイと裏拳いっぱつ入れるだけで簡単やったのにー』
「突込みは僕の担当やろ」
暗闇の中、僕はゆるーく右裏拳でイスラの温かさに触れる。ふふ、くく、低い笑いが重なり合った。
「……そう言えば、さあ。今のイスラ、どういう姿してるん?」
『え』
「……十四年前と、変わってる?」
『知らん……』
ぼけではなく、素で困惑した声が返ってきた。
鏡の前に立ってみても、自分の姿は映らないらしい。
僕の上空に浮けたり、やたらすいすい移動ができるから、煙かもやのようになってるのかもしれない、と言う。それにしては、手足の感覚はあるらしいが。
「……見れたらいいんだけどね」
いなくなった時、イスラは既に変声していた。その頃の声は新兵イスラの声とよく似ているけど、はっきりとした声を聞き慣れた今の僕には、わかる。見えないイスラの声は、十四歳の少年と違っておとなの声質だ。
だからイスラ本体も、実は大人の姿をしているんじゃないか、と僕は想像している。ものを食べなくなったのだから、成長したってわけはなかろう、とイスラは言うのだけど。まあ確かに、性格はあんまり変わっていない。いろんなことを先回りして考え過ぎて、不安になってしまう心配性なあたりとか。
そう考えているうちに、寝落ちした。僕は寝つきが実に良い。……
ひゅう、うううう!!
突如、せまい室の中をうなり通ったつむじ風??にぎょっとして、僕はくわッと覚醒した。
「……イスラっっ?」
『うひょー、やった起きたぁ』
嬉しそうな声がした……。ばさっ、壁にかけておいた外套が床に落ちる音。
『いびき、かいとったでー』
「……何したの!?」
『うん、風刃の攻撃で使うやつ。あれみたいになれへんかな、って試してん』
ひゅいいっっ。
だいぶ穏やかながら、またしても僕の周辺をつむじ風が吹き抜ける。
『しかし! モモイのどこも、切れてな~い! 切れてないけど、俺はきれきれー! あはっ』
確かに、今も昔も風刃はイスラの十八番だけど……! 僕の親友は、その風になるすべを習得したらしい。イスラは満足気に言った。
『さっ、また寝よし! まだまだ夜中やからな~!』




